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フィルム

日曜日の昼下がり、僕はアルバムを開いた。
高校生の時に携帯を買い与えられて、その画質が良くはないカメラで僕は写真を撮ることにハマった。
帰り道の夕焼けや公園の水たまり、なんてことない景色が写真という形に収めるだけで何か特別なものになった気がして愛おしかったのだ。
万年帰宅部の僕はアルバイトをして、高校卒業の前に初めての一眼レフを買った。
比べるまでもないが途方もなく綺麗に撮れるそのカメラであらゆるものを撮りまくった。
だが不思議と現像する、までは行かなかった。
膨大なデータとしてパソコンに蓄えられたそれらを見るだけで僕は満足だったのだ。

大学に上がると写真同好会なるものを見つけた。
そこで僕はフィルムカメラに出会った。
現像するまでどう撮れているか分からない、最初の方はピンボケ、逆光、いろんな失敗をしたがそんな写真たちでもより愛おしく感じることができた。
その頃には今の妻にも出会い、デートに行くたびにカメラを携えて出掛けていった。
このアルバムは色んな瞬間が詰まった言わばタイムマシンだ。

この写真は確か初めてのデートの時に撮った写真。
笑うと目が線のように細くなるのが可愛らしくてカメラに収めた。
ピントが少しぼやけているのが、また味だ。
これは、初めて喧嘩をした時の写真。
喧嘩と言っても小さな小競り合いのようなもので、機嫌を損ねた君はお気に入りのぬいぐるみを抱いて三角座りをして僕が何を言っても振り向かなかったっけ。
試しにシャッターを切るとその音に君は振り返って、わざとらしく頬を膨らませて僕に視線を向けた。
もう1枚撮り、ファインダーから視線を外すと君はいつもの笑顔で「カメラ馬鹿」と言ってケラケラと笑っていた気がする。

写真には香りがある、温度がある。
不思議と何年経ってもその時どんな事があったか、どんな話をしたか、曖昧でもありありと思い出すことができる。
撮り連ねたアルバムはもうすでに10冊ほどになる。
全てに記憶が宿っていて、頭の中にはスライドショーが流れる。
そうして物思いに耽っていると「カメラ馬鹿さん」と声を掛けられた。

時計の針はすでに3時を指していて、そういえば今日は出掛ける予定だったと思い出した。
促されたようにいそいそと立ち上がるとカメラを首から下げて、玄関へ向かう。

「ねぇ」と呼びかけると彼女が振り向いた。
長年の勘ですぐにピントを合わせられるようになった。
彼女も僕がシャッターを切ろうとしているのを察しているのか、振り向き様にしっかりと表情を作ってくれたが、さすがに突然だったから少しあどけない、それでも可愛らしい笑顔だった。

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