見出し画像

いろとりどりの親子

新宿武蔵野館で鑑賞。映画仲間におススメされてふらっと。邦題のセンスが光る。宣伝さんグッジョブよ!

あらすじ:親や周りとは「違う」性質を持った子どもを持つ300以上の親子たちのインタビューをまとめ、ニューヨークタイムズ紙ベストブックなど、アメリカ国内外で50以上の賞を受賞し、世界24カ国で翻訳されたベストセラーノンフィクションを原作にしたドキュメンタリー。

感想:こころの処方箋



作家アンドリュー・ソロモンが10年の歳月をかけてまとめあげた「Far From The Tree: Parents, Children and the Search for Identity」がベース。本では300家族に取材・リサーチしたらしい。映画で取り上げたのは新たに取材を行い自閉症、ダウン症、低身長症、LGBTなど、多様性にあふれた6組の家族たちの生活が描かれている。

この作品が推せるのは、大仰な演出もお涙頂戴のストーリもなく、「違い」を抱えた子どもと親が直面する困難、戸惑い、喜びと苦しみを、たんたんと語っていくところ。


原題 Far From The Tree の意味は、

・Apple doesn't far from the tree
・リンゴは樹から遠くにおちない

転じて、「親は子に似るもの」の逆を示しています。


ダウン症のジェイソン。かつてセサミ・ストリートにも出演し、ダウン症児の可能性を説いて国中を飛び回った少年。現在は同じく症状の仲間と共同生活をおくり、ビルのメンテナンスとして働きながらひっそりと暮らしている。「アナと雪の女王」のエルサが大好きで、北欧に行けば会えるかも、と心の底から信じており、母親を当惑させる。「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために」三銃士の合言葉を胸に生きる優しい青年。

自閉症のジャック。言葉が話せず、長らく家族とコミュニケーションの術をもたなかったかれがタイピングで「僕はかしこい。僕は頑張っているんだ」と打てたときの感動たるや。両親が「ああ、おまえはそこに存在するんだな。私達が気づけなかっただけで」と語る場面は、人生のアハ体験に限りなく近い。

低身長症のロイーニ、リアとジョセフの夫婦。スターウォーズやミニミー、映画の世界で知った小人症のひとたち。彼らが出席する「Little People of Ameica」会議で、低身長症を治療する薬の治験が話題になり、私たちの「症状」は「治療」すべきことなんかじゃない、誇りに思っていい、祝福されるべきことだという意見が交わされていて、ちょっと「X-MEN」ぽいなと思ったり。

小学生の頃、片足がない男性をみて「足がないのって大変そうだね」と言ったら路上で母親にぶん殴られたことがある。「おまえになにがわかるの。知ったような口をきくんじゃない」と。その通りだ。障がい者だから、かわいそう。私より何かが足りない、かわいそう。うわべだけしか見なければ、そんな発言も出てしまう。こころとからだ、人間関係。みえないファクターはいくらでもある。誰かを推し量るのに、外見やカテゴリで判断してしまうのは、単純で、楽で、陥りやすい。


最も印象に残ったのは、犯罪者の息子をもったリース一家。長男トレヴァーは8歳の少年を殺して第2級殺人で終身刑。残された家族は逃げるように引っ越し、別の州で新たな生活をはじめている。どんなに愛情を注いでも間違いはおこる、と父親はいう。記録に残るトレヴァーははにかみやで、明るく、優等生で、ニキビの残る16歳。前触れもなく殺人を犯した理由は、はっきりしていない。

両親は自腹で3~4組の精神分析官を呼び面会させたが、どのメンバーにも「息子さんにはお手上げですよ」"I'm sorry. He is broken" と言われたそうだ。

当時の記事をみつけた。殺した理由は「最初にみつけた相手」で「僕より弱かった」から。被害者の少年はロシアから養子縁組された双子のひとりで、母親と弟と散歩中に姿をくらまし、みつかったときには身体を前と後ろから何度も刺され、喉を切り裂かれていた。トレヴァーは返り血をあびたまま住人に目撃され、すぐに自首している。刑事や精神分析官と面会したトレヴァーは「自分はシリアルキラーだからまた殺人を犯すと思う」と自己分析している。




ソロモン氏のTEDより、映画のもととなった様々な形の家族を取材して。

ろうあ者は健常者の親のもとに、同性愛者はストレートの両親のもとに生まれることが多い。親は「普通」を望み「治療」を与えがちだけど、かれらはいずれ自らのアイデンティティを発見し、コミュニティに所属していく。アイデンティティには縦横の軸があり、横のアイデンティティには仲間から学ぶもので、治療の対象にされがちである。本人が「横」のアイデンティティとうまく付き合えるようになるには3つの段階ー①自己による受容②家族による受容③社会による受容ーがあるのだが、同時におきることはまれで、各段階に嵌った本人は「愛されていない」「認められていない」といった怒りをおぼえる。

受容=アクセプタンス は今年話題になったのネットフリックスのドキュメンタリー「クイア・アイ」でも語られていた単語。

“If the original round was about tolerance, this time it is about acceptance."

クィア・アイは90年のリブートで旧版が「寛容さ」を求めるものに対し、新版は「受容」に対してメッセージを強く打っていた。このあたりのアップデートはほんとにうまい。多種多様な人間がいるアメリカだからこその発想。


私は愛と受容を混同していた。ゲイとしてカミングアウトすることで、両親から愛されなくなったと感じていた。しかし、この本や映画に出てくる人々の話を聞くうちに、親の愛は子どもが生まれてからずっと存在しているけれど、親が子どもを受け入れること=受容は、生涯かかるプロセスだということがわかった。 「いろとりどりの親子」パンフレットより


私は小学生の頃ダウン症の友達がいたり、低身長症や自閉症の同僚もいた。LGBTQなんて身近な話だ。それ故に「わかったつもり」になるんじゃないかと、見る前は不安だった。けれど、上記のソロモン氏の言葉ー受容は親子ともども、生涯かかるプロセスである、諦めるなと納得できたので、この映画に出会えて感謝している。


帰宅してすぐ「コンサルタント」を見直したよね。こちらの映画も自閉症をテーマにしています。希望のあるラストなので、おすすめ。

「この国では68人に1人が自閉症と診断される」
「もし、診断に使うテストが間違っていたら?」
「彼は劣っていない。他人と違うだけです」
「彼が伝える術を知らないか」
「我々が聴く力を持たないだけ」




以上です!

いただいたサポート費用はnoteのお供のコーヒー、noteコンテンツのネタ、映画に投資します!こんなこと書いてほしい、なリクエストもお待ちしております。