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増えると薄まる

 当たり前のことですけど、業務が増えていくと、時間が限られているので、もちろん薄まっていきますよね。時間が増えないのに、業務だけが増えるので、少しずつしか手が入りません。

一つ増えれば、さけなくなる時間が生まれる

 すごい当たり前なんですけどね。
 効果の高い取り組みも、効果の薄い取り組みが増えることで薄まってしまいます。軽重つければいいんじゃないかとも思いますけど、それならもうやらなくていいじゃないかとも思いますよね。
 形骸化するともっと意味がありません。形だけ受け継がれることで精神的にもマイナスでしかありません。まぁ、効果の高い薄いはまた人の主観ですし。

それだけ求められる教育が多い。

 業務が増えるということは、多分、求められていると捉えてもいいのかもしれません。〇〇教育的なものが増えてますしね。よくわからないけれど、現場を知らないお花畑の人たちが楽しく理想を語っているのでしょう。また、政治が、社会が、保護者が求めていることもあります。
たちが悪いことに、いろんな人の声が大きくて、優先順位が上がっていくんですよ。

ICTが増えたが、専門性がある人はまだまだ少ないですね。
取り入れるから活用しろ、効果を出せと求められると大変です。

やればできる

極論、やれば何でもできるんですよ。でも、そこに良い結果があるとは限りません。
何かが犠牲になっています。それは何でしょうか。時間でしょう。何かしらの業務の時間を減らさざるを得ません。質が低くなる。量が少なくなる。結果的に子どもにかえっていかない。
さらに広く浅くなので、専門性と言われると疑問が残る。
専門性を確保しつつ広い範囲などできません。そんなことできたら苦労しませんよ。

時間という総量は変わらないので、何かをやればやるほどいいわけではないですよね。

えっ?残れって?それは勘弁。

優先順位を決めた時、状況によっては授業準備が低くなってしまう場面もあります。必要ないようなことが高くなってしまうこともあります。困ったものです。

業務を増やされるということは求められる力が広くなっていくともいえます。

そして、そこに大きな責任を求められます。専門性を無視して、教師にさせる。失敗すれば教師が責められる。

まぁ、教師がやれば無料ですしね。

これはもちろん日常生活も一緒で、人生何に時間を使うか、効率よく使えるかを考えますよね。

誤解されたくないのが、適当にやってるわけじゃないということですよ。

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