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食は生きる事、性格も出る

この間の漫画については自粛期間中だったが今回は直近に触れた作品。

作りたい女と食べたい女

最近はドラマもやっていたが私は原作の漫画5巻セットをkindleにて大人買い。大人買いもそんなにしないがちょっとずつ選択するようになった。

料理系の漫画は他にも沢山あるし、食べるものであれば「孤独のグルメ」が好きだが、それは漫画というより松重豊さんをすきなドラマファンである。

何故かこの作品は引っかかるため、少し考えてみた。
以下ネタバレ等含むので読んでいない人はスルーを推奨。


私は野本さんのように美味しく作ってくれる人をいつも欲している。
そこまで作ることに興味がないからだ。逆にちょっとのことでも大喜び出来る、スーパーで。とはいえ十々子さんのように大量に食べることは出来ないので、大量に作る欲は満たせない。可菜芽さんのように全く作らないという選択が目標だ。食のことを考えている人が作る美味しいものを食べたい欲は物凄くよくわかる。しかし先立つものの少なさを考えると、そうも言っていられない。また食べられない食材の多さを考えると、作ってもらう事への申し訳なさもある。アレルギーではないが食べない食材は生や果肉の残ったトマトとフルーツ。給食のフルーツサンドという地獄。パクチーも苦手な民である。

で。南雲さんのような食事に対して苦手な部分が自分にもあった。勿論友人と外食に行ったり(というか呑みに)普通に「美味しいね」と食べるのだが、限定的に「職場で」食べることに苦手意識がある。自分の席でも、休憩室でも、職場というだけで若干のストレスを常に感じていることに気付いた。最近胃がね。前職では外に食べに行っていたがコンビニの駐車場脇でコソコソ食べていたし、お店もなるべく人の少ない所を選択したかった。学校の給食も高学年になってやっと慣れた。この感覚は南雲さんとは別かもしれないが、それでも大きな発見である。極論を言えば私は酒が好きなので栄養素も一緒に摂れてお腹も満たされる酒があれば満足かもしれない。噛む行為はガムにお任せ。
それはそれで哀しいか。

それから。
十々子さんの、家族に対する意識に抉られた。南雲さんの感情の揺れも。両者は食に対する意識から派生した家族への認知だが、食でなくても家族への認知はずっと根強く、根深く、その人を形作る要素だね。26話「選ばれた家族」での十々子さんの選択にこの先のこうでありたい自分の一部を感じている。今はまだ予感だけれども。読むのは辛く苦しいけれど重要な26話、私にとっても大切な回でした。

私は食というものに対して気心が知れた仲間と少人数で囲む時の安心感を求めているのかもしれない。
そして今は誰かと共に生きる事の選択肢はないが、家族は選んでいいし、形もそれぞれ決めていい。もっと自由な発想で、望む方へ進もう。
それを気付かせてくれた作品だった。

因みに「作りたい女と食べたい女」の前に読んだ漫画は「特別じゃない日」。何気にkindle大人買い。現在4巻まで出ていて、こちらも食の話が出たり、各々の関係性が散りばめられている重要な漫画。嫌いなキャラがいないって重要な要素かも。のこさんの作品も然り。

現在は漫画選定のテーマが無意識に家族や食になっているのだろうか。

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