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【小説】フェイブル・コーポレーション 第三話

 JR元町駅をでる。元町通りに沿って、南下していく。
 平日の真っ昼間にもかかわらず、大丸の周辺は人、人、人で賑わっている。
 大丸を左手に見ながら歩いていくと、南京町の入り口である長安門に辿りつく。門前には、満面の笑みをうかべたスキンヘッドの神様の像が鎮座ましましている。
 長安門を抜ける。道の左右には中華料理屋がいくつも連なっている。ものの一分も歩くと、左側に路地が見える。
 路地に入った瞬間、一棟のビルが目の前にあらわれる。レンガ調の外壁だ。マッサージ店や美容院が入った、五階建ての雑居ビルだった。来客用はもちろんのこと、従業員用のエレベーターまで備わっている。
 地下階におりる。テナントの入っていない部屋が並んでいる。廊下を進んでいくと、突き当たりに白塗りのドアが待ち受けている。鍵をあける。龍介と拓海の部屋だ。
 正面にカウンター。キッチンなどはその向こう側にある。
 カウンターの左手には七畳ほどの洋間。右手には廊下。
 廊下に足を踏み入れると、右側の一面は殺風景な壁でしかないが、左側の一面は、何枚か重なった引き戸となっている。それが賭博部屋の入り口だ。上がりがまちの前で靴を脱ぎ、部屋に入る。和室が二部屋と、洋間が一部屋。それらを仕切っていた襖は撤去したので、ひとつづきになったその部屋は二十畳ほどの広さになっている。
「うーん、やっぱりいい部屋だなァ!」
 龍介は朝の空気を吸いこむように胸を広げて伸びをした。
 もとは飲食店用につくられた部屋にちがいないが、賭場をやるにも申し分ない。拓海はいたって冷静に、部屋を隅々までチェックしている。
 午前十時、日用品がどっと運ばれてきた。ホームセンターで配達の注文をしていたものだ。レイアウトは練っていたので、龍介と拓海は手際よく配達員に指示をだした。
 家具の設置を終えた配達員が去った。まだ落ちつけない。次は電気やガスを引っ張るために業者を呼ばなくてはならない。
 本格的にふたりが落ちついたのは、部屋を手に入れてから五日ほどが経ったころだった。
 洋間に構えたソファにふたりして腰をおろした。
「タバコもドリンクの類もあらかた揃えた。博打道具の最終確認でもして、客を呼ぶとすっか!」
 拓海は疲れ果てたように、黙ってうなずいた。
「そういや拓海宛てで、でっかいダンボールがふたつ送られてきてたな。なにが入ってんだ」
 拓海はそれを聞くと、ソファから立ちあがった。仮眠室から重そうなダンボールをひとつ運んできて、封を解いた。
「なんだよ、そりゃあ」
 そこには碁盤がふたつ入っていた。
「脚つきの碁盤だ。むこうのダンボールにも、もうひとつ入ってある。あとは持ち時間を示す対局時計も三つだ」
「囲碁なんて、だれか打つかァ?」
「博打好きには、碁好きが多い。テラも取れる。勝ち金の一割ってところだろう」
「懸賞か。まァそいつは様子見ってことで、和室においとくか」
「ああ。それより、レートをくわしく決めないとな」
 拓海がふたたび腰をおろす。
「考えてるぜい」龍介は親指を立てた。「ホンビキは下限千円、上限なしだ」
「上限はなしか」
「学生の遊びじゃねえんだ。いくら張ってもOK! だからこそ、テラ銭で二割が取れるんだ」
 龍介はタバコをくわえて火をつけた。言葉をつづける。
「懸賞なら5‐1の目碁がいいなァ。囲碁は一回の勝負が長い。目碁にすりゃ、ほとんど中押しの勝ちでも勝負は最後まで打たなくちゃならない。たとえば、ひとりが三十目差で勝ったとするぜ。勝ちが五万、目が三万の八万だ」
 龍介は煙を吐きだし、
「懸賞のテラも一割といわずに二割でいけ。まちがいねえ!」
 懸賞とは賭け碁のことだ。番碁とは勝ち負けでいくら、目碁とは、勝ち負けのほかに目差も賭け金にかかわってくる。
「龍介も碁に精通していたのか」
