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人間性の欠落の自覚

同じ部署のアラフォー女性は転職組で、役職なしの仕事で構わないから家族との時間を大切にしたい、WLBでいえばL重視タイプだ。
それは少し極端で、ご主人の出世も望まず、「平でいるようにしてきた」と自分で言うほどだった。
昇進試験などを受けなくていい、転勤せずに家族の時間を大事にしてほしいと、ご主人に言い聞かせてきたと本人から聞いたことがある。

そんな彼女も、社内や取引先、ママ友達が自分より若くして昇進していく姿を見て、気持ちが変わってきたようだ。
「今年度はこういう仕事をして、これをクリアしたい」と、聞いてないのに宣言してきたときにそれを感じた。

今月から彼女のお父様が緩和ケア病棟に入院し、いよいよだと休暇をとって、そろそろ1週間になる。
そのときがきたら引き続き休暇になるから、正直、今月は彼女をいないものと思って仕事を進めている。
彼女はこれまでも「幼馴染みのお父様がなくなったのでお葬式に行ってきます」「親友の(以下同文)…」と休暇をとることがあった。
そういうことを大切にする人なのだとわかっているし、ハンコを押す側としては理由の如何は問わないのでそれは構わない。
でも家族でない人なら、大事な仕事のときには休んでお葬式にいけなくても、後日お宅をうかがったりしてもいいのではないかと内心思う。

こういうとき、自分が普通ではないから何も言えない。
私は父が亡くなったとき、「やっと解放された」とホッとした欠陥人間だからだ。

彼女から「今日もお休みいただきます」と毎日メールがくるたびに、彼女とご家族を気遣う前置きを書くべきだと思って頑張ってきたけど、もうそれが尽きてしまい、「承知しました」とあっさりしたメール返信になっている。
気遣い文を様式美のように形通り連ねるのは、かえって空々しく思える。
でもそれが気になったのか、金曜に会社に顔を出したのだそうだ。
私は外回りで不在だった。
「父がこのまま落ち着いてくれたら、来週の他社との大きめ会議には何とか出席したい」と話していったそうだけれど、彼女は来ないものとして対応を考えているから大丈夫だ。
たぶん彼女は、自分がいなくても仕事が回る状態を感じて少し焦っているのかもしれない。

私がその場にいなくてよかった。
「こっちは大丈夫だから心配しないで休んで」と言うしかない場面で、彼女がその言葉にイヤミを感じとったらパワハラになりかねない。

自分の欠陥をわかっているから、それを過剰に隠そうとしてしまう卑屈さも自覚している。
上っ面だけは普通を装うことができている気がするけれど、心の奥底にはギスギスした違和感を抱えたまま、年を重ねてきた。
仕事をしている間は、このまま頑張ろう。
違和感の1リットルや2リットルくらい、飲み込める体力はまだある。


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