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恋はいつも未知なもの -You don't know what Love is-


友人からのメッセージには「仕事がおしており、早くて21時半になります」とあった。待ち合わせは19時半だったので、駅前で暫くうろついていたのだが、どうにも時間をもてあまし、バーにふらっと立ち寄った。ガヤガヤした商店街を歩いているうちに目についた看板。細い階段を登っていき、店名だけが印字された重い扉を開ける。店内はからっぽだったが、初見の客にも優しいマスターが丁寧に接客してくれた。メニューはない。どんな感じで行きましょうか、とほほ笑んだ父親とほぼ変わらないだろう歳のマスターに、明日に響かないスコッチが好きなんですとヘタレな事実を伝えると、棚の奥から「秘蔵なんですよ」と黒いラベルのグレンリベットを出してくれた。グラスに沈んだとろりとした琥珀色、スキっとした香り、喉におちる熱、フルーツと青竹のような味にしばし浸る。


平日は22時過ぎから混みだす店内は外国客も多く、海外では高価な白州や山崎のボトルをみつけてやすやすとあけてしまうらしい。頂いた名刺とストアカードにはりンゴが描かれていた。店名の「グラビティ」に由来しており、ニュートンが万有引力を発見したのはりんごの木の下でぼーっとしていたからである。店をあとにし、駅前のロータリーで友人と落ち合う。どこにいたの、と聞かれたので話をすると、凄いね、とびっくりされた。「僕にはひとりでバーにはいる勇気がない。お寿司とか小料理屋だって厳しい。知らないひとやマスターに話しかけるのはハードルが高くない?」と言われた。かれはひとまわり以上年上で正直社会人経験はダンチである。仕事柄プレス記事にもかかわるので、マスコミの取材にも慣れている。だけれども、ひとりで時間を過ごすのは全くもって不得手らしい。思い返せばはじめて食事にいってからの数回は私がお店の手配をしていた。かれは腹が膨れればいいという考えの持ち主で「料理もしないし、おいしいとかまずいがわからない」という発言までしていた。しかし、コーヒーの飲み比べ好き、ということがわかりどうやら味覚は生きていたので、私や友人たちが月イチで連れ出して和洋中韓と様々な味にふれさせた。そうして、好みのお酒や食事にたどりついたのだ。最近は嬉々として行きたいお店のリストを出してくるので、成長したなぁと感慨深くなった。

さて、自分のはじめてのひとりのみ、どこだったかなと思いだす。確か渡米中のオヘア空港にて。ハタチそこそこだった小娘は背伸びしてカウンターに座り込んだ。拙い英語でおまかせカクテルを頼んだら「死海」がでてきた。ショートグラスが真っ黒に染まり、リムには塩が、真ん中には赤いオリーブだかチェリーだかがのっかていた。バーテンダーのオリジナルだと言っていたので、以来どこでリクエストしても、再現されたことはない。


たぶんこのあこがれは、学生時代に村上龍の「恋はいつも未知なもの」を読んでからだと自覚している。スノッブなクラブで煙をくゆらし、大人のしるしだとでもいうように世界と自分以外をシャットダウンしてアルコールをのみほす主人公の姿はそこはかとなくセクシーだった。

恋がどんなものか、あなたにはわからない。赤く目をはらし、眠られぬ夜をおそれ、命を賭けたキスをするようになるまではー


小説にでてくる幻のジャズバーにあこがれていたのか、いつか「ティー・フォー・ツー」を聞いて涙するような出会いを期待してたのか、わからないけれど。知らないバーで過ごす時間はひと晩のデートにも似ていて、ふとしたときに扉が開くのだ。


たまに行く小料理屋の話。ひとりでのんびり、和を味わい過ごすのもおつなものです。


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