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自分がわからない症候群


自分が分からない症候群

知りたいのか
知りたくないのか

わかりたいのか
わかりたくないのか

それすらも未だによくわからない
たくさんのいろんな思い込みが私にはある


昨日は自分のこともっと
知りたいと思っても、
今日は知りたくないとか

要は、気分

わからないメリットがもしあるとしたら…?

なんていじわるな質問が自分の頭の中に
いつしかどこかのセミナーかブログだかに
書いてある質問フレーズがでてくる

一旦そんなことはおいといて考えてみる

わからないメリット
自分がわからないといいながら思いながら
なんだかんだで、生きれてるから
変わらなくてもいい

わからないデメリット
ずっと同じ状況で同じことについて考える悩む

結局…現状維持ご希望の様子。
これからどうしたい?って聞かれても
答えられない、というか答えたくない気持ちも
正直なところある…
(あぁ…どこまでいっても怠惰だなという声も聴こえてくるが、とにかくそんな状態な私のことを受け入れたいと思います…)

考えるよりまず感じることが先
と言いながらも、こうしてnoteに
自分の考えを書いたりするのは楽しい
もはや自分の考えでもないのかもしれない
急に哲学チック。

ここまで書いてきて思うこと
要は暇である
考えることは暇だからする
そして何より動かなくてもいいから楽
でもこのエネルギーの使い方を
自己否定などにもっていくと
生活力が衰えるということに繋がる
お風呂に入りたくない
何もしたくないというような…


人生は暇つぶしなのかもしれない…という
ことで一つ思い出したストーリーがある

とある30代の女寿司職人🍣は
今余暇をすごしていると笑っていた

仕事をしているのにそう思えるのはすごい
彼女は20代後半から何もしないを徹底していた
心理学系のフリーランスだった
稼いだお金をほぼ、お寿司に費やしていたそうな🤣

だがその分動く時はとても行動力がある
その時にしたいことをその場限りでしており
彼女はよく笑っていた

オリジナリティが溢れる生き方で
当時正社員で働いていたわたしは
彼女の生き方に惚れ込んで
会いにいったり家に遊びにいったり…

人に流されて生きてきた私は
彼女の生き方が羨ましかった

周りが羨ましい人でたくさんだからこそ
自分を否定してしまいがちになるのだろう
人のいいところはたくさん見えるものだ

先のこと、過去のことを考えすぎるのは
メンタル的にあんまり良くないが
生まれてきたからこそできることでもある
そのネガティヴも味わうのもあり
消えたい死にたいとまで味わうのもありだ

しんどいし細胞も大変だと思うけれど
体の細胞と一緒にしんどいエネルギーを
共に感じていこう

肯定ペンギンとして肯定しておきます。

その時、今、を感じること
いつもだいたいここに流れ着く
私の苦手なこと…

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