性格が合わないほうが案外うまくいくこともあるかもしれない

こんばんは。

先日、高校時代の友人を電話をした。
というのもわたしが人と関わらなさ過ぎて、客観的な意見がほしかったからだ。
議題は性格についての問題だった。

わたしは中学生のとき、クラスの女子に「誰にでも親友って言うのよくないと思うよ、親友って数人に絞られるものではないの?」と疑問をぶつけた結果、クラスや部活でいじめられた。
わたしはその件以降、自分の本音というものは口に出すべきものではないと思っている。

加えて大学生のとき、軽音楽部に所属していた。
この軽音楽部は月に1回自分でその場限りのバンドを組んでライブにでるという仕組みであり、あまり上手じゃなかったわたしはとにかく人と仲良くなることでバンドが組めるように努力していた。

さすがに大学時代はねじ曲がっていたかもしれない。わたしがもっと練習すればそれでよかったのかもしれない。
もちろん練習もしていたけれど、一度ついたイメージは払拭するのもなかなか難しかったし、その方が速いと思ったのだ。

そうして今のわたしは自己主張をあまりしないでその場が丸く収まるように人と仲良くするという性格になったのである。

ところが困ったことがあった。

それはこの性格と真逆の人とどう関わったらいいのかということだ。


わたしは主張があまりないので、主張されると結構受け入れてしまう。
その結果親にも「最近のお前は自分がない!」と言われる始末である。
確かによくないなとわたしは思ったわけである。

でも難しいことに、主張する人に主張を返すと更なる主張が返ってくるのである。
そもそも主張を好まない身からすると、一回主張したら割と満足なので、再度された主張は受け入れてしまうのである。

この主張をするためにはどうしたらいいのかを相談したのである。
2時間強話した結果、わかったことは主張の方法ではなかったが、大いに納得できることであった。

寧ろ違う性格だからかみ合っている説


これである。

例えば一方が東京に行きたいと思っていて、もう一方が大阪に行きたいと思っていたらこれはもう破局である。

東京に行きたいと思っている人に対して、もう一方がついていくよという人であれば、これすなわち円満なのである。

なるほどねと。

わたしはずっと主張をしない人だから、主張をする人にあこがれる節もあった。
それに主張をする人に対しては主張をしなければ対等になれないのではないかと思い込んでいたのだ。

違うのだ。

主張をする人に対して主張をしないことでわたしの円満大好き性格は満たされていたのだ。

性格が合わないほうがいい!


とまでは言い切れないかもしれないが、いいことを見つけられたのでだいぶ心がすっきりしたのである。

反発し合うよりやっぱり受け入れあう方が平和でいいよね。



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