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皆が自分の幸せを追求する世の中は

みんなが自分を幸せにできれば、

そこに全責任を負って真剣に取り組めば、

様々な問題が解決すると思います。

自分らしくをとことん極めていけば、

個々人がそれぞれ違うことが肌で分かり、

その上で皆が自分の人生を歩むことを尊重できる。

みんなが自分を尊重していないから、他人なんか尊重できないのです。

他人を尊重する事が損しているように思うのです。

誰かに自分を幸せにしてほしいと思っているのです。

自分の機嫌なのに、誰かに”どうにかしてよ”と思っているのです。

それは誰かに傷つけられたと思っているから。

でも、本当はそうじゃなかった。

それを”真実だ”と採用したのは自分なのです。

人の言葉を借りて、自分自身に傷をつけたのは、私たちなのです。


子供の頃に否定されたり、傷つけられたのは、

確かに、自分の責任ではないかもしれません。


”誰かのせいで” 傷つけられた。

それも間違いではありません。

最も、私自身が誰よりもそう思って、怒って、憎んで、生きてきました。


自信をつけさせてもらえなかった。

それもそうでしょう。


でも、私たちはどんなことを言われても、

自分が気にしていなければ傷つくことはないのです。


どこかで、自分で自分を否定し出した。

だから傷ついたのです。

だから自信を失ったのです。


他人の暴言を自分の心に届けてしまったのは、私たちなのです。


スタートはそうすることで親や誰かを守ったのかもしれません。

それは誰かへの思いやりだったのかもしれません。


でも、そのやり方は間違いです。

誰も幸せにしません。


自分を否定して、傷ついて、誰かのせいで、と思っていると、

そうやって誰かのせいにして生きていると、幸せでないはずです。


私たちの機嫌は自分で取らなくてはならないのです。

私たちの自信は自分で回復させなければならないのです。

欲しいと思っているものは自分で与えなくてはならないのです。

そうやって自分自身を満たし幸せにするのは私たち自身なのです。

もっというと、満たされていることを、なんの傷もついていないことを思い出せば良いのです。


誰かに思い込まされてしまった、自分自身で採用してしまった

”そのままの自分ではダメだ” ”不十分だ” 

という思い込みを外せば良いのです。


ただ、間違ったやり方を手放せば良いのです。


自分の機嫌を”誰か”を使って回復させようとしてきた人たちの言葉を、

もう採用しなくて良いのです。


そうする事が、親を拒絶する事だったり、

誰かを苦しみに落とすことのように感じて、

すごく悪いことをしているような気がするかもしれません。

甘えと感じるかもしれません。


でも、違います。


自分の機嫌を誰かに取らせることの方が甘えです。

”みんな”を使って自分を幸せにしない方が、甘えです。


そうして、誰かのせいにして、

誰かが自分の機嫌をなんとかしてくれないからと癇癪を起こす方が甘えです。

誰かに「あんたのせいで」と自分の感情をぶつけることの方が甘えです。

(どんな感情を感じているかを伝えることと、ぶつけることは違います。)


それぞれが幸せであるならば、今よりも余裕ができ、助け合えます。

余裕があれば、人は人に優しくしたいものなのです。

結果、もっと生きやすい世の中になります。

もっと自由に、それぞれが応援しあって、のびやかに生きていけるようになります。

人は満たされていたら悪いことをしようと思いません。

すごく気分の良い時に「誰かを殴りたいなぁ」と思う人はいないのです。

皆が自分の幸せを追求する世の中は、

愛に溢れ、

そのままで活かしあえ、

自分たちで未来を切り拓いていける、

最高

な社会になると思っています。

最後はわたし自身のコア(最高価値)になりましたが、意図してそうしたわけではなく、

「皆が自分の幸せを追求する世の中ってどんなだろう?」と考えていった先に、

まさに自分のコアが実現した世界が待っていました。

感動。笑

そしてきっと、その世界は全ての人のコアが叶う世界なのだと思います。

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