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「とりま」精神をもつ

アラフィフは死語(この言葉自体が死語な気がする)をポロポロ使ってしまう。
若い世代の使う言葉も何とか理解したいけど、自分で使うことはない。

「とりま」もそうだ。

はじめて聞いたときは「ねぎま」と間違えた。
とりあえずまあ、を短くする意味もわからない。
短くしたいくせに、「まあ」という本来の意味を理解するのになくても支障がない副詞の一部を残すという矛盾も受け入れがたい。
書けば書くほど自分のめんどくささがでてしまうからもうやめておく。

なので言葉としての「とりま」には違和感が残るけれど、メンタリティとしてはとても重要だと考えている。

他者から避難されないように、空気を読まない人だと言われないように、オトナは何事にも慎重になりがちだ。
「昇進したくない」と人事考課の面談ではっきりいう若い世代もいて、キャリア教育が初等教育から行われて、ライフプランを就職前に描ききっていると感じることもある。
そんな真面目な人にとっては、大学卒業後の人生は答え合わせのようなものなのだろう。
○歳で結婚、マイホーム購入、子どもは○人…
描いたプランを意識しすぎると、自ずと冒険しなくなる。

「とりま」精神、ある程度は必要じゃないかな。
それくらいのメンタリティでいたほうがラクだけど。
思ってた人生と違ってもいいし、たまには誰かと建設的に意見を戦わせることがあってもいい。
結果にコミットするかどうかは結果次第だ。

とりま、今日は帰ったらひとりでビール飲もう。
(とりまの使い方があってるのかわからない)


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