下がってろ、俺がやる。的なサムシング

*2016年4月16日に書いた記事のリライトです。

昔から天邪鬼だった。

小学生。
身体も大きくないし、運動ができるわけでもない。
その他に埋もれないよう、人と違うことをして目立とうとしていた。
今、思えば、本能的に生存戦略していたのかもしれない。

中学生、高校生。
バスケが好きだったけど、万年補欠。練習でもチームのお荷物で。
料理人になるって言って、部活も辞めて、学校でも料理の本読んだりフランス語ラジオ講座とか聞いてたな。
この分野で勝てないのなら、あいつらができないことをやってやる。
自分の価値を見出すために、必死に他の人がやらないことをやっていた気がする。

大学生。
学生起業、起業支援系の活動を始めて、共に競い高め合う仲間ができた。
そうすると、この分野には信頼できるあいつがいる、だから俺はあいつができないことをやろう。って思えるようになって。
そんで、今までよりもっと変な分野に突き進んで。ジビエ猟師になるって弟子入りしたり、古民家の改築をDIYでやったりして。

そして今。
最近、こんな風に思えるようになってきた。
1000分の1のチカラを3つ身につければ、それを掛け合わせた領域では10億分の1の存在になれるはず。
俺は、この領域では絶対に負けない。
ここは、俺が引き受けるべき場所なんだ。って。

最初は天邪鬼に、他の人ができないことをやりたいとwantで突き進んでいた。
そうしてるうちに、だんだん専門的なできることcanが広がってきて。
そして今、これは俺にしかできないことなんだ。俺がやらずして誰がやる?と変な使命感的なmustが湧き上がってきている。
たぶんこれっていい流れ。…な気がする。

自分にしかできないことがあって。
それが少しでも社会に求められることならば。
そこにはきっと、人、お金、情報、たくさんの資本が集まってくる。…はず。
そんな感じの変な使命感と、若さゆえの過信を胸に、黙々と仕事をする毎日です。

久しぶりに仲の良い後輩と長電話をした。
ここに書いたような真面目な話は一切せずに、女の話ばかり長々と。
いい息抜きができたよ。また明日から頑張ろうや。

i hope our life is worth living.


またひとつさきへ