Osada Takuya

地方移住して2年が経過😀 時間の使い方も仕事も全然変わって人生が大きく動いた!! やり…

Osada Takuya

地方移住して2年が経過😀 時間の使い方も仕事も全然変わって人生が大きく動いた!! やりたいことが100倍増えました。 飯舘村という原発と闘い続けるこの地域で、多くのストーリーが生まれています。そんな日常や思考を共有できたらなと思います😉

最近の記事

珠洲から東日本大震災の現場視察 ~番外編~

お粗末なブログをいつもご覧なっている方々に感謝をしつつ、今回は番外編です。 飯舘村~珠洲市まで約700キロくらいあります。移動時間にすると8時間以上はかかりますので、まあまあな体力を使うことになります。視察のために来られた多田さんも長い運転で三陸まで一気にとはいきません。ということで、 多田さんに飯舘村で一泊してもらいました(笑) 阿武隈クラブの代表である小林美恵子、造園業の塚越さん、村のお医者様の本田先生、東京からジャーナリストの菅沼さん、須須神社の神主の多田さんに私とい

    • 珠洲から東日本大震災の現地視察 ~気仙沼編~

      3月26日~28日にかけて須須神社の神主、多田千鶴さんと東日本大震災の被災地へ復興視察に行ってきました。13年前の教訓をもう一度インプットしていき、そのプロセス、現状どのような工夫をして復興していったのか。今回の視察は気仙沼、南三陸、大船渡の役場職員に案内してもらい、非常に丁寧な対応をしていただきました。 視察の最初は気仙沼です。この写真は湾の商業施設から撮影していますが、非常に高い位置に商業施設があって、このゲートは津波がくると閉まる仕組みになっています。もちろん居住地域

      • 珠洲から東日本大震災の現地視察 ~南三陸編~

        次は気仙沼視察の続編、南三陸の視察編です 南三陸では町長がご対応してくれました!!めちゃめちゃキチっと対応していただいてちょっと緊張気味な多田さんでしたがご紹介していきましょう。 基本的には気仙沼の復興と似ていますね。同じ宮城県ですから「まずは防潮堤」がメインになりますが、南三陸は暮らしにフォーカスをしてお話していきたいと思います。 南三陸町で印象的だったのは集約的な街です。この写真の病院はまさにオールインワンの病院で福祉施設から入院までを担っています。玄関も一緒ですし

        • 珠洲から東日本大震災の現地視察 ~大船渡編~

          今回は大船渡の視察編です。気仙沼、南三陸町は宮城県。大船渡は岩手県になります。 大船渡の視察では、一番長く対応していただいたにも関わらず写真は一枚しかとっていないという大失態でございます。文章が中心になります(笑) 会議の場所はキャッセン大船渡というところで、商業施設のなかにこういった会議室があったりします。役場の職員の方、民間の方、キャッセン大船渡の代表の田村さん等、色んな方が集まってくれました。この後は一緒にお酒の席にまでお招きしていただき、本当に感謝です。  岩手

        珠洲から東日本大震災の現場視察 ~番外編~

          復興とキリコ祭りの深い話(関係)

          今回は復興を考えた場合の「地域とキリコの関係」について 前回のブログでも少し触れましたが、14日に寺家の漁師さんと色々と話をしたんですけど、実は地元の若い方(こうた君)も一緒に話をしていたんです。非常に有意義な話になったのでその紹介をしますね。 復興の絵を考えていました。後日紹介しますが、寺家の地元の方と東日本大震災の被災地である「気仙沼、大船渡、南三陸」に視察に行きます。詳細は次回をお楽しみに!!  今回の能登半島の震災で過疎化に拍車がかかっていることは地元の人も十分に

          復興とキリコ祭りの深い話(関係)

          能登半島 震災支援 県庁、珠洲市役所訪問

          3月12.13.14.15日に石川県にて色々とやってきましたので、今回はメモ感覚で 水産関係 →珠洲市でも漁協を通して行われたみたいだが、HPに記載のある内容の説明なんでしょうね。被災者の漁師さんの道具とか漁港の設備にいくら補助金が出ますみたいな話だと思います。 まあ実際のところ、漁港の復帰ができるのかが一番フォーカスされるべきところで壊れてしまった施設を直す予算とかよりも、どのくらいの漁師が残って、どのくらいの規模で再建させていくかが決まらなくては、船を買うのも道具を買う

