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感 揺 句。

第9話『輪を掛ける』

 ばあちゃんが亡くなったのは、昨年の初夏で、過ごしやすいときだった。梅雨でもなく、暑すぎず、ほどよい風の吹く季節だった。

 じいちゃんはとっくに亡くなっていて、約30年後くらいに、ばあちゃんが後を追う形で、鬼籍に入った。

 晩年は足腰を痛めていたものの、大きい病気もしておらず、通院することもなく、元気にデイサービスや地元の老人クラブ(本人は老人クラブじゃないと言い張っていたが。)に通っていた。

 ばあちゃんはとにかく楽しいことが大好きで、いつも笑っていた。落語、漫才、コント...若いお笑いの人もちゃんと名前を覚えている。

 「最近は、あれだねえ、人気が出てきちゃうと自分たちの番組を持っちゃってさ、体張ったものとか、誰かを騙してさ、ドッキリ?そういうのばかりじゃないか。私は、あんまりそういうのは好きじゃないねぇ。やっぱり、芸が際立ってないと。」

 そうやって、今どきのお笑い芸人の芸を批評することもあった。

 「喋りで勝負するもんだ、芸人は。それにしても、面白いねぇ、やっぱり、昔の芸人はいいもんだ。」

 ばあちゃんは、お揃いのスーツとネクタイというような、漫才師が大好きだった。もちろん、芸にもうるさかった。

 漫談も好きでよく聞いていたし、お笑いライブに行けば、誰よりも笑う。

 以前、一緒にライブに行った時、笑いすぎて入れ歯が落っこちてしまったことがあった。けっこう前の席で見ていたものだから、ネタを披露していたコンビのツッコミ役が気付いて、

「おばあちゃん、笑いすぎて入れ歯はずれてん。いや、それずるいわ~。」

 と言って笑ってくれたほどだ。

 そして、面白くないものは、徹底的に笑わない。

 自分の年金を貯めて、月に数回、寄席やお笑いライブに行くことが楽しみだったばあちゃんは、芸能事務所から、「お笑いの審査員やりませんか?」とスカウトの声がかかるほどだった。

 そんなばあちゃんが亡くなった。

 葬儀は滞りなく終わる...はずだった。

 まぁ、今となっては大したことがないのかもしれないが、その時は、ちょっとした騒ぎになった。

 喪主であるはずの父が、火葬が終わってから、通夜の準備をする時間になっても戻って来なかったのだ。

 慌てた私たちは、父の携帯に電話したりメールしたが、なしのつぶてだった。 

 もう、本当に何やってんだか。

 どこに行ったんだよ、父さん。

 通夜まで後、2時間。どうしようもないので、叔父に喪主代行を依頼することになった。

 「私、ちょっと捜してくるね。」

 思い当たる場所があった私は、ばあちゃんに線香をあげて、鐘をカーンと鳴らし、礼服のまま自転車にまたがった。


 公園の前を通り、商店街を抜け、飲み屋街の向こうに寄席はあった。

 昼の部の最後を飾る漫才。真っ青な空より青いスーツの二人組の舞台が始まった。

 後方の中央の席に、父の後頭部を発見。

 ワハハ、ガハハハ。

 二人の会話がテンポよく、ウケている。お客さんは大爆笑。人を貶めるようなネタは言わない。ばあちゃんは、この二人のネタが大好きだった。

 父は笑いながら泣いている。笑いすぎて泣いている。父もやっぱり、ばあちゃんの子だ。

 昼の部が終わって、観客が帰り始める。出口で待つ。

 あ、見つかった...という顔をした父と目が合う。

 「お父さん、お通夜だよ、帰ろう。」 

 しばらく父は黙っていた。

 「喪主ならおじちゃんにやってもらえ。あいつ、得意だから、そういうの。」

 「そういうわけにもいかないでしょう。帰るよ。お父さん、ばあちゃんのために、お弔いの意味でここにきたんでしょう。」

 ハハハっと父が笑った。

「そんなんじゃねぇよ。俺、シーンとすればするほど、笑っちゃいけねえって思えば思うほど、笑っちゃうからさ、ここで笑っとけば、通夜で笑わねえかなって思ってさ。」

 「ええ~‼️そうなんだ。お父さん、そんな笑い上戸だったっけ?」

 「ばあさんには悪いけどよ、やっぱり、笑っちまいそうだから、通夜は遠慮しとくわ。ばあさんはいいかも知れねえけど、みんな困るだろうからよ。」

 私は、自転車でまた、家へと戻る。

 お父さん、いなかった、と言うつもりだ。

 後で、母たちにこっぴどく叱られるのは目に見えているが、その姿を空の上から見て、ばあちゃんは笑っているに違いない。


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