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挽回するとかしないとか

自らが強めのHSPであることを家族に伝え、自分のやるべきことをやる時間をちゃんと確保したい っていうかお願いだから一人にして とお願いしたのは先週の話。

恋人タミオ君のお泊まりを控えた前日、当たり前のように親と妹の家で過ごす日常から、洗濯物や買い物が散乱した家に「帰りたい」と初めて訴えた。


土日は、事前に出かける予定がない限り
パパが土日休みじゃない甥っ子と共に過ごすことが我が家の風潮となっていて

お昼ご飯を一緒に食べることも、そのあと夕飯までの時間を一緒に過ごすことも、当たり前のルーティンとなっている。

土曜日は母親が午前中仕事でいないので、妹から直接呼ばれることはめったなことがない限りはなくて
いつも母親からのファーストアタックで呼ばれて出動する。


私も私なりに土日にやりたいことはあって
趣味や娯楽というよりは、洗濯や掃除や少しだけ手の込んだ料理、季節に応じて布団を圧縮するとか、衣替えだったりとか

要するに「家の事」で、

私にとっては「家の事」が趣味であり娯楽であり、自分のメンタルを正常に保つための大事なルーティンなわけだけど

せっかくひとりで暮らしているのに、自分でそのルーティンを自由に組めなかったり、やらねばならないことすら自分の配分で時間やタイミングを決められないことが、やたらとストレスに感じることが自分で最近わかった。


でもそのことを、タミオ君に相談して
家族に直接説明できて
まだ、たった一度だけど協力してもらえたことが
私にとってはすごく人生においての進歩だった。

人を家に呼べる状態に片づけがしたい なんて
一般的に考えたら当たり前の訴えだし
そもそもあえて訴えてまで時間を確保することではないんだろうけど

これまでの長い【当たり前】を経て

「今日も何もできなかった」…って、家に帰って何分も呆然と立ち尽くして、寝る時間を削って片づけるかすべてを諦めて泣きながら布団に入る という流れを、どうにか断ち切りたかった。

疲れてしまう。
毎日体中に力が入り続けて、気が抜けない。



会社の健康診断で心電図を図った時
何度も何度も「力抜いてくださいね~」って言われて

「抜いてまーす」
「もうこれ以上抜けませーん」
「抜けてないんかなこれは」

なんて答えながら、毎日毎晩横になっても体中の力が入りっぱなしな自覚はあるし、抜けてないんだろうなどう考えても。と思った。


力が入りっぱなしの身体はガッチガチで、力も抜けないし気も抜けないし、先日会社の同僚に強制連行してもらった骨矯正の先生も 私の【気の滞り】に大層驚いてすごく苦戦して終わった時には精魂尽き果ててしまい、黙って他の部屋に消えていったぐらいだった。



話が逸れました。

そんな、体中の力が抜けてないことがバレた健康診断の日、タミオ君も偶然休みで午後から会えることが決まっていたんだけど

最近は外でご馳走になってばかりだったし、たまには家でご飯を作って待っててあげたいな と思っていたにも関わらず

土日は思ったように動けなくて、買い物にも行けず、大した掃除もできず、勝手に計画していたほとんどのことに手を付けられずに日曜日が終わろうとしていた。


甥っ子2号の誕生日が近かったので
お誕生日祝いの用意がしたい母(少し離れた次女)が、子守りをお願いしたいと甥っ子と一緒に襲来していた。

近所の三女家にいた母親に呼ばれて、手のかかる6歳児甥っ子1号と、手はかからないけど目を離せない1歳児直前甥っ子2号を代わる代わる見ていたら、あっという間に土日が終わってしまった。

正式に手伝ってほしいと頼まれていた以上自分も断れず
二日間家族のために従事して
妹たちからのありがとうと、母親からのすみません をいつものように浴びて

タミオ君の予定も確認できず
用意もできないのに食べたいものも聞けず
ろくに連絡も取れないまま、夜になってしまった。


きっと夜まで帰れないだろうと思って、乾く前の洗濯物をそのまま部屋に放り込んで出たっきり
(夜まで洗濯物を干しっぱなしだと、家にいないのもわかるし何より暗くなってから洗濯物を入れて虫がついてくるのが怖すぎるから)

重なって乾ききっていない洗濯物を広げて、3日後に迫った出張の準備も中途半端に終わらせたばっかりに開いたままのトランクを閉じて そのまま部屋の端に寄せた。


私の中で勝手に考えていた計画も、誰に伝えたわけでもなかったし、そもそも連絡もまともに取れなかったタミオ君にも話していなかったので
おもてなし準備ができなかったことに落ち込んでいるのは私だけ。



『本当はもっとちゃんと準備して挽回したかったんだけど、買い出しにも行けなかったし、出張の準備もできてないし、何も用意できなかった・・』

とだけ、夜に伝えて翌日のスケジュールを確認したら


 買い出しは俺が行く
 餃子の皮のピザ作ろ!
 何か他に欲しいものある?
 食材じゃなくて出張に必要なものでもいいよ!

