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自分=エゴ? 自分=愛?  -2-

私は一度離婚をしています。
そして、円満離婚です。(これを言うと「訳わかんない」と言う顔をされることが多いです。笑)
パートナーを解消しただけで、娘の父と母であるという家族ですし、運動会等も一緒に応援します。ママ友に「普通の夫婦より仲良いよね」と言われるほど、普通に会話しますし笑ってます。

でも、結婚しているとき、たくさんの非常識なことや、ひどいことがありましたし、結婚当時にあったことを話すと離婚をお勧めしないスタンスの方でも、「・・・それは離婚してよかったよね」と言ってくださることがたくさんあったのです。
夫婦喧嘩の範囲は到底越えていて、普通だったら確実に険悪になって離婚して、その後も連絡をとらなくなるパターンの夫婦でした。

だけど、円満離婚まで持っていったのです。
なぜそうできたかというと、私が元主人のことを悪者にしなかったからです。
それだけを徹底してやったからです。

どんなにひどいことがあっても、どんなに非常識なことがあっても、“元主人は善い人で、それができない理由があっただけだ”というところからブレなかったから。
(というと聞こえはいいですが、実際はブレブレで、ブレてはここに戻りブレてはここに戻りでした。苦笑)

でも、それだけは貫いたのです。
だからお互いに納得してすっっっとお別れになりました。

本当に、「お互いに7年間頑張ってきて、お互いに愛そうとしていたし、大事にしようとしたし、努力もしたけれど、ずっと平行線で噛み合わない部分があると言うことは、根本的に合わないんだね。となると夫婦としては望む幸せは手に入らないよね」と言った形での“卒業”でした。

実際今でも、元主人は善い人だと思っています。実際そうです。優しい人ですし、娘もパパが大好きです。

当時は生きる気力が持ててなかったので働くこともままなりませんでしたが、今では自分のやりたい仕事を見つけて正社員として働いています。
彼の経歴からしたら、とても頑張ったんだろうと思います。

離婚する前のしんどかった部分だけ切り取ってみれば、いくらでも“悪人”と見ることはできます。でもそれはしなかった。それは私の意思であり、努力の賜物です。

結果、幸せな離婚をし、娘は週末になったら父親のところへ行き、私の前で「パパの方が好き〜」と言えるほど伸びやかに暮らしています。笑

うちの家には離婚したことから来るタブーがありません。なんのわだかまりもないからこそ娘は何も気を使うことなく父親の話をしますし、私もそれを聞いて「えー、ママの方がいっちゃん好きだし」とかいう見当違いの返事をのほほーんと返せる訳です。笑


あのときに私が「“自分”を大事にして離婚なんて、子供に悲しい思いをさせるなんて、わがままだ!」と言って、元主人のために、娘のために、世間様のために自分の感覚を大切にせず離婚しなかったとしたら、きっと今でも暗い顔をしているはずです。
こんなにも幸せを感じてはいません。

私がどんなダメな自分のことも許してこなかったら、元主人を悪者にしたままでしょう。そして、すごく嫌な態度で接していたでしょうし、自分で選んだ道だと思いつつもどこかで不平不満を持ち、それが顔にも空気にも出ていたでしょう。
娘に元主人への憎しみを見せていたことでしょう。
幸せなパートナーシップを見せてあげることはできなかったでしょう。

そしてその幸せじゃないパートナーシップを娘は意識することなく引き継いでしまう。(両親のビリーフや価値観を子供は無条件に引き継ぎます)それだけは避けたかった。
それだったら、一人になっても人生を謳歌する幸せで楽しいママの方が絶対娘にとって広がりのあるモデルになる。幸せになるために離婚して、それでいて別れてもなお、家族としての良い関係性は作れるんだ、絆が保てるんだ、ということの方が、離婚をあきらめ結婚したまま不満げな顔をし続けるよりも娘を自由にし、幸せにし、パワフルにすると思ったのです。

だから、本当に幸せになった姿を見せたかった。
そっちの方が、絶対的に”愛”だから。
そしてその世界の方が娘の幸せの可能性を広げると思ったからです。

そして実際今、そうしてよかったと、本当の心から思います。
毎日心からの笑顔でいられることが、ストレスがなく娘とにこにこでいられることが本当に嬉しいです。
離婚するのは本当に怖かったし、しばらくはどん底でした。
でもそれでも、”自分を絶対に大事にする”と”自分を信じて”離婚をしたことは英断だったと思っています。

“どんな自分も許しましょう”そして“そのままの自分で生きましょう”というは、単なる感情のままに、そして人のことを考えなくていいと言った表層的なレベルの話ではなく、

本当に幸せになるために、本当の意味でみんなを愛し、みんなで幸せになるためにも、

まずは、自分を愛しましょう
そして、みんなを愛しましょう

ということなのです。

つまり、自分の面倒を自分で見れるようになるということ。
自分の内側にあるものを全て自分で引き受けるということ。

どんな感情も自分が作り出しているもので、
それを誰かに面倒見させるのではなく、
自分で面倒を見ると肚をくくる

ということ。

もちろんしんどすぎる時は私のようなプロに頼ったらいいのです。
それでも、前提として全て自分が作りだしており、自分が面倒を見るということ。

もっと言うと

自分を幸せにする責任は自分自身にあると
自分で自分を幸せにすると
肚をくくる

ということなのです。

一人一人が自分で自分を幸せにできたら、誰かを利用したり、誰かに自分の不機嫌をなんとかさせようとしたり、攻撃したりなんてことはなくなります。

そのためには、自分の内側にあるどんな自分も愛していく必要があります。
だから、自分のためだけではなく、みんなのためにも
そのままの自分を、どんな自分も愛していくことが必要
なのです。

すなわち、

私たちは“愛”でしかないということを実感していく

ということなのです。

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