◆ 話のネタ ◆

毎週金曜日に1年間発信予定 ノンフィクション 『話のネタ』になれば幸いです。 ◆趣味:…

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毎週金曜日に1年間発信予定 ノンフィクション 『話のネタ』になれば幸いです。 ◆趣味: ① スポーツジム通い ZUMBA好き 昨年実績177回 ② 読書 2009年~ 912冊読破 ③ 映画 2009年~ 155本 映画館で鑑賞 ◆経験した仕事:金融、コンサル、IT

最近の記事

◆ 話のネタ ◆ No.19『新入社員研修 刈り上げ族六甲山縦走:銀行』

 約40年前、A銀行へ入行した時の1ヵ月の新入社員研修について、お話しましょう。 学卒同期が約165人、高卒同期約70人でした。(その3年後高卒の採用は、なくなりました) 4月1日から、当時関西にあった研修所で実施されました。  先輩から『銀行員は、身だしなみが大事、特に髪型は、重要。新人研修中は、それを肝に銘じるために、思い切り刈り上げている。 なので、入行直前に床屋で思い切り刈り上げてもらわないと、初日の髪型チェックでダメ出しされ、再度床屋に行くことになる』とアドバイ

    • ◆ 話のネタ ◆ No.18 『他人の銭は、重い! 2億6千万円』

       銀行員時代、最初の仕事は、お金を数えたり運んだり、ATM、CD、両替機のお金の管理でした。 支店でも現金を触れる人は、限定してあり、窓口、ATM等へのお金の受け渡しをする場所は、資金方と呼ばれ、カウンター内で胸までの高さのフェンスで囲まれ、床に赤いテープが貼ってありその中に入れるのは、資金元方と現金を数えたり、運んだりする私の2人だけでした。  勤務初日から、1万円札を縦勘定、横勘定と2度数えて、100万円ずつ封紙で縛り、銀行名、日付、自分の小印を押印し、100枚あるか

      • ◆ 話のネタ ◆ No.17『人は、何故会社を辞めるのか?』

         最後に勤めていた会社は、社員1,200人のIT会社でしたが、結構、社員が辞めるケースがあり、特に若い方が辞めるのが気になっていました。   以前、人財育成部にいた時に、学んだ中に、『人が、会社を辞めるのは、次の3つの事がすべてなくなった時に辞める』 とあり、本当に心にしみました。  1つ目は、 『 仕事が楽しい 』 と感じていれば、辞めない。  2つ目は、どんなに仕事がしんどくても 『 自分が成長している 』 と感じ  ていれば、辞めない。  3つ目は、 『 自分

        • ◆ 話のネタ ◆ No.16『刀を抜いた病院長!』

           人財育成部でCS研修(顧客満足研修)を担当していた時、重要キーワードに『助けを求めることは、弱さではなく強さだ!』というのがありました。  前職の銀行員時代にどうしても理解不能なお客様がいらっしゃったのですが、友人歯科医のことばと上記ことばで、そのお客様の思いが20年振りに分かったような気がしました。  そのお客様は、大きな病院を経営されているお医者さまでした。 お歳は、70歳を超られていましたが、自ら病院の経営、診療も手掛け、毎日12時間以上、朝から晩まで、一生懸命

        ◆ 話のネタ ◆ No.19『新入社員研修 刈り上げ族六甲山縦走:銀行』

          ◆ 話のネタ ◆ No.15 『女子高も過激化するのだろうか?』

           中学まで公立の共学だった。 高校は、地方都市の私立男子校で、中学から5クラス、高校で3クラス入り8クラスだった。 当時聞いた話だが、共学の高校に行った男子は、女子がいるので、高校になっても穏やかだが、男子校の場合は、女子がいないので過激化するということだった。 それでは、女子高も、過激化するのだろうか?  高1の夏、教室は、1階でグランドに面していた。 昼休みに、いたずらで、H君をグランドの大きな木に縛り付け、グランド側のカーテンを全部閉め5時間目の授業が始まった。

