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愛はあの人のもとにあるのではなくて、ずっと自分のなかにあったのね

私がただ自分を許してあげる

私でいればいいよ、って許して認めてあげる


あの人の目を気にしたり
あの人から求められたり、必要とされたり、好かれたりしたいと思わずに

ただ、たゆたうように自分でいることの心地よさ。


自分でいる


自分はこうでしかないんだ、って認めて許すことのあたたかさと優しさと安心感。


そんな時にふっと訪れる

これがしたいな、これが欲しいな
この人に会いたいな、この人には会いたくないな

それは嫌だな
これは嫌いだな

を叶えてあげることの優しさは
この地球で一番大切な自分からの愛なのかもね。


だってさ、誰かに愛されなくたって
こんなに幸せで豊かで満たされるもの。




誰かにこのどうしようもない自分をわかって欲しくて頑張ってきたじゃん?

誰かにそんなキミでも大好きだよ
愛してるよって言われたくて夢見てきたじゃん


みんなと全然違うけど
キミはすごく素敵だよって思って欲しくて
あの人の気にいるような自分になろうとしたじゃん?



でもさ、誰かから求められるために
必要とされるために頑張るたび
こんなに「自分から離れていってる感覚」になるのは何故なの?って気付いたよ。



私は誰かに愛されるために
価値があると言われるために
生まれたんじゃなくて

この自分を、
このどうしようもなく「こうでしかない自分」をまるごと抱きしめるために生まれてきたのかもしれないなぁって。


彼を、または別の彼も、そのまた別の彼らも愛したい自分にマル

たまに必要とされたくなっちゃう自分にもマル

そうかと思ったら「ほっといて」とプイっといなくなっちゃう気まぐれな自分にもマル

寂しがり屋な自分にもマル

疑い深い怖がりな自分にもマル

お酒飲みすぎてリバースして二日酔いしても学べないおバカな自分にもマル

ぜんぶぜんぶ、絶大にマル!なのである。



だって、だって
これが


このどうしようもなく

こんな私が、この私なのだから。


全部マル。


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