          能登半島 震災支援 県庁、珠洲市役所訪問

          須須神社の復興オープンチャットを開設しました

          表題の通りなのですが、LINEのオープンチャットを開設しました。能登半島の今を伝えたり、色んな形に携わる人を増やそうというのがテーマです。3.11は東日本大震災の日ですが、この大きな震災にも今がありまして、13年たった今でも様々な問題に直面していることはあります。  震災大国の日本ですから、今後「震災はある」ということをしっかり認識しておくべきですし、情報共有が不安を解消することだってあります。そんな意図でオープンチャットを開設してみました。私自身もLINEのオープンチャッ

          須須神社の復興オープンチャットを開設しました

          能登半島支援 須須神社

          ブログをアップしました!これからの支援の形

          能登半島支援 須須神社

          珠洲市の復興を考えてみる

          先日、オンラインで多くの方々とお話する機会がありました。ざっくりいうと「復興の定義」みたいなものですね。過疎化の問題もあれば、街の維持に至るまで。街は人間なしには存在しません。人がいて街ができている。すごく根幹的な話なんですけど、能登半島の復興って、この「そもそも論」みたいなものを含んでいるかもしれないと感じました。  そこそこ人口の多い地域にいると感じることはないのですが、集落っていうのは吸収、合併、消滅を繰り返しています。まあ言ってみれば自治ができてますか?みたいな話な

          珠洲市の復興を考えてみる

          能登半島震災のこれからの絵をイメージする

          東日本大震災から13年です。実は、須須神社の地域(寺家地域)の住民と一緒に、東日本大震災の復興具合を見に行こうという話をしています。まだ確定している話ではないのですが、今後の能登半島の復興に大きな意味を持つと思い提案したところ、視察に行きたい!と希望ある回答が(*'ω'*)        早速、気仙沼、大船渡、南三陸町に連絡を取ってみました。役所から日程調整をしてほしいとのことで、現在視察の準備に取り掛かっているところです。進捗は追ってこのブログでお伝えします。 これは寺家

          能登半島震災のこれからの絵をイメージする

          キリコ祭りはできる!!

           こんばんわ、阿武隈クラブの長田です。今回、非常に希望に満ちた記事を紹介します。 これですね。夏は能登半島の全域で行われているキリコ祭りですが、現地からは祭りの開催は厳しいだろうという見方だったキリコ祭り。どんな形でもやるぞっていうことなんですかね。 東日本大震災の後も「東北六魂祭」というものが行われるようになりました。今回、能登半島の震災を受けてどんなネーミングの祭りになるのか分かりませんが、とても興味が沸きますね。このブログでも何度かお伝えしていますが、今回の震災は非

          キリコ祭りはできる!!

          阿武隈クラブの支援記録(メモ書きから見る)

          活動の記録としてブログをアップしたりしているわけですが、実は殴り書きのようなメモなんかも残っていたりします。能登半島震災からもうすぐ2カ月です。なんとなくメモというのは、その当時の臨場感というか緊迫感があって非常にいいものです。  公開できないような内容は外しておきますが、軽く紹介します。あくまでメモなので文脈などはひどいものですが、どうぞ。 このメモは各役場の対応を示したもので、1月10日に阿武隈クラブの猪俣に電話連絡してもらい書いてもらったもの。役場の名称は伏せておき

          阿武隈クラブの支援記録(メモ書きから見る)

          震災支援の隙間でやること

          能登半島震災支援の間に - 一般社団法人阿武隈クラブ IITATE (osada-takuya13.com)

          震災支援の隙間でやること

          能登半島 今後の支援の形

          ブログ更新しました

          能登半島 今後の支援の形

          能登半島支援の話

          能登半島支援の話

          能登半島支援 珠洲市へ

          ブログ更新しました!

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