選択した責任と誇り
例えば校則が厳しいと不平を言う
例えば料理がおいしくないお店に対してクレームをいれる
結婚相手や交際相手がこうしてくれないと愚痴を言う
そうしたものを見かけると考えることがある
当然、仲間内で話したり、自分の感情、思考の中の話ならどうこう言うところではないし、あくまで個人の考えなのだが…
私は自分の選択の問題であると考えている
もちろん、選択後に変わったことや程度の問題などもあるので全ての事柄ではないが、
それを選択した自分の判断が至らなかった点もあるなと考える
一つには、自身が影響を与えうる範囲のことしか変えようがないので自身のコントロール化の改善を意識するため
もう一つには、選択したときの自分をなかったことにしたくないからである
特に2つ目の理由が大きい
それを選んだ時、軽く判断したときもあれば苦悩して判断したときもあるだろう
しかし、その選んだ結果に対して
他者にだけ原因を求めるということは自身の判断に責任を持たないということではないか
つまりは選択した責任があり、その責任を放棄するということだ
それは自分が苦悩して選んだその苦労を否定することになる
私はそれが嫌だ
自分の選択が間違っていたとしても
それを選択した自分、それを選択するにあたって悩んだり考えたりしたことはなかったことにしたくないのだ
事前に調べたり比較したり相談したり
そうでなくても想像して考えることはできるはずで
大きい決断であればあるほどそれは自分と向き合って検討しているはずだ
その向き合ったこと、考えたこと、そして選択したことは
自分のもので
私にとってはそれは大事なことだ
私の人生は私自身が悩みながら選択してきたと自負していたい
だからその選択を大事にしたいのだ
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