          ◆ 話のネタ ◆ No.15 『女子高も過激化するのだろうか?』

          ◆ 話のネタ ◆ No.14『半沢直樹のドラマは本当?メガバンクの実態』

           前職が、銀行員だったので、IT業界へ転籍時、半沢直樹のドラマ放映中に、お客様との打合せ時に『倍返しだ!』とか、良く言われました。 その時、ドラマを見ていなかったので、何のことか全く分からなかったので、半沢直樹のドラマを見て勉強しました。(池井戸 潤氏の小説は、読んでいました)  だいたい銀行用語に『倍返し』という言葉は、ありません。『だいて』とか『して』とかは、あり『だいて=代金取立手形の略』 『して=支払手形の略』とか。 但し、『倍返し』は、不動産取引では、使います。

          ◆ 話のネタ ◆ No.14『半沢直樹のドラマは本当?メガバンクの実態』

          ◆ 話のネタ ◆ No.13『息子と自分の”初任給”』

           初任給で、大切な人にプレゼントをした場合、贈られた方は、生涯忘れられないような思い出になるのかもしれません。 【息子の初任給】  今から、13年前の4月、長男が、初任給で、私と妻に、『帝国ホテル ペアディナー券』を、プレゼントしてくれました。 非常に、驚いたのと同時に、とても嬉しかったのを今でもハッキリと覚えています。 「帝国ホテルでフレンチのコースを2人で食べるなんて、これまでの人生でもこれからの人生でも、ありえないだろうな~」と妻と話しながら、出かけて行きました。

          ◆ 話のネタ ◆ No.13『息子と自分の”初任給”』

          ◆ 話のネタ ◆ No.12 『目を覚ませ やまだ君!高校時代のいたずら』

           私の高校時代の話。 ある地方都市の男子高だった。 高3の体育祭で、各クラスが大きな立て看板を作成しその出来を競うコンテストも体育祭の目玉だった。 立て看板は、OBであるF工業の無償の協力で、足場を組んで高さ7~8mもある大きなものだった。 その中で、あるクラスが、体育用の紺色の上下のジャージを着た、等身大の人形を作成し立て看板のアクセントにしていた。 体育祭終了後、その人形は、『やまだ君』と名付けられ各クラスを順番に訪問して来ることになった・・・・  私のクラスにやまだ

          ◆ 話のネタ ◆ No.12 『目を覚ませ やまだ君!高校時代のいたずら』

          ◆ 話のネタ ◆ No.11 『やってはいけない? 還暦同期会』

           5年前、還暦を迎え中学の同期会を8月に地元のホテルで開催しました。 卒業以来、本格的な同期会は、50歳の時に開催し、恩師も招き大いに盛り上がりました。 その時『10年後の還暦に、みんなで集まろう!』ということで、還暦同期会を開催したのですが、『もう2度と同期会は、開いてはいけない!!』と、心に強く決意することになりました。  当時人口20万人の市で一番大きな中学校、1学年8クラスあり330人位でした。50歳の時は、名簿作りから実施し、非常に困難を極めましたが、同期150

          ◆ 話のネタ ◆ No.11 『やってはいけない? 還暦同期会』

          ◆ 話のネタ ◆ No.10 『業歴40年の屋台のオヤジの目は侮れない!』

           若い頃から、おでこが後退しており年齢よりも随分老けて見られていました。(いわゆる若禿げ) 若いうちは、老けて見られて嬉しいこともメリットも感じませんでしたが、就職先が、銀行だったために、老けていたことが数々の武器となりました。  入行した当日、寮に入り1ヵ月の新人研修が実施されます。4人部屋で、2人が関東出身、2人が関西出身で一緒に生活をしました。初めて会った日から、同室の同期3人が私に対して敬語を使い、最初、寮長と勘違いしたとのことでした。(そりゃ、ないやろ~)

          ◆ 話のネタ ◆ No.10 『業歴40年の屋台のオヤジの目は侮れない!』

          ◆ 話のネタ ◆ No.9 『女性の涙と男性の思い込み』

           34年前の話、実家が地方都市で、勤務が大阪だった為、地方都市 ― 新大阪間を新幹線で年に何度か移動していました。  ある秋の日曜日、お昼頃、私が地方都市の駅で新幹線に乗って帰阪する時のことでした。 新幹線に乗り込んだ時デッキに、それは、それは、美しく女優のような若い女性がたたずんでおり、ホームには、これまたハンサムな男性が彼女を見送っていました。 その美しい女性は、声を出さず、涙をボロボロこぼして泣いていました。男性は、涙を必死でこらえて、彼女を見つめていましたが、