「そりゃなァ、懸賞も博打のひとつだから。授業なんかそっちのけで、コツコツ勉強してたときもあったぜ」
「だがチンチロリン、丁半あたりが流行るんだろうな。チンチロ、丁半のテラも――」
「胴の儲け二割!」即座に龍介は返した。「ホンビキといっしょで、下限千円、上限なしで文句はいわせねえ! 丁半だけは子の張り額を丁と半に揃えないとだめだけどよ――、おれはチンチロとホンビキが流行ると思うんだ」
 ふたりは納得のいった表情になった。
「今日は、客を呼ぶのはやめておこう。なにか抜かりがないか、一日チェックするべきだ」
「よし、きた!」
 龍介はタバコを灰皿にねじ押した。

〝株式会社フェイブル・コーポレーション〟と彫られた立派な表札が、龍介と拓海の賭場口にありありとさげられた。神戸にいる表札職人にオーダーしていたものだ。
「株式会社か」
 拓海が白い目をした。
「表札になに書いても勝手だろ」
 龍介は笑った。拓海もつられて笑う。
 午後一時をすぎたころ、チャイムが鳴った。カウンターのなかで、漫画雑誌を読んでいた龍介も、落ちつきなく立ったり座ったりを繰り返していた拓海も、同時に顔をあげた。
「客だ! やっぱ日曜だから早いな!」
「……そ、そうだな。僕がでよう」
 博打の腕は一流で、かずかずの修羅場を龍介と共にくぐってきた拓海も、自分で賭場をひらくのは、はじめてである。緊張するのも無理はない。
 カウンターのなかに取りつけられたインターホンから声が届く。
『――葉月龍介のダチやけど。黒田や』
 男の野太い声だった。
「はい、ただいま」
 拓海は客を待たせないように急いだ。
「おれが呼んだダンナか?」
「ああ……すぐに飲み物の用意をするんだぞ」
 そういうと、拓海は店のドアをあけた。
 黒田と名乗った巨体の男が、背を屈めるようにして部屋に入ってきた。龍介たちと年恰好はかわらない。
「おひとりさまですか。まだお客さんが集まっておりませんので少々お待ち――」
 拓海がいい終わらないうちに、拓海の顔の前に、なにかが突きだされた。
 それは警察手帳だった。
「ここで賭場を開くらしいな」
 手帳を懐にしまい、黒田は腕を組んだ。
 拓海は言葉を失い、後退りした。
「さっそく来やがったか」
 龍介は動じなかった。漫画雑誌を放りだし、カウンターから這いでてきた。
「り、龍介……」
 拓海は顔面蒼白になっていた。
 拓海を脇にどかし、龍介は黒田と対峙した。ふたりは無言で睨みあう。
 ぷっ、と黒田が閉じた唇の隙間から息を漏らした。
 それにつられて龍介も、クッ、と歯を喰いしばって笑いをこらえた。
 えっ、と拓海が声をだした。龍介と黒田を見比べる。
 直後、龍介と黒田は声高々に笑いはじめた。
「……なんなんだ?」
 業を煮やした拓海が龍介に訊ねた。
「いやァ、わるいわるい!」龍介は片手で腹を抱えていった。「黒田はおれの小学校ンときからのダチさ。大学やめて、いまは警察やってんだとよ」
 拓海は眉をひそめて、龍介を睨みつけた。
「そう怒るなって」笑いがおさまった龍介は拓海をなだめた。「安月給で毎日モンモンとしてる黒田を買収して、摘発の情報を事前に流してもらおうと思ってさ」
「安月給でモンモンて……おい! そこまでいうか!」
 声をあげた黒田だったが、笑顔だった。
 龍介はジーンズの尻ポケットから金の入った分厚い封筒を取りだした。そして拓海にむかって、
「今日はこれを黒田に渡すために呼んだんだ。で、ついでだからなにも知らない拓海をおどかしてやろうと思ってさ」
「……ふざけやがって」
 黒田は龍介から封筒を受けとった。中身を確認すると、舌で唇を舐めた。
「おおきに、葉月」黒田は封筒をしまった。「安心して賭場やってくれ。達者でな」
「また来月、金を払うんだ。そんときに会うぜ?」
「毎月もらうんはわるいわ」黒田は鼻白んだ。「また連絡する」
 黒田は片手をあげて、部屋をあとにした。
 扉が閉まる。
「やれやれ……一時はどうなるかと思った」
 拓海はため息をついた。
