阿武隈クラブの支援記録(メモ書きから見る)

活動の記録としてブログをアップしたりしているわけですが、実は殴り書きのようなメモなんかも残っていたりします。能登半島震災からもうすぐ2カ月です。なんとなくメモというのは、その当時の臨場感というか緊迫感があって非常にいいものです。

 公開できないような内容は外しておきますが、軽く紹介します。あくまでメモなので文脈などはひどいものですが、どうぞ。


このメモは各役場の対応を示したもので、1月10日に阿武隈クラブの猪俣に電話連絡してもらい書いてもらったもの。役場の名称は伏せておきます。段落ごとに役場が違います。


1/15〜避難所の支援として来てほしい
ライフラインが整備できてない
避難所の支援をしてほしい
具体的になにがしてほしいかは避難所の支援で手一杯になっている


物資は○○体育館で受け入れ
災害ボランティア受け入れ準備中 社会福祉協議会で決まり次第


災害ボランティアの受け入れはホームページで更新されてからの問い合わせ。交通規制やライフライン復旧目処がたっていないため
灯油 ガソリン等は市街地から離れたところで必要との声が寄せられてる。
日持ちのしないものばかりで飽和状態の為レトルトや缶詰のようなものが必要。


支援物資は役場での受け入れ
ボランティアセンター立ち上げ開始しているがボランティア活動を開始するまでには至らず(交通規制やライフライン復旧目処が立っていないため)


ライフラインが機能していないためか、電話はつながりませんでした。
災害ボランティアセンターで情報更新
活動については具体的にまだ言えないけどそれでも良ければ訪問して欲しい。
文化ホール2階に来て欲しい。
担当者は決まってないため会社名と長田さんの名前を伝えれば話は伝わります
訪問日時決まり次第一報入れる


※考察

各役場の対応が全然違いますね。震災から8日経過している。この8日という時間をどう捉えるか。何も食わなければ生命維持ができないでしょう、ずっと野宿というのも現実的ではない。しかし、役所で管理ができていないということは誰が一体支えているのか?ズバリ民間の支援団体がこの期間は全面的に動いています。もちろん行政ラインの物資もありますが、このメモからすべてをカバーできているようには感じられません。行政が力を発揮してくるのはもう少し先になります。



1/17(水)市役所 訪問 

会談
現状、自身も被災者であり、家族は避難し、自身は役所で寝泊まり役所内は忙しい。
人命救助は落ち着いて次のフェーズそれは二次避難であって、それを随時行っている。
阿武隈クラブでできる支援について聞かれた。
ピンポイントでの物資の支援、経験則からのアドバイス、人を繋いで有力な支援が出来るように伝えてある。
村の医師本田先生について紹介した。
2/2に本田先生が来ると行っていたが、現状必ずしも必要かどうかはわからない。
というのも医療チームが来ているから。写真は取っている。
現地で確認出来たのは20名程度(看護師含む)である。 
現状高齢者が多く、水がない。

その後、支援要請証明書がほしいと伝えたところ、現状ボランティアセンターが開設されてないため、記入できない。
支援活動を要請としてできないかと伝えたところ、民間の支援をしているとこで、公式に避難所として認定していない場所だと、現状支援していることは知っているが市の要請ではない、なので阿武隈クラブが市の支援活動をしている証明ができない、
それは被災した本部の判断である。役場は現状決定件を持っていない。
決定件は災害対策本部である。
これは推測だが、役所に不満があるのではなく、災害対策本部の対策に不満がある。理由は役場の活動、業務を評価していて、多少の連携はあるようだ、しかし支援に対しては本部が決定件を持っている為、被災者の役場の想いとは違う決定がある。
一方で、自衛隊は市の要請で動くことができるので、役場が要請すれば自衛隊は動くことができる。
これが今の現状。

サポート団体が大きければ大きいほど金の問題よりも素早く動く事のほうが価値が高い。

追記
避難者が当時は6000人を超えていた。
二次避難に関しては一旦金沢に行く、現状2ヶ月から3ヶ月必要で、それは難しい
集落ごとの避難が望ましい形で、それを福島2500持っている旨を伝えている。それは、現状情報の精査ができていなく、それは2ヶ月後3ヶ月後の話になるであろう。
受け入れ先として福島を提案している。
これは防災対策本部に了承を取っている。
現状、動きたがらない高齢者が多く、それに悩まされている。

ある会社が市の委託を受けて物資の支給補給の担当を任されてるが、機能していない。
最近になって民間が管轄している食い物も役所の管轄してる食い物がなく民間の支援を物資に市が手を付けた。との報告がある
市の物資支援の業務委託を受けた会社の尻拭いを民間が行っている。
にもかかわらず役所から、非公式民間支援団体とされている。


※考察

こんなメモも取っていましたね。1月17日です。やはりまだ混乱している様子がありますね。現場はこんな感じで民間の手を借りていないとどうしようもない状況が見受けられますね。非公式な避難所は支援実績にはならないと書いてありました。つまり、存在は知っている避難所であるが非公式な避難所。そんなところに物資を送るはずもなく、このあたりでも民間の支援団体が必須であることが分かります。


飯舘村なりの支援の仕方

震災後の体験談経験、行政の対応自分等のコミュニティが破壊された今の被災地に情報共有をして災害大国の日本の生活の仕方や、with原発をもう一度考えるべきである。
その飯舘村なりの支援の内容として、セミナーや講話、放射線のこと、コミュニティの現状、人口減少、こうした潜在的ものを考えるべきである
物資や人道支援だけでなく、災害地域の生活の仕方、生きるすべを支援する
PDF等を作り、役場や支援団体へ周知しなにかあれば支援へ行く。


色んなメモを残して活動し、見返してみるとまた違った見方をすることができます。ブログで紹介するような内容ではないかもしれませんが、メチャクチャな文章がまたいい味を出しています。

最後に、村の医師である本田先生と「チーム飯舘」で支援に行った時の、記録がありますので公開しておきます。やはり博識な方の文章は私が書くものよりもいいですね(笑)

能登震災 珠洲市 飯舘村民支援チーム活動記 本田紀 24.2.9版Fin-1ダウンロード

こちらは非常に読みやすくなっております。


今日はここまで。画像のないブログにお付き合いありがとうございます

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