          ◆ 話のネタ ◆ No.9 『女性の涙と男性の思い込み』

          ◆ 話のネタ ◆ No.8 『巨大台風でもイージス艦は出撃可能か?』

           今から、15年前、中学の大規模な同窓会が、50歳になって、初めて実施されました。 私の中学は、ある地方都市にあり当時は、1学年8クラスで市内で一番大きな中学でした。  それを契機に、中学卒業後35年ぶりに同級生と連絡をとるようになりました。 そんな友達の1人にK君が、いました。 K君は、中学卒業後、直ぐに、海上自衛隊に入隊していました。   東京で、中学の友人と4人で飲んでいて、「K、おまえ、自衛隊行ったんじゃけん、いっぱい車や、戦車や、特殊車両の運転免許持っとろうが?

          ◆ 話のネタ ◆ No.8 『巨大台風でもイージス艦は出撃可能か?』

          ◆話のネタ◆ No.7 『末期癌を克服したハトおじさん』

           東京に7年半 単身赴任してた時、健康の為、毎朝有楽町から 晴海迄歩いて出勤していました。 約30分、直線距離で 有楽町 ⇒ 銀座 ⇒ 築地 ⇒ 勝鬨橋 ⇒ 晴海 の間にいろいろな事がありましたが、本日、ご紹介するのは、最も印象深かったハトおじさんの話です。  そのおじさんとは、ある初冬の朝7時15分位に、東銀座で会いました。 私が、歩いていると後ろから前かご付きのママチャリでゆるいスピードで私を追い越して行きました。 驚いた事にそのおじさんを10数羽のハトが追いかけている

          ◆話のネタ◆ No.7 『末期癌を克服したハトおじさん』

          ◆話のネタ◆No.6『猫バスとミッキー米国の中国と日本への期待差』

           以前、健康の為、毎朝、オフィスの3つ前の駅で下車して会社まで、40分歩いて通勤していました。 ある日、会社最寄りのバス停で、カワイイ幼稚園児がママとお迎えバスを待っているのに出会いましました、その時のお迎えバスが、とっても素敵な猫バスだったのです!  猫バスから、幼稚園の先生が下りて来られると先生も園児もママも深々と頭をさげて元気な声で「おはようございます!」と爽やかに挨拶されていました。 そばを、通りかかった私まで爽やかな気持ちになったのでした。   挨拶をされてい

          ◆話のネタ◆No.6『猫バスとミッキー米国の中国と日本への期待差』

          ◆ 話のネタ ◆ No.5 『韓国の兵役と防衛大学』

           今から、約20年前、外部研修で知り合った韓国出身の男性Cさんから韓国の兵役の話を伺いました。 当時20代後半でしたが、20代前半で3年間兵役を経験したそうです。入隊前は、自分でも『超やんちゃやった!』と語っていました。  まず、入隊初日、全員が海辺の砂浜に集められ、下半身丸裸になるように命ぜられて超厳しい訓練が、始まったそうです。 やんちゃでならしたCさんもあまりの厳しさに根をあげながらもなんとかついていったそうです。 そして、入隊初日の消灯時間には、全員が寝床の中で、

          ◆ 話のネタ ◆ No.5 『韓国の兵役と防衛大学』

          ◆ 話のネタ ◆No.4『彼女へのプレゼント 視覚/嗅覚/味覚へアプローチ』

           40年以上前の話。 当時私は、大学生でやっと彼女ができ、付き合い始め初の彼女の誕生日、気合を入れて何をプレゼントすべきか一生懸命考えました。  私は、毎朝、親友の1歳年上の彼女と列車が一緒で50分、いろいろ話ながら、大学に通っていました。当時、親友の彼女S子さんは、社会人でした。  S子さん曰く、「私の友達に、ある男性から何度も付き合って欲しいと言われている娘がいるんだけど、1度だけあるプレゼントをもらった時に、一瞬、この人と付き合ってもいいかな?と思ったことがあっ

          ◆ 話のネタ ◆No.4『彼女へのプレゼント 視覚/嗅覚/味覚へアプローチ』