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[勝手に見どころ解説]吉例寿曽我@松竹座七月大歌舞伎


今年も船乗り込みで、にぎにぎしく開幕をつげた大阪松竹座・七月大歌舞伎。松竹座の七月は関西歌舞伎にとっては特別なもの。
関西での歌舞伎公演が少なかった折、関西で歌舞伎公演を盛り立てようと、昭和53年にボランティア団体を結成し、翌年昭和54年5月に朝日座にて「関西歌舞伎を育てる会」第一回公演が行われました。
そのときの出演者は、十七代目中村勘三郎、五代目中村富十郎、二代目澤村藤十郎、五代目中村勘九郎(十八代目勘三郎)、五代目坂東八十助(十代目三津五郎)といった錚々たるメンバー。
なかでも、澤村藤十郎は育てる会に尽力したおひとりで、現在、療養中で舞台復帰はされていませんが、関西で歌舞伎を盛り上げようという、その熱い思いを片岡仁左衛門が受け継いで毎年出演しています。その仁左衛門丈が、今年はどんな狂言(演目)、どのお役に出るのか、と、毎年注目があつまります。

現在は「関西歌舞伎を愛する会」公演として、松竹座・夏の恒例となったこの公演。関西の歌舞伎ファンは顔見世とおなじく、楽しみにしている七月大歌舞伎の見どころを、豆知識を交えながら、たっぷりお伝えいたします!

今回は松竹座では初上演の「吉例寿曽我」のご案内をいたします。


吉例寿曽我

三大仇討のひとつ、曽我兄弟の仇討ち

「吉例寿曽我」は、曽我兄弟の仇討ちを素材にしたお芝居です。歌舞伎には、三大仇討物と呼ばれる、敵討ち(かたきうち)をテーマにしたお芝居があります。
三大仇討のなかでお馴染みなのは、忠臣蔵。こちらは、江戸城内で、播州赤穂の藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が旗本の吉良上野介(きらこうづけのすけ)を斬りつけ、それによって、浅野内匠頭が切腹となった「松の廊下の刃傷沙汰」。そして、翌年、浅野家の家臣たちが敵討ちのため吉良邸に押し入り、吉良上野介の首を討ちとった『赤穂事件』を題材にしたものです。歌舞伎では、幕府に配慮して、実名での上演は避け、吉良上野介は将軍足利家の執事であった高師直(こうのもろのお)、浅野内匠頭は出雲の領主塩冶判官高貞(えんやはんがんたかさだ)に置き換え、太平記の時代のお話として上演されています。
そして、三大仇討の2つ目は、荒木又右衛門の「36人斬り」で知られる「伊賀越仇討」。こちらは別稿「伊賀越道中双六 沼津」のところでお話いたします。
さいごが、今回のお芝居に関係する「曽我兄弟の仇討」。曽我五郎時致(そがのごろうときむね)・十郎祐成(じゅうろうすけなり)の兄弟は、幼き折に討ち死にした父の仇を探しています。父・河津三郎祐安(かわずのさぶろうすけやす)を討ったのは、工藤左衛門祐軽(くどうすけつね)とわかり、富士の裾野で敵討ちを果たします。

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