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声の所在

悲しい事があった。
最寄の駅の近くにある本屋で、いつも立ち読みするコーナーは詩や文学。
新刊や裏には自己啓発や経済書。その表裏も面白くて、それはそれで楽しかったな。

悲しい事があった。
知らない間に詩や文学は別の場所にあり、あまり人が立ち寄らないような壁際に追いやられていた。
それでもやっと見つけて眺めてみれば、最近とても人気な人と、大河関連と、きっと作品は知らねど名前は知っているであろう中堅と、大御所のみであった。

それまであった本の所在はもはやわからず、己のいつかの記憶力を呪う。
開かれた際に叫ばれる、あるいは呟かれる、朗々と読まれる声の所在はどこへ。

立ち読みでしか摂取出来ない貧困層の人間でしかないことも、
そこに確かにあった主張や表現の中心を知り得なかったことについて、
もう殴り倒してしまいたい。
何に、私に。いや、それだけでも、ないんだよね。

悲しい事がある。
帰りに寄れそうな最寄の書店にも、売れ筋、勉強、昇進、王道、守り、理路整然の波が以前より強く押し寄せてしまっていること。
あぶれた人間の所在はいつも消されてしまうマジョリティの暴力に、またも成す術なく途方に暮れる。怒り。
錨を降ろして沈黙する行為も、怒りである。

悲しい事がある。
だから、その全てを刮目している。
取りこぼさない様に。

人は哀しくも忘れてしまうから。


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