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15歳の春と夏の大会

15歳の春、高校に入ってまだ1か月バスケット部には三年生3人と半強制的に入部させられた一年生5名、練習のきつさのために二年生全員が辞める。 つまりバスケット部は、三年生3人、一年生5人の計 8人。

三年生3人はかなりのレベルのプレーヤー、一年生5人の中で抜群にうまかった N君と何故か足だけが速い私がスタメンに選ばれた。同じ中学から入部したバスケ部キャプテンもいたのに、なぜ私が選ばれたのかは分からなかった。

ハイレベルの三年生と一年生とはいえ抜群のバスケットセンスのN君との連係プレーも私だけはうまくいかず、私ができることは、とにかくディフェンスするために速く自陣に戻り、味方がボールを取ったら誰よりも速く走ることだった。

そんな状態のにわかチームが春の大会で地区予選5回戦(100万人都市で高校が多い中)まで進んだ。この試合に勝てば県大会出場の切符が手に入る。もちろん昔の話だから、今のようなクオーター制ではなく前後半戦。

点数ははっきり覚えていないが、前半は同点で後半に入っても最後の最後まで 同点のままで進み、残り時間数秒で得点されそのまま春の大会を終えた。

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その試合をもって三年生は受験のために引退し、残されたのは 1年坊主 5名のみ。ぎりぎり試合はできるけど一人は未経験者一体どうすればいいんだ!?

こんな5名で夏の大会に臨んでも一回戦で敗退するに決まってる。一年生皆で話し合い、引退した3名の三年生に夏の大会にも出てもらえないですかと皆で頼みに。既に受験準備に入っていた三年生は、二つ返事で我々一年生の頼みを聞き入れてくれた。

三年生は5月に引退して夏の大会は7月だったのでかなり練習からは遠ざかっていたが、頭下げてお願いして戻ってきてくれた三年生3名のためにも今度は必ず県大会出場が最低目標だった。

春の大会と同じく地区予選 5回戦までは進む。

やはりこの試合に勝てば県大会出場。

一年生のセンス抜群のN君は、勿論、私ですら春よりはかなり成長していたので三年生との連携もかなりうまくいっていた。この試合のところどころの場面は数10年経った今でも思い出すことが。

私は相当気合いが入っていたのか、なんと相手チームの三年生エースのディフェンスをしていた時に無意識に完ぺきに相手の顔を平手でぶん殴ってしまった。

勿論、故意でないにしろルール上は悪質な反則だし、退場させられても仕方ないプレー。

春の5回戦と同じく前半戦を同点で終える。

ハーフタイムに先ほどのラフプレーに関して、相手の三年生にちゃんと謝ってこいと三年生のキャプテンから言われ、私は怖々相手チームのエースに謝りに行き頭を下げ、後半戦へと入った。

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後半戦の展開も春の5回戦と相手は違うけど同じような展開。この試合だけは絶対に勝たないと三年生たちに申し訳ない、その一心だった。

後半途中、ボールが完全にコート外に出ると思われ、全員がボールから目を離した時、足だけは速い私はそのボールを必死に追いかけた。

自分の体とボールがコートの外に浮いていたが、ボールが私の右手にのった瞬間、空中でゴールの方を振り向くと三年生のキャプテンだけが、私のプレーに気付いてくれたのかゴール下でちゃんと待って構えていてくれた。

私はキャプテンめがけて反転しながら思いっきりボールを投げ、キャプテンがシュートを決める(このプレーだけはスローモーションで私の中で何年経っても色あせない)。その時初めて厳しかった三年生たちが褒めてくれ、頭を撫ぜてくれた。

中学時代の知り合いたちも観戦応援してくれて、コート内外のペースはこちらにきていたが地区予選5回戦となると、どのチームもかなりのレベルの2年3年生で構成されている。こちらは一度引退した三年生3人と高校に入ってまだ3、4ヵ月の一年生2人のチーム。

最後の最後まで同点で進むが、やはり、春と同様、最後の最後に得点され春に続いてまた1ゴール差56対54で5回戦敗退となる。

春の時とは違って引退していたのにわざわざ我々一年生のために戻ってきてくれた三年生の先輩たちに、自分の非力が申し訳なくて申し訳なくて試合後も涙が止まらなかったことをはっきり覚えています。

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その時の試合会場となった高校は、今の私の自宅と歩いて15分くらいの自分の事務所の中間にあります。グランドでは野球やサッカーをする高校生たち、あの時の体育館は建て替えられ今はもうなく新しい体育館、そこにあったであろうあの時の体育館を思い出す。

一年生の N君とは高校以来もずっと親交があり毎年地元に帰って来るたびに会っている友人の一人。よほど縁があるのか、今はお互いの自宅も 500mと離れていない。

私が一度克服した病が再発した後も、彼とだけはどんなに体調が悪くても彼が帰省した時は会ってきました。そのたびにあの夏の試合の話にもなります。

彼は文武両道で大学までバスケットをするのですが、やはり彼のバスケットセンスはこれまで出会った多くのプレーヤーの中でも群を抜いていたと今でも思います。

あの三年生3人と我々一年生があと半年か 1年共にバスケットの練習ができていれば、きっと県大会でもある程度のところまで行けたのではないかと。
私は他の投稿でも少し書きましたが高3の秋に事故に遭い左肩と鎖骨を複雑粉砕骨折して2年間で3回の手術。大学に入った時は左肩の筋肉はほとんど落ちてしまい、かつての運動神経も完全には戻っていませんでした。

それで大学では準体育会に入りリハビリ兼ねてバスケットを一からやり直す時に出会った仲間の多くは、インターハイ経験者や国体選手でしたが、やはりあの時の三年生3人と 1年坊主2名のチームが最強だったと勝手に思っています(笑)。

何十年も経ったのに忘れられない15歳の夏の試合。

筋痛症再発 4年半、どれだけ走っても最後まで疲れなかったあの頃のことを考えながら、今、闘病しています。

もう一度だけあの時のようにとはいかないにしても、自由自在に軽やかに走れるようになりたいとイメージして、歩く練習、少し長く歩く練習、超スロージョグができるところまでやっときたところです。

前に投稿した内容にもありますように、この筋痛症再発後の4年半は人生で一番の痛み地獄の連続でしたが、「まだ生きているということは、まだ何かができることを意味しているんだ」と自分に言い聞かせて。

また、noteやtwitterの投稿を通じて素晴らしい人たちとも出会いました。今の私に出来ることは、運動療法以外、家事の一部、英語を学び、フル活動ではないですが生徒に英語のみならず彼らの将来に生かせることを伝えていきたいと考えています。

15歳の夏の試合から今日までの人生にあった出来事全てをここで述べることは無理ですが、以前の投稿で私の人生の簡単な流れにあるように苦しいことばかりが続いてきました。

改めて考えてみると、この15歳の春と夏の試合が私の人生の中で最も輝いた瞬間の一つであったことは間違いないようです。

今回は英語関連や留学関連の内容ではありませんでしたが、「15歳の時に経験したことが、その後の人生に何十年経っても忘れられない瞬間になり得る」ということを若い人たちに伝えたいと思って、まだ慣れていない音声入力で書いてみました。かなり難しいものですね、慣れるまでは。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以下は本稿の関連投稿です。




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