「わるいわるい、悪気はなかったんだけどな」龍介は釈明した。「でも、これでガサ入れの心配はなくなった。じゃんじゃん稼ごうぜい」
 そのとき、部屋のチャイムが鳴った。ふたりは顔を見あわせる。
「またおまえの悪友じゃないだろうな」
「おれたちには悪友しかいねえだろ」
 拓海は失笑すると、インターホンにでた。
「どちらさまでしょうか」
『――長井拓海くんの紹介できた安川です。あと知り合いも何人か連れてきたよ』
「はい、お待ちください」
 拓海の抱えている旦那が来訪した。出迎えた拓海とともに、ぞろぞろと入ってきた。
 龍介はカウンターから飛びだして、一礼した。
「ようこそ、おいでくださいました!」
「ご招待ありがとう。キミが葉月龍介クンかあ。ここはギャンブルなら、なんでも打てると聞いてね。飛んできたよ」
「ホンビキ、ダイス、賭け碁まで、なんでもございますぜ!」
「まだ人は来るのかい」
「もちろんですとも! まだまだわんさか――」
「そうですね」興奮気味の龍介を制して、拓海が割って入った。「時間が早いので、すぐに、とはいかないかもしれませんが、集まると思います」
「そうか、そうか」金ぴかの時計をつけた旦那が、あとの三人にむかっていった。「じゃあ、大勢集まるまで囲碁でも打とか」
 龍介はニヒルな笑みをうかべて、拓海に近寄った。拓海を肘で軽く小突き、囁く。
「さっすが、拓海。囲碁を取り入れたのは正解だったなァ」
 拓海は龍介に微笑を返すと、旦那四人にむかってルールの説明をはじめた。
「うちの囲碁は懸賞です。置き石やコミ云々に関してはお客さまにお任せします」
 年に似合わないピンクシャツを着た旦那が破顔一笑した。
「嬉しいねえ。こんな賭場を待ってたんだよ。街の碁会所なんかじゃ懸賞は打てないもんねえ――ところで場代はいくら?」
 拓海は気後れしたようだが、一拍おき、
「勝ち金の二割を頂戴いたします」
 と宣言した。
 ピンクシャツはうなずいた。
「てことはほかの種目も、勝ち胴の二割とか、そんな按配?」
「おっしゃるとおりです」
「いい方針だ。街場の雀荘なんかだと、勝ち金の三割以上もテラを取るとこがあるだろう。どうも納得がいかなかったんだ」
 それは事実だ。悪辣な雀荘の控除率を引き合いにだしてくれたのは、龍介たちとしては好都合だ。
「これからは、ここに通いつめるかもしれないなァ」
 旦那四人は豪傑笑いをした。
 四人はふたりずつペアになり、懸賞を打ちはじめた。見たところ、双方の盤ともに置き石はなく、コミは六目半だということらしい。
「なにか、お飲みものはよろしいでしょうか」
 拓海が気をきかせて旦那衆に訊ねた。
「うん、欲しくなったらいうよ。ありがとう」
「では、ごゆっくり……」
 拓海がホッとした様子で、洋間にある椅子にかけていた龍介のもとへ行った。そこからでも和室の様子は眺められる。
「なァに、緊張してんだよ」
 龍介は小声で茶化した。拓海はムッとした表情になり、
「テラ銭二割が納得されなかったら、終わりじゃないか」
 と同じく小声で事情を訴えた。
「だいじょうぶさ。おれが考えたんだから」龍介は自信満々でいった。「それより、見事な接客だったぜ。いい客持ってんじゃねえの」
「僕が育ててきた客だからな」
 三十分ほどが経ったころだった。家のチャイムが鳴った。またもや拓海の客が二人組できたのだった。
「あれ、一番乗りやと思ってんけどなァ」
 片割れのでこっぱちが、残念そうにいった。
「おや、すまんねぇ――」碁を打っているピンクシャツの旦那が軽く言葉を返した。「こっちは数十分で終わりそうだから、六人集まったことだし、皆でなにかしましょうや。待っててくだされ」
「了解了解」でこっぱちはいうと、テーブルの上のダイスの存在を認めた。「それまで、われわれは軽くダイスでも振りまひょか」
 博打好きの旦那は総じて、人見知りをしない面がある。見知らぬ者同士でも、まるで昔からの馴染みであるかのように、いとも軽く会話をかわしあう。
 龍介と拓海は新客に近寄る。
