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ガチャを引いたらカルトでた。①発信のきっかけ

はじめに、この記事は少し重い内容を書かせていただきます。

私が表に出て宗教2世であることを発信しはじめたのは、2022年7月の安倍元首相銃撃事件の翌月からです。

7月のあの日、家族が発熱しPCR検査の結果待ちだったため出社を控え、自室でテレワークをしていました。速報とSNSに流れてきたショッキングな現場映像に深く動揺しました。そして元首相を狙う犯行に対して怒り、回復を祈り、非業の死を悲しみました。それがその日の私でした。
この事件がその後、私の過去を大きく揺さぶるきっかけになるとは、その時は思ってもおりませんでした。

それから数日後、犯人のバックグラウンドがあらわになり山上容疑者が宗教2世であると報道を見て私は凍りついた。

――もしかしたら、私もそちら側にいたかもしれない。

ふと、そんな考えが自分の中に湧き出てきた。

――いやいや、そんな事はあり得ない。

今は普通の生活を営めている。生活には困っておらず、旅行や趣味を楽しむ余裕もある。しかしここまで来るまで、一言では語れない苦労を重ねてきた。未成年でゼロではなくマイナスのスタートだった。親も親族も頼れない。世間からバッシングの嵐、勉強もオウムにより取り上げられた。

――それでも、私は幸運だったのでは?

細い淵を渡りきり、崖には落ちなかった。
当時オウムの子は、親と共に切り捨てられた。学校に入ることも反対運動が起き、医療へ受診することを拒否していた医院もあったと当時から支援者の口から聞いた。その様々な重圧に耐えかね精神を壊し自死した友人もいる。彼とは死ぬ数日前も電話で会話をしていた。私も心を病み自死が頭をよぎった時期があったが、どうにか踏みとどまった。実は自死を踏み留まったのはオウムの教義で禁止されていたからで、何とも言い難い。

もし歯車がひとつ抜け落ちていたら、今の私は居なかったかもしれない。それに気づいた時、恐怖に身が震えた。

そう、画面の向こうの男性はifのルートを辿った私かもしれない。彼は助けがなく世間を恨んでいた時期の私だ。それを考えた時、このまま誰にも過去を伝えず、息を殺して生きていてもよいのかと約ひと月ほど考えた。

――他人に伝える覚悟があるだろうか?

周囲に過去が知られ、私も母のように仕事をクビになるかもしれない。親しかった人に罵倒されるかもしれない。恐怖の記憶が蘇る。
私は過去を考える時間が増えるほど、蓋をしていた感情が溢れ、毎日がグラグラ煮えたぎる釜の中にいるような息苦しさだった。こんな宗教のことで感情が荒ぶるのは何年ぶりだろうか。

――誰かにこの苦しさを聞いてほしい。

最初はそんな小さな願いからだった。
世間が注目している今なら相談する場所が見つかるかもしれない。今まで宗教2世として相談出来る場所も人も居なかった。私が未成年の頃はそんな言葉はなく、1世の信者に対して「成人してから宗教に入った皆さんと私では人生の基礎がなく違う」と何度も説明しても全く理解されなかったほどだ。
一縷の望みを託しネットの世界を徘徊した。
しかし、相談場所探しに難航した。言葉は悪いがたらい回し状態だった。こちらに相談してと連絡先が届くがすぐ次に繋がらない。内容が内容だけに、なかなか平日仕事をする身で外部で電話をするのも難しい状況だった。誰が聞いているか分からない。

そして辿りついたのがTwitterの宗教2世界隈だった。

意を決してTwitterのアカウントを作った。


瞬く間にTwitterの大海に私の言葉が放流され、多くの支援者や宗教は違えど苦しんでいる方々に繋がっていった。ここなら言える、声を受け止めてくれる方がいると。アカウントを作った当初は、取材依頼や私と会いたいとご連絡が殺到して目紛しい日々であった。仕事と当時治療中だった病気による通院の合間を縫って対応した。
鉄は熱いうちにという、世間が注目しているいま動かなくてはいけない。

――やっとだ、やっと気づいてもらえた!聞いてもらえる!

当初その興奮で気づかなかったが、長らく止まっていた私の時計がこの時から動き出していた。今まで見て見ぬふりをしていた私の心の傷は全く治っていなかった。公認心理士さんの話しを聞く機会があり、トラウマのフラッシュバックは「冷凍保存」と言われていると説明を受けた。フラッシュバック時は、匂い、感覚、感情が瞬間解凍されるのだ。
その通りだ。10年以上前に乗り越えたと思っていた宗教と宗教から来る2次被害により痛めつけられた傷口が痛み暴れ狂う。いまの自分のことではないのに、トラウマが蘇る度に「消えてしまいたい」と泣き続けてしまう。

そして厚生労働省による宗教2世の対応をまとめた、ガイドラインが発表される。

宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A

私の場合は、かなり該当する。
唯一暴力は無かったが、教祖と学校を常に天秤にかけられ学校を選ぶことを許されなかった。(学校を選ぶと親と自分双方、信者の親族と幹部たちの説得や電話攻撃など大変なことになるので出来なかった)土日や放課後は絶対道場に通い。最終的には出家をすることで学校に通えなくなった。また大人でも根を上げる過酷な修行に何回も入り、食事の回数や内容、睡眠を制限され身体的精神的にも追い込まれた。私はこうしてオウムに洗脳されていった。これは別記事で詳しく書かせていただく。

私が親や親族、幹部達から受けていた行為は虐待であったことを認識してしまった。

社会はやっと動いたが、2世の心は壊れたままなのだ。
それは私とは宗教が違う2世たちも同じだった。


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