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俺の前世は、おじいちゃん(1)

おはよう、今日はやっと晴れ間が見えた。けれどまだ肌寒い。

昨晩、突然母から電話が来た。春で仕事を辞めること、そんで、引っ越すこと。元いた地元にだ。

母は、ある時期から俺の住むエリアに引っ越してきた。俺はどちらかと言えば都会に住んでいる。母はずっと地方に住んでいて、老後を迎える前に、都会生活を堪能したい思いがあったらしい。

俺は少しの寂しさを感じつつも、地元にいる祖母の最後を看取りたい思いがある、というのを聞いて、なんだかホッとした。数日前に見た「祖母が死んだ夢」のことが、母の顔を見るたびに浮かんで気がかりだったが、やはり母も祖母から何かを感じ取っていたのかもしれないと思えた。

無理に夢のことを話さなくてよかった、とも思ったし、あれは予知夢というより、母が祖母を看取る未来の夢だったのかなあ、となんだか納得のいく着地点を得られた気分。

しかし、電話を切った後のことだ。自分でもびっくりするくらいの寂しさが押し寄せてきた。背中の辺りが痛くなって、情けなさでいっぱいになる。

・もっと贅沢させてやりたいのに、いつまで経っても俺にはその力がないのが悔しい。
・もっと可愛がりたい、そばにいたい。うまいもん食わせて、笑顔が見たい。

湧いてくる感情を一つ一つ整理しながら、一方で俺は、ひどく冷静になった。

・その割に俺は、スープの冷めない距離に住んでいる母さんの家に、ろくに寄り付いてないじゃないか。

これは母も言っていた。「タケちゃん、お母さんがそばにいたら楽しいよって言ってくれたんに、全然家にこないしね」って。

だとしたら、俺のこの「寂しい」という感情はなんだか矛盾している。そう考えているうちに、「あっ」と気がついた。

これ、俺の感情じゃなくて
おじいちゃんの感情じゃないか?

うっわ、と声が出た。そしてたちまち、目の前がクリアになっていく感覚があった。
ここで先に書いておかなければならないのだが、実は俺の前世はじいちゃんである。

つまり、俺は母の子として生まれながら、同時に母の父親だった魂の記録保持者である。

気がついたのは、2年ほど前のことだった。そもそも俺は10年くらい前から、少しずつ過去生の記憶を思い出すようになった。特に俺の場合、元々旅が好きなこともあって、見知らぬ土地へいくと、初めてきた場所なのに初めてじゃない、みたいな不思議な感覚に陥ることがよくあった。

今思えば俺の生来のスピリチュアリティ(霊性)がゆっくりと開花していく過程の一つだったんだが、同時に食事が変わり、他にもいろんなことがわかるようになり、体質も変化し、紆余曲折あって、今では膨大な数の前世の記憶を開くに至っている。

このことはまたいずれしっかり書き記したいが、今の時点で断っておきたいのは、

前世の記憶が開くって、エンタメじゃないよ、ってこと。ただ単に前世が誰だったか思い出す、みたいな話じゃない。そこにあった痛みも業も全て解消し切るために思い出してるから、それなりに精神的にも肉体的にも負担がかかる。なんていうか、現世の俺が、過去の俺の人生丸ごと清算しなくちゃならないような、それを何人分もやるような、結構マッチョな仕組み。

しかも、記憶が残っている時点で、必ず業や傷がある。被害者だった側面もあれば、加害者としての側面も当然ある。で、大抵の人は"被害者だった自分の過去"は思い出せるし、受け入れられるのに、"加害者だった過去"はなかなか思い出さないし、受け入れられないことが多い。

けれど、前世を一人分癒すと、その分今の自分が楽になる。生きやすくなるし、いわゆる開運していくし、いいことだらけ。ただ、開運できるほど前世を解消できる人は、正直俺が見てきた限り、ごく少ない。「あたしも前世の記憶あるんだよね」って人と話してても、様子を見ていると、大抵はエンタメ気分で終わるか、見たくない過去を見る勇気が出なくて、いいとこだけ見て終わり、みたいなパターンが

ものっすごく多い


だからすごく勿体無いんだ。せっかく今の自分がよりよくなるチャンスなのに、全然、活かせてないから。んで、結局過去の痛みを再体験する世界をぐるぐる生きてるって人が、もう、ほとんど。


ー話を戻そう。ちと長くなってきたから、次の記事に続きます。

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