「冗談やと思ってたけど、ホンマに賭場ひらいたんやなァ」
「へへ、ホンマにひらきましたよ」龍介は揉み手をしていった。「ダイスは、なにをされます?」
「ダイス五つのワンシェークなんてどうや」
 でこっぱちが提案する。もう一方のチェック柄のシャツを着た旦那が、いいね、とうなずいた。
 ワンシェークとは、ポーカーダイスのことだ。用意するのはダイスカップと、五つのダイスのみ。ダイスをカップで掬って振り、テーブルの上に並べる。五つのでた目で、ワンペア、ツーペア、スリーズ、フルハウスという風に役をつけ、勝敗を決める。非常にシンプルなゲームで勝負も早い。
 ポーカーダイスがおこなわれるとは予想していなかった。しかし龍介はたじろぐこともなく、
「あっ、差しのポーカーダイスなら、成績を帳面につけてもらいます。テラ銭は勝ち金の二割ですけど、よろしいですか?」
 と即座に取りなした。
「もちろん、かまへんよ」でこっぱちがチェックシャツに顔をむける。「むこうの懸賞が終わるまで一万円勝負でいこか」
「よっしゃ、望むところ」
 とチェックシャツが腕まくりした。
 龍介はさっとテーブルに布を敷く。ふたりの旦那は早速ダイスを振りはじめた。
 洋間も勝負の場になったので、龍介と拓海は一旦カウンターにもどった。
「さすがだな」
 と拓海がいった。
「ん、なにが?」
「ポーカーダイスをやるとは予想がつかなかった。ダイスカップは僕の自前のものがあったからよかったが――機転がきくじゃないか」
 龍介は、ちっちっち、と人差し指を立てて左右に揺らす。
「場主はいつも、脳みそフル回転で考えとかなくちゃな! 次は、あの六人のダンナがなんの種目で博打をするか見当をつけとかねえと」
「――ホンビキかな」拓海が予想した。そして疑わしげな目を龍介にむけた。「そういえば、おまえの客はまだ来ないな。だれに声をかけたんだ」
龍介は目を泳がせた。
「んー? そうだなァ。遅いなァ」
 水商売の女にしか声をかけていないとは、いわない。
 数十分後、懸賞が揃って終了したらしい。ひとつの盤ではピンクシャツが六目半勝ちで六万五千円の収入を得た。なんと「1‐2、2‐5、5‐1」といった一般的な目碁のルールではなく、目差をそのまま賭け金の一万円で倍にしているらしい。
 もう一方の盤では、ほとんど中押し勝ちの様相だったところを終局まで打ちすすめた結果、金ぴかの三十目半の勝ちであった。動いた金は三十万五千円である。双方の勝ち金から二割をテラ銭として龍介は受けとった。今回、龍介たちに入ったテラ銭は計七万四千円となる。
「むこうは終わったか。ほな、ダイスは終えるとしよう」
 とチェックシャツが威勢よくいった。
「もう少しやりたかったわ」
 相手のでこっぱちは悔しげだが、笑顔は絶やさない。
 彼らの成績は、チェックシャツが七勝、でこっぱちが二勝であった。差し引き五勝の五万円がチェック柄の勝ち金だ。そこから二割、一万円がテラ銭として龍介たちに支払われる。
 拓海は旦那衆を和室に召集した。
「みなさん、種目はなににしましょうか」
「――いつもとちがうギャンブルをやりたいねえ」
 ひとりがいうと、皆は同調した。龍介はこれ見よがしに、
「ホンビキとか、おもしろいですよォ」
 と提案した。
「おお、なつかしい。ホンビキなんて、ヤクザ映画で見てさ、ガキのころに真似してやったくらいだな」
「うんうん、一般市民の遊びじゃないからな。でも、おもしろい。やってみませんか」
 六人の旦那は意気投合した。
「ではルールをおさらいしておきます。まず、胴を決めて――」
 拓海の説明を耳に入れつつ、龍介は思った。
 ダイスや囲碁などは日ごろから面子さえ揃えば簡単にできる。ホンビキというギャンブルは、彼らのいうように、本来ヤクザの仕切る賭場でしか催されないものだ。昔は、ホンビキのできる博徒は一目おかれたくらい、博打のなかでは高貴なものなのだ。丁半などとは格がちがう。一般市民には、なじみの薄い博打でもある。しかし博打好きの旦那衆は、世における博打を見様見真似であらかた呑みこんでいた。
