会話って難しい

思考のレベル、みたいなものがあると思っててね、
レベルが高いものの方がより複雑で、緻密って感じ。解像度を要するというか。
レベルというより、深さ、深層みたいな言葉の方がしっくり来るんだけど、自分的には。
その層が、自分を基点としてざっくり三層に分けられると思ってるの。
・普段、自分が思考している層。思考層。自力で色々解き明かせるレベル。
・表現できる層。思考層よりも浅い。2層の距離は技術とか訓練で近づけられるけど、基本的には思考層と重なることは無い。
・聴いて理解できる層。思考の層よりも深いところにあって、自分の思考では普段たどり着けないけど、誰かの言葉や力で潜れる層。
浅い順に表現の層、思考の層、理解の層、とでもします。
もちろんもっと深いところもあるけれど、自分の視点で見えるのはギリギリ理解の層まで。思考のレベルっていうか、言語をベースとした思考の深さ、みたいなイメージかな。だから、無意識に深い層を感じるとかは全然あると思うし、言葉にできない感動みたいなものはそういうもんだと思う。自分が普段扱っている言語領域とは異なる領域に足を踏み入れる感覚。
余談にはなるけど、表現の層をどこまで深くできるかっていうものに演劇で挑んでいきたいと思っている。思考の層よりもっと深く、表現のままに潜っていけたらどんな景色が見れるのかなって。お客さんと一緒にね。

でね、思考の海が広がってるとしてね、
それぞれの海はもちろん全然違うの。人間みんなね。
普段どこを泳いでるかで似たりなんだりはあるだろうけど
この、普段、どのくらいの深さを泳いでるか
っていうのが、僕としては会話においてすごく大事で
全然違う海を泳いでる人でも、この深さが同じようなところだったら、話が合うし、めちゃくちゃ楽しいはずなの。
同じような深さで、似たような場所を泳いでる人だったら、
思考の層からそんなに離れてない表現の言葉を使ってもなんとなく通じたりするから、楽だし、話が早いんだけど。
相手の表現の層があまりにも浅いと、つまらないの。申し訳ない。自分の表現の層もものすごく浅くしなきゃ伝わらないし、疲れる。
そして相手の層が深かったら逆の思いさせちゃうから申し訳ないよね〜。
って、そういう話。

なんか、最近、言葉を発してても、
思考の層に掠りもしないような言葉ばかり探してて、
全然会話をしてなかったな〜って。
どこにでもあるような言葉ばっかりポコポコ浮かべていくのは、
会話じゃ無いよな〜なんて。

今、書いてるこの文章とか、このnoteに書いてることは、
伝えることを全然意識してない。表現の言葉として成っていないんだけど、
だから、思考の層に近いというか、
この文章で伝わって、わかってくれる人が居るなら
友達になって欲しいなと思うよ!

そう、今週、久しぶりに会話をして、笑ったの。
そこで、あ〜会話してなかったな〜、って思って。こんな文章。

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