石原吉郎・吉本隆明

枯れ果てた蒲公英を見つめていたとき、ふと、石原吉郎を思い出した。蒲公英は、からだじゅうの水分を奪われ、うなだれる。雨のなかに佇む、傷だらけの男のような蒲公英。それは、石原吉郎の姿によく似ていたのだ。萎れた蒲公英は、うつくしいと呼べるのだろうか?わからない。石原吉郎の詩も、うつくしいと呼べるのだろうか?それも、分からないが、疲れはて、水分をすっかりなくしたような石原吉郎の姿をずっとみつめていても、おれは飽きることがない。頼むから、そこにいておくれ。このまま。

吉本隆明の詩を読む。いや、見つめる。絶望のなかで、すっく、と立ち上がっている詩である。吉本隆明は、やや、回りくどい言いかたが多い。それは、躊躇、迷いが、吉本にあるからだ。それらが、彼のこころを迷わせて、詩のリズム感を失わせているが、同時に輝かせてもいる。自分以外の存在が、すべて、自分のこころを歪ませている、という窒息しそうな風景。吉本は、そんな風景をうつむき勝ちに歩いてゆく。そして、曇り空のした、おれは吉本隆明の詩を、ポケットに入れた。煙草がないと、何にも出来やしない。そんな苦しいとき、おれは吉本の詩を思い出す。


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