 御子ちゃん
 挽回しようとしなくていいからね


って、連絡をくれました。



【挽回しようとしなくていい】の言葉が妙に身に染みて、いつもの悔しい気持ちで溢れるのとは別の意味で涙が出た。


その日はとりあえず自分も早く寝て
翌朝早起きして、冷蔵庫に残ってるだけの食材を使ってお昼ご飯を準備して、タミオ君が来てくれるのを心身共に元気に待てた。


混ぜご飯おにぎりと
いつもの卵焼きと
ほんの少しのおかずとお味噌汁

どれも美味しい美味しいと食べてくれて

タミオ君は望んでいないかもしれないけど、挽回できたな って思えた。


挽回ってのはもしかすると、タミオ君に対してというよりは、自分の生活に対してかもしれないな。

落ち込んで思いつめる日々からの挽回。


でもそれは、私が頑張ったわけではなくて
頑張らなくていいよ ってちゃんと伝えてくれるタミオ君のおかげ。




その日、母と私が共同で乗っている我が家の軽自動車に
私がかつて買うだけ買って付けられなかったドライブレコーダーを タミオ君が装着してくれた。

ずっと、早く付けてあげたい と言ってくれていたドライブレコーダーは、ありとあらゆる内面の壁を剥がしたり隙間を通したりして、時々手伝いながら些細なことで笑い合って めちゃくちゃきれいに付いた。


あっという間に夕方になってしまったので
約束していた餃子の皮のピザを一緒に焼いて


「家でもよく作ってる」という餃子の皮ピザは、タミオ君の日常に少しふれられたような気がして嬉しかったのと
自然と役割分担ができて手際良く焼けていく手のひらサイズのピザは、とても美味しかった。


挽回しようとしなくていいと言ってくれたおかげで
頑張りすぎずに100円ローソンで買ってきた千切り野菜を持っただけのサラダも
「夜食べたい」と言ってくれて少し残したお昼のおかずも

高いお金払ってレストランで食べるごはんより、美味しく感じた。




最後のピザが焼けた後
空いた数枚のお皿を先に片付けた一瞬の隙に
タミオ君は床に倒れて寝ていた。

子供かよ、って思わず口に出てしまうぐらい

食事途中に爆睡していた。

疲れている時にはどうしてもかいてしまう という小さなイビキをかきながら、触っても揺らしても起きないので
そのままゆっくり寝てもらって、私は片付けもお風呂も済ませてからタミオ君を起こした。


爽快に目覚めたタミオ君に、初めて頭を乾かしてもらいながら

一緒にささやかな食事ができることも
目の前で安心して昼寝してくれることも
気にせず私も自分の生活を送れることも

なんだかとても自然で、心地よかった。


もしかすると同棲したり結婚したりして
お互いが同じ部屋に暮らしていることが当たり前になった時に
食べてるそばから力尽きて寝られたり
寝てる横で私が一人で片づけをしたりすることを
いつか 腹立つ と思う日が来るのかもしれない。


片付けもせずに帰ってしまったことを
後日誠心誠意詫びてくるタミオ君が、今後少しずつ二人が一緒にいることが当たり前になってきた時に どんな風に行動してくれるのかは見ものなのかもしれない。

子供ができたりすれば、俗にいうワンオペ育児に疲れて発狂したくなることも絶対に出てくるかもしれないけど

もしずっと二人なら、子供も作らずに二人で生活していくなら、自分がやれることはやって、私はそういう形で相手を大事にして、私もずっと大事にしてもらえる方がいいな、と思ったりした。


私も大概、恋に恋してる中高生と妄想力は変わらない。


こんな風に誰かとちゃんと想い合って付き合うことも
誰からも反対されずに付き合えることも
少しずつ相手が一緒にいる時間や空間が増えてくることも
私にとっては未知の世界だっただけに、まだほんの少し戸惑いもある。

幸せが安定しているほど不安にもなって、人の心ってやつはどんなからくりなのかと思う。



帰り際、自転車通勤の私に
昔趣味で集めていたという自転車用スーパーライトを何個も持ってきてくれたタミオ君は、好きなの使っていいよ と言って全部の箱を開けて使い方を説明してくれた。

まるで少年のように目を輝かせて次々とランプを試すタミオ君と

好きな恐竜や昆虫のフィギュアを次々と持ってくる6歳の甥っ子が重なった。


我が家のACタップが足りなくなるぐらい、あらゆるランプを充電し、満足気に帰って行った。

いつもは名残惜しそうにハグしたり、エレベーターが来るギリギリまで手を離さなかったりするタミオ君が、帰り際には私に指一本触れずにキャッキャと楽しそうに帰って行った。


それは少しだけ寂しかったけど
タミオ君の新たな一面を見れた気がして嬉しかった。



男はいつまでも少年なのかもしれないし
女はいつまでも少女なのかもしれない。

今思えば

じいちゃんばあちゃんを見てても、ずっとそうだったな。



大人になりたいとか
大人な恋愛がしたいとか
大人の余裕が欲しいとか 思うけど

実際に信頼し合える相手との恋愛であれば むしろ大人でいる必要はなくて
逆に幼い自分を素直に見せたり、おとなげない部分を受け入れることで深まる絆もあるよな、と思った。


相手を喜ばせたい・もてなしたい気持ちは根底にあるけど、挽回するとか、頑張るとか、必要以上に考えなくてもよくて

力入れすぎなくていいよ って毎度気付かせてくれる相手の優しさを素直に受け止めて、お互いが無理せず長く一緒にいられたらいいな。


なんて思った、38歳最後の冬でした。

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