 円座を組み、適当に胴決めをおこなう。胴ははじめに軍資金を手元におく。胴は、軍資金が倍になるか一割以下にまで削減されれば、胴をつづけるかやめるかの判断ができるのが基本。だが、龍介と拓海の賭場のホンビキでは、胴はいつやめてもかまわないことにした。
 胴は後ろ手で繰り札を繰りながら、任意の一枚を「カミシタ」と呼ばれる布切れのなかにおさめる。
 子方は、胴が一から六のうちの、どの数字を選んだのかを予想し、張り札を張る。同時に賭け金を提示する。賭け方には一点張りから四点張りまで、多種多様だ。
 子方の賭けが揃えば、胴は目の前にある六つに並んだ目木から今回自分が選んだ数字を引きぬき、一番右におく。そしてカミシタを開け、繰り札からだした一枚を公開する。ちなみに、動かした目木の数字とカミシタから公開した繰り札の数字が一致していなければ、「唄い間違い」といって、子方全員に総ヅケとなる。
 子方の張り札が的中していれば、その的中札一枚を明示し、胴から配当分の金額を受けとることができる。逆の場合は、賭け金は胴に没収される。張り方によって配当は様々で複雑なので、ホンビキの場には「合力」と呼ばれる配当係がついている。合力は瞬時に配当金を計算し、スムーズにゲームを進行させる役目を務める。
 六枚の目木には、それぞれ位置によって呼び名がある。いちばん右、つまり前回でた目のことを「根っこ」、次が「小戻り」、右から三番目を「サンゲン」、四番目を「シケン」、五番目を「フルツキ」、いちばん左を「大戻り」という。
 子方は目木の位置、前後関係、胴の心理などを読んでいき、次にだされる数字を予測する。シンプルなゲームだが、これがたまらなくおもしろい。ホンビキとは最高峰のギャンブルなのだ。
 拓海がホンビキのルールをざっと説明し終わった。
 龍介が前に進みでる。
「じゃあボクと、ウチの拓海が合力を務めまっさァ」

 最初の胴は、鼻を赤くてからせた旦那に決まった。
 赤鼻は「よろしくおねがいします」とお辞儀をし、バッグから軍資金の二十万をだした。ぎこちない手つきで繰り札を繰る。一枚をカミシタの中にそっと入れた。完全に素人の手つきだ。
「さァ、張った張ったァ!」
 龍介は叫んだ。
 子方の旦那衆はまるで子供のように無邪気な笑顔で、あれやこれやと胴のツナを推理し、張り札と賭け金をおく。子方の張りは、下限の千円の者もいれば、一万円の者もいる。序盤ということもあってか、皆の賭けは控えめだ。
「揃いました!」
 拓海も龍介に負けじと声を張る。
「いざ、勝ォ負ゥ!」
 龍介は勝負の合図をかけた。
 合力の龍介と拓海は、配当係であると同時に、場を盛りあげる役目も担っている。
 赤鼻は、目の前に並んだ目木の中心から四を抜きだし、右端においた。そしてカミシタを開ける。
 初戦、胴のツナは四。
 一点張りの「スイチ」で一万円を張っていたロマンスグレーが、張り札を勢いよく表にして叩きつけた。四だ。スイチの配当は四・五倍で、彼の収入は四万五千円となる。
 他にも二点張りや三点張りの者で、四の札は多く開いた。
 ホンビキ初心者の初ヅナで四はおさえられやすい。胴が、一や二、五や六、といった偏ったインパクトのある数字を初ヅナに選びにくいとなれば、必然的に三や四を選びたくなる。裏を返せば、子方にもっともマークされやすいのが三や四でもあるということだ。
 上級者同士の戦いであれば、このあたりの心理戦はさらに立体化し、複雑さを極めてくる。ホンビキのおもしろさの所以である。
 目木は右から、
 四、一、二、三、五、六
 という並びになっている。
 赤鼻が次になにを選んでくるのか、皆が読みをめぐらす。
 赤鼻がカミシタを取り払った。彼が選んだのは、根っこの四であった。
「ほほぉ」
 龍介は感心してつぶやいた。
 合力をしながら、胴のツナを読んでいたが、これは意外な数字だった。まだホンビキに不慣れな初心者だから、次回のツナは、五や六など、遠くに散らしにいくだろうと龍介は読んでいた。
