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小説 Despacito [2]


日常


ようやっと混雑しはじめた店内を見渡して里奈はスツールから腰を浮かした。もう帰っちゃうの、と眉をさげたママにまた来ますねと早口で返す。11時45分の終電に間に合うように逆算して店をでた。泊まっていけばと名残惜しそうにいう成久に明日早いからと言い訳したが、酔うとスキンシップ過多になる恋人たちの時間をみているのが少々つらかった。手をつないだり、さよならのキスをしたり。恋人らしいふるまいを最後にしたのはいつだったっけ。ぼんやりと体が覚えている裏通りを抜けて駅へ向かう。もう何年も工事が終わらない駅の汚れた階段をカツカツと響くヒールの音が、ほてったからだに心地よかった。


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「240円です。ポイントカードはお持ちですか」

朝の変わらぬ顔ぶれの店内でレギュラーコーヒーを受け取り、誠はカウンターで煙草に火をつけた。出勤前にくつろげる10分間は貴重だ。携帯のニュースアプリを立ち上げる。だんだんと秋が終わりに近づきストールをマフラーに切り替えていた。昨日より3℃低いらしい。夜は小雨が降りそうだ。月曜に絶望したバカが飛び込んだのか、JRが軒並み遅延しているが自分の路線は問題ない。ざまーみろ。5ミリほどのこったコーヒーにミルクをいれ、たいしてうまくもない滴を飲み干して誠は改札に向かった。



最寄り駅の地下鉄は始発のため東京都内では珍しく座って職場までいける。この地区に引っ越して嬉しい驚きだった。誠の自宅からは徒歩10分圏内で複数駅があるためアクセスもよく新宿や新橋にも出やすい。家賃で10万飛ぶとはいえ利便性を考えれば十分おつりがくるのだ。20万近く払って別々に住むくらいならさっさとマンション購入すればよいと里奈には散々言われるが、東京に住む限り賃貸で事足りるし、万が一別れたときの処分が面倒くさい。折半してきた家賃や家財道具、引っ越し費用やペットの引き取りなどでごたつくカップルの話を山ほどみているし、だからといって公正証書や養子縁組まで行くほどの覚悟もない。

(法律が変わって結婚できるようになったらどうするの?)

以前成久に問われたが、はっきりした答えはだせなかった。結婚したいかと言われれば、答えはYESだ。男女のカップルと同じように税制が適用され、病院や役所でかれのパートナーだと胸をはって言えればありがたい。親にも無用な心配をさせずに堂々と生きていけるのだから。


駅のホームで扉があくと同時に左端の3人掛けの座席に向かう。ガラガラの車両で急ぐこともないが、ここが誠の定位置だ。膝にのせたカバンから端の折れたチラシがのぞいた。先日成久がもらってきたネット保険の広告。職場のセミナーで聞いたらしく、婚姻関係や家族でなくとも保険の受取人が組めるのだと興奮気味に話していた。子どもをもたない同性カップルは、一足飛びに老後、親の介護、墓の話題になることも多々ある。保険のチラシは男女ならさしずめゼクシィってとこだな。自嘲気味にうそぶいて誠はチラシをカバンの奥に沈めた。

昨晩早寝したのでやけに目が冴えており、何とはなし広くはない地下鉄の車内を見渡した。目の前の乗客は30代半ば、ロングヘアを下品にならない程度のあかるい茶色に染めている。細長いダイヤ型のピアスが少々古臭い。たまごがたの顔立ちは愛嬌があるのに、残念ながら両足がだらしなく外にひらいている。座席がひとつ空いて右手の女性に視線を移した。黒髪をお団子ヘアにまとめた彼女はオフホワイトの革バッグからイヤホンリールを取り出した。こういう人間は無添加のジャムや北欧家具に囲まれているのだろう。丁寧に生きていそうな仕草にいささかげんなりする。疲れを感じて首を回すと目の前に小指程のたんぽぽの綿毛がふわりと舞っていた。だれかの上着についていたのかといぶかしむ。きっと家族持ちの男だろう。子どもをかかえて保育園に送り届けたついでに綿毛を拾ってきたのだ。30歳でおめでた結婚、合コンで出会った奥さんはただいま育休中、もう一人子どもがほしいねと話しており、すぐの復帰は難しいので男は35歳までに転職を考えている。律儀に指輪をはめている姿が目に浮かぶ。独身なら嫌いなタイプだが既婚者ならば許されるな、と誠は薄く笑った。そもそも成久がいるので、浮気などという気持ちは微塵もないが想像するくらいならバチは当たらない。男の基準はイケるかイケないか。下品だといわれてもかまわない。あとは顔だな、と考えて誠は目を閉じた。



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