「バカだからわからないです」の考察


聴く側の保険の言葉として、「すみません、わたしが馬鹿だからわからないです」という言葉がある。

これは間違っていると思う。


伝える方に問題があるという話

前職が塾講師で、その時に授業の研修を受けた。

研修のときに同期が「わたしがバカだからかもしれないんですけど、ここがわからなくて……」と口にしたことがあった。

それは授業の研修の時だったのだが、上司は「そうやって言う生徒も確かにいるけど、生徒がバカだから悪いのではなくて、こちらが伝えられるように話さなければいけないんだよ」と言っていた。


あくまでこれは対象が子供だからそうなのかもしれないが、大人相手に対しても同じだと思う。


英作文の話

学生時代に英作文を書いたことのある人はそれなりにいるだろう。

英作文を書く上で何が大切かというと、「自分の知っている単語を組み合わせて書く力」である。

無理におしゃれな文法や難しい単語を使う必要はなく、自分が無理なく使える単語や文法で書くことがセオリーとされている。


一見すると「わたしバカだから」という件となんら関わりの内容に感じるが、英作文を書くということはつまり簡単にわかりやすく書く、ということであり、英語に限らず日本語でも同じことが言えるのではないかと思う。

日本語だって、簡単にわかりやすく伝えたらいいのではないか。



算数の話

大人になったわたしたちが、ただの連立方程式で片付けてしまう問題を、小学生は「つるかめ算」で解く。

連立方程式を習わないからだ。

これはやはり、連立方程式という概念がまだ小学生には難しく、つるやかめといった身近(ではない)な動物でわかりやすく実践するという狙いも無きにしも非ずだろう。



結論

結局何が言いたいかというと、話が伝わらなかったときに、「わたしバカだから」を真に受けて、『相手がバカだから悪い!」と思ってはいけないということだ。

特に子供を相手にしたとき、簡単でわかりやすいものが優先されるように、大人同士の会話であっても「簡単でわかりやすい」コミュニケーションというものが求められるのではないか。


相手がバカだから俺の話が伝わらないんだ、と思う前に必ず自分の言葉を顧みてほしい。
どれだけ優しい言葉に変換しても相手に伝わらないのであれば、きっと相手はその概念を持っていないんだろう。

大事なのはコミュニケーションにおいて、どちらか一方が悪になることはないということだ。

相互理解を深めながら、時に自らを省みながらコミュニケーションを取るべきである。



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