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◆ 話のネタ ◆ No.13『息子と自分の”初任給”』

 初任給で、大切な人にプレゼントをした場合、贈られた方は、生涯忘れられないような思い出になるのかもしれません。

【息子の初任給】
 今から、13年前の4月、長男が、初任給で、私と妻に、『帝国ホテル ペアディナー券』を、プレゼントしてくれました。 非常に、驚いたのと同時に、とても嬉しかったのを今でもハッキリと覚えています。

「帝国ホテルでフレンチのコースを2人で食べるなんて、これまでの人生でもこれからの人生でも、ありえないだろうな~」と妻と話しながら、出かけて行きました。

 夏の夕方で、随分すいていてフロアの数テーブルしか埋まってなく、その数テーブル毎に、専属のウェイターがついて、全部対応して頂けるような大変贅沢な状態でした。

 その時のフレンチが美味しかったのは、もちろんのこと、サービスも完璧、食事の主旨を聴いたウェイターさんが、最後にシェフを呼んできて、一緒に記念写真まで撮って下さいました。

 食事をしながら、静かで穏やかな満ち足りた時間を妻と過ごし、私は、こころの底から暖かいものがジワジワ湧いてくるのを感じました。 『この感情って何なんだろう?・・・・・・ 』 『・・・・・・・』 『そうか、この感情が、幸せという感情なんだ!!』と気づきました。 

『生まれた時、あんな小さかった子が、大病もせず無事成長し社会人になった。そして、私たちに初任給でこの食事をプレゼントしてくれるまでになった。なんて、幸せなことなんだ!』としみじみ感じました。妻も、まったく、私と同じ気持ちを感じておりました。

 自分が子供の時には気づきませんでしたが、親になり、子供にしてもらったことで幸せというこの気持ちに初めて気づきました。

      
【自分の初任給】
 私が大学2年の時、父は、47歳で他界しました。定時制高校の教師をしており、私が小さいころから、父の教え子2人が、私、弟、母を、いつも大切に気遣ってくれていました。 一人は、Fさんで、高校当時は、地元でも超有名な不良で、他校を退学になって定時制高校に来たそうです。もう一人のTさんは、超真面目な苦学生で、早くからお父さんを亡くされ、昼間働きながら、定時制高校に通っていました。

 父が亡くなった時、FさんとTさんとは、20年来のお付き合いで、葬儀の時も、2人が、親身になって取り仕切ってくれたので、近所の人が、「お宅には、非常にしっかりした親戚の人が2人もいらして頼もしいですね」と言われ、「いいえ、お二人は、親戚ではなく、教え子です」の答えに驚かれていました。

 それから2年半後、私の就職が決まり、FさんとTさんは、私が父を亡くしているのと、超真面目過ぎる(当時はそうだった)ので、「社会に出て大丈夫か?」と心配してくれて、就職祝いをかねて、スナックに飲みに連れて行ってくれました。

大学時代に、友達と大酒を飲み、歌い、踊りまくっていた成果がでて、そんな私を見たお二人は「これなら社会に出ても、何とかなるじゃろう!」と安心したそうです。

 
 
 やがて、月日が流れ、父の33回忌となり、これで父の法事もけじめと思い、母と相談して、FさんとTさんにも列席頂き法要を行い、4人で会食しました。

 私が、社会人になって30年経っていましたが、その会食の席で、Fさんが「そういえば、Sちゃん(私の事)が、就職した時、初任給が出たといって、手紙と新札の千円札10枚を送ってくれてたなぁ」 とおっしゃいました。 私は、まったくその事は、忘れており、母も覚えていませんでした。 当時の初任給は、11万7千円で、寮に入って1ヵ月研修を受けていたので、食費、寮費、新聞代を引かれると、手取りは、7万2千円でした。

 前職は、銀行だったので、新入行員は、札勘の練習をするために、初任給7万2千円が全部新券の千円札で支給されたのを思い出しました。

 F氏が、「その時にSちゃんにもらった手紙は、今も大切にとってあるんよ」と言われたのには、びっくりするやら、感激するやらでした。 するとT氏が「そうそう、Sちゃんが初任給出たゆうて、手紙と新券の千円札10枚を送ってくれた。 今も、手紙は、大切にとってあるし、お金もそのまま、とってある・・・・あのお金は、・・・・一生よう使わんわ!」とおっしゃった。

 私と母は、涙が出そうになるのを堪えるので精いっぱいでした。 

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