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こまきさわこ プロフィール 高校編 -1-

ちょっと中学時代の話からスタートしますが、

過酷な中学生活での私の成績は、学年3位でした。
1位取れなかったの悔しかったー!!w
やっぱ、向いてる人とか、そもそも好きな人にはかなわないですよね。笑

偏差値は68.8くらい。
覚えてる限りの偏差値最高値は71.4。
その後入った高校は偏差値74の学校でした。
ちょっと自慢に聞こえるかもしれないですが、いやまぁそういうところもあるので、実際自慢になるのかもしれないけど笑、

でも、本当にこんなにも苦しい中で、しかも、イヤイヤで、完全に犠牲して愛されるために勉強頑張って、偏差値71.4叩き出せるって結構すごいことだと思っています。
ほんまに自分を押し殺しての、我慢と犠牲と、根性でした。


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《しあわせを感じられた、でも、それが苦しかった》 〜高校編 前半〜


苦しい現状を変えたくて、高校受験ではめちゃくちゃ頑張った。
あんまり時間は覚えてないが、ひたすら勉強していた。中学受験ではいやいやで、やらされで勉強して第一希望には受からず、どえらい目wにあったので、今回は自主的にやった。


机には塾と同じ『日々是鍛錬』と書き、自分なりの勉強法を作って勉強していました。なんなら受験の前は『必勝』という鉢巻つけていた。(←昭和w)

(私は数字的なものは苦手です。そして、概念や全体像がつかめないもの、自分の生活からかけ離れたものや興味を持てないものに関しては、全く理解できないところがあります。

なので、苦手だった地理も白地図(知ってますか?売ってるんです。真っ白な地図)を買って自分で教材を作って、少しでも興味が湧くようにしたり、楽しんでできるようにして覚えたりしてました。そういう意味ではクリエイティブに勉強してました。)


塾の先生たちの応援もあり、晴れて念願の第一希望、県立1の高校に無事合格、そして入学。

高校の日々は友達も恋人もでき、比較的穏やかな日々が訪れる。
(とは言っても、それはいじめにあうことがなかったということであり、そうは簡単に問屋はおろしてくれませんでしたが。笑  )


人生で初めて彼氏ができる。その彼氏は本当に自分のことを大切にしてくれた。初めて安心できるという感覚を教えてくれた。

すごく幸せ。初めて幸せというものを感じた。お互いがお互いを心から好きで、心から大切に思い、夢を応援しあって、支えあっていた。(その彼氏と大人になって話した時に言ってたのが「本当に真剣に、真面目に、大人が付き合うように付き合っていたよね。」ということ。初めて付き合った人がこんな人で、こんなお付き合いで、本当に良かったなって思ってます。

そんな、大切で大好きな彼は、ある病気を患っていた。 

『漏斗胸』という病気。詳しいことはわからないのだけど、胸の真ん中がへっこんでいる、肋骨が正常に発達しない病気で、手術をしないと治らないが、当時その彼がお医者さまから言われていたのは「手術の成功率は50パーセント」だということだった。50パーセントの確率で死ぬということ。

その彼を救いたいと自分にできるあらゆることをして、色んな大人に相談した。色んなところに一緒に行った。そんな中、一番信頼する人に言われたことは『小牧、お前ができることはないよ』だった。絶望した。彼の役に立つことはできないし、彼が死ぬかもしれないのを、ただ、どうすることもできず見ているしかないのか。そんなの辛すぎる。

そんな中でも彼は勉強も水泳もすごく頑張っていた。私とのお付き合いも、きちんと時間をとってくれて、交換日記(本当に素敵でしたよ。交換日記おすすめ)も2冊用意して、毎日書いて交換してた。応援団(女子はチアガール)も私の誘いで入ってくれて、一緒に頑張っていた。
病気、お付き合い、水泳、色んなことを頑張りながらも、勉強もきっちりしていた。本当にすごい人だなと今でも思う。強い人だったなと。

私も彼も、お互いの夢に向かって頑張っていた。私は直接的に何か作業を頑張ることはできなかったから、親との問題から逃げずに、自分の夢をどうやって叶えるか。自分を生きることを日々頑張っていたし、進路についても悩んでいた。
対人恐怖や強すぎる自己嫌悪や強迫観念も依然あり、さいなまれ様々なものを抱えている中で、何とか自分の人生を切り拓こうと必死にもがいていた。
そんな私のことを彼はとても好きでいてくれて、価値を見ていてくれて、そして応援してくれていた。

でも、一方で、こんなにも幸せなのに、こんなにもお互いを大切にして大好きなのに、死んでしまうかもしれない。その事実と重さは私の心を蝕んでいった。
他のことがうまくいっていたならまた違ったかもしれない。
でも親との問題も、生きづらさも、何も変わっていない。いじめは無くなったけど、本当に大切な人ができた幸せを味わった上で、それがなくなるかもしれない、そしてそれは自分が直接どうにかできることではない。今が幸せで、素敵であればあるほど、その事実に押しつぶされて行った。

抱えきれず、その悲しさや不安や恐れが強すぎて耐えられず、私は他の人に心惹かれてしまう。その彼は本気で好きだったわけではなく、苦しさからただ何も悩みがなさそうな、気楽な人(←失礼w)に気持ちが惹かれただけだったし、打ち明けることも、行動することもなかった。

でも、そんな些細なこと とは当時の自分には思えず、『こんな良い人、そしてこんなにも大切にしてくれて、病気で苦しんでいる彼を裏切ってしまった』と『なんて酷い人間なんだ』と最低な自分を責めに責めて責めまくった。


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めっちゃ長くなったので続きます。



【 追記 】

※衝撃の事実発覚!!(でもなかった。追記の追記あります)

このブログアップした後に、その彼から連絡あり

『漏斗胸は死ぬような病気じゃないよ』

チョットマッテ

漏 斗 胸 は

死 ぬ よ う な 病 気 じ ゃ な い よ


まじかー!!

やばい。

なんか色々やばすぎて笑えてきました。笑

なんだったんだ

要らん罪悪感抱えていたってこと??爆笑


今なんか夜中なんだけど

笑けすぎて寝れない。


大好きだから死んじゃうって思い込んじゃったってこと?

そして、それ、正せなかったん。

色々突っ込みどころ満載やな。笑


ほんまにビリーフって怖い。爆

(解説はまたします)


いやー

色々と

スッキリしております!!笑


思い込みって、こえー!!

当時の自分の視野の狭さっ!!笑


いやー

色々解放されたわ。

まだ、消化しきれんわ。


ざわざわしたままw

寝ますwww 


【 追記の追記 】

勘違いだったーと伝えましたが、

でもやっぱり、私が当時感じてたことは間違いなかったです。

漏斗胸という病気は死ぬようなものではない。

でも、手術自体はやっぱり亡くなってもおかしくないものだったそうです。

実際、その彼の手術は10時間にもおよび、手術の後は集中治療室に1週間近くはいって機械につながれて生かされてたそうです。










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