 子方では、賭け金の後ろに二枚の札を縦に張っていた金ぴか時計の旦那だけが的中した。それも抑えの一枚が開いただけで配当はなし。
 龍介は声を張りあげる。
「根っこの四! 受かりました!」
 赤鼻のもとに前回の負けを返上できる金が寄せられる。
「いや、はは……」
 赤鼻がばつが悪そうに、苦笑する。
「どうしたんですか、旦那ァ、大勝ですよ!」
 龍介は笑顔で問いかける。
 赤鼻がいいにくそうに口を開いた。
「後ろ手で札を繰るのは難しいですなあ。じつは今回、サンゲンの二をだそうと思ってましたんや。でもいざカミシタに入れようとしたら、チラッと札が見えて、四だったんですわ。引っこみつかなくなっちゃって……」
 それを聞いた龍介は得心がいった。
「ま、運も実力のうちですよ!」
 旦那衆が笑い声をあげた。赤鼻が、鼻だけでなく頬まで赤く染めて、札を手もとにもどした。
「次、張った張ったァ!」
 龍介は次戦へと皆を駆りだした。
 旦那衆は皆、博打をしているというよりも、ホンビキという新奇なゲームを心から楽しんでいるように見えた。高レートギャンブルにはちがいないのだが、彼らにとっては小遣い銭程度の遊びなのであろう。
 本当に生活のかかった金を張りとりしているギャンブラーが輪のなかにまじっていれば、和気藹々とした雰囲気にはならない。
 その後、新客が続々と見えた。
「あっ、龍介くーん。ホントにギャンブル場を開いたのね」
 三ノ宮のキャバクラ嬢たちだ。旦那衆がギャンブルを打つ手を一瞬とめ、眩しそうに女たちを眺めた。
「よーこそ、お越しくださいました」ピエロのように大げさな身振りで、龍介は彼女らにむかってお辞儀をした。「なんでも好きなギャンブルを打ってください。わからないことがあれば、この葉月龍介、なんでもお答えします」
 拓海が眼鏡を指で押しあげた。
「……なるほど。おまえはあの客引きの一週間、キャバクラで遊びまわってたわけだ」
「なっ、なんだよ、拓海くーん! 怖い顔すんなって。やっぱり、男臭い賭博場には、華が必要だぜ」
 当初は六人だった客が、落ちついたころには十五人にまで膨れあがった。
 主流はどうやらホンビキのようだった。ホンビキのルールをまったく知らない客には、事前にお手製で用意していた『ホンビキルールブック』のコピーを渡した。
「次までには覚えるよ」
 旦那たちは龍介に笑顔を返すと、懸賞やダイスに興じていた。
 夜の蝶たちは、簡単にルールを覚えられるチンチロリンを、えらく気に入っていた。
 盆は終電間際までつづき、時間と見るや、客は一斉に腰をあげた。泊まりで打つ客がいないのは意外でもあり、さらなるテラを取れない分、残念なところでもあった。
 マナーのいい客が揃ったということだ。回銭もでず、穏当に初日は終了した。
 客人が部屋をでていき、龍介と拓海は彼らを見送った。
 玄関の扉を閉める。
 同時に、ふたりは金庫部屋に飛びこんだ。
「おい、拓海! いくらあるんだよ!」
「待て、急かすな」
 拓海はテラ銭を指で弾いていく。じょじょに拓海の顔がひきつれていった。
 拓海は弾き終えると、ゴクリと唾を飲みこんだ。
「小銭を抜いて、五十三万、ある」
「……ま、まじかよ」龍介は天井を仰いだ。「一日で五十万……家賃や光熱費なんて屁みたいなもんだ。おれら、大金持ちになるかもな! うっひょー!」
 龍介は金庫部屋のなかで踊りはじめた。
 拓海はすっと息を吸いこんだ。冷静な眼差しで、ダンス中の龍介を見た。
「賭場を開いて一日目だ。それに今日は日曜だったんだ。客が集まるのも当然。これにかまけて遊び歩いたりするんじゃないぜ」
「わかってらァ。でも、さすがによ、こりゃァ乾杯しなくちゃな!」
 龍介は、はしゃぎながらカウンターのなかにある冷蔵庫へと走った。
 フェイブル・コーポレーションの賭場開帳初日は大成功におさまった。

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