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難しいことばかりだ


このコロナ禍で明らかになったこと。経済が止まれば環境問題が解消され、経済を回さなければ生活できない人がでてくる。

消費ということと環境をまもることが今はまだ相いれない位置関係にいること。サステイナブルに消費を循環させていくのはまだまだお金も時間もかかりそうだ。


今までビジネスでの社会貢献活動は一種のパフォーマンスとして企業イメージを上げるためにやっている場合がほとんどだった。いわゆるファッションだった。だが今になってレジ袋の有料化で打撃を受けている企業がいるように、環境問題のことを考えないともはや生き残っていけないのだと感じる。


みんなが幸せになれる世界なんてないのかもしれないと、ある種の絶望を覚えた。


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UNIQLOのファーストリテイリング社が掲げたプラスチック包装の大幅削減。最初聞いたときはとても先進的な会社だなとしか思わなかったが、あれは消費がつきもののファッション業界としてやらなくてはならない課題だったのかもしれない。先手を打てた者だけが生き残れる世界。


私自身も「長く着れるものを」「流行に左右されないものを」という気持ちはあるものの、変わらず服は買ってしまうし新しい服を着てウキウキもしたい。新しい自分になれる1つの道具だと思うから。

だからこそH&MのCONSCIOUSタグやどこかの寄付へ繋がるチャリティー活動の一環など、少しでもその自分のための消費が自己完結しないよう心に留めておきたい。


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こんな難しいことを考えずに、酒で嫌なことを流しながら生きていくほうが楽かもしれない。私は心も身体も強くない。片頭痛に低血圧、貧血にPMS、仕事に忙殺されうつ病にもなった。誰にも嫌われたくないし見た目に反してお酒も弱い。正直生きづらいことだらけだ。そんなことをいちいち気にしていたらきりがないとはわかっているけど、それも含めて私自身なのだ。無視することはできない。

そして今まで生きてきたなかで培われてしまった使命感や責任感。そんなもの無視してしまえば世界のどこで戦争が起きていたって気に病むことはないかもしれない。以前記事にも書いた「この世に真剣に向き合うと人の形を保てない」という言葉。

だけど向き合いたいと思うし向き合わなければならない課題であふれている。何度倒れたとしてもきっと私はこの呪縛から逃れることはできない。

私はなりたくてフェミニストになったわけじゃない。環境問題だって課題感を抱いていているだけで実際に行動に移していることはほんのわずかである。本気でこの世の課題に取り組む芸能人、ローラや松島花、伊勢谷友介などを見ているとなんとも言えない気持ちになる。自分にはそこまでできないという、嫉妬なのか、呆れなのか。一歩引いてしまう。

それが世の中の人から見たときのフェミニストへの視線だろう。そんなどうしようもないこととそんな真剣にぶつかってどうするんだという声が聞こえてくるかのよう。やりたくてやっているわけじゃない。じゃあやらなければいいじゃないか。誰に頼まれたわけでもないことを、見えない誰かのためにそんなに頑張る必要があるのか。何度も自分に問いかける。

でも考えずにはいられない。この世に起こる全てのこと。全部私に繋がっている気がして。


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「自分事化」というのを新入社員のころに学んだ。何事も自分のことのように向き合うこと、仕事上達の秘訣だと。先輩の成功も、後輩の失敗も、すべて自分事化。

今考えれば、そんなこと当たり前だったのかもしれない。私を脅かす「明日は我が身」という感情。私の言動は恐れからでてくるものばかりだ。


そんなに期待されても困る。私はあなたたちの希望の光なんかじゃない、と思いながらも後輩や次の世代の子たちには明るい未来を見せてあげたい。私が生まれてきた意味を、ここに居る理由をそこに見出してしまうのだ。

きっと傷だらけになって死ぬのだろう。人間ではなくなってしまうかもしれない。そんな自分も恐ろしいけれど、周りの人には笑っていてほしい。私の破滅なんて、ただの笑い話でいい。



mito



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