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そしてまたミラーリングは失敗する。

こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。
今回は、VTuber戸定梨香(とじょう・りんか)さんに関するお話です。

彼女にまつわる騒動については既にかなり有名かと存じますが、一応簡単な経緯を載せておきます。ご存じの方は読み飛ばしてください。

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彼女は所属する「株式会社Art Stone Entertainment(以下「ASE」)」がある地元・千葉県松戸市の松戸警察署とのコラボで、交通安全キャンペーンへ参加しており、下記の通りASEおよび松戸署からも正式に広報も行われ、実際に出演する動画も作成されていました。

ところが、この交通安全キャンペーンに対して、全国フェミニスト議員連盟(以下「フェミ議連」)という団体から「待った」がかかります。

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VTuberである戸定梨香さんのアバターを、「女児を性的な対象として描いたキャラクター」だと断定した上で、公共機関である警察署が彼女を採用するのは「あってはならないこと」だとして、県警・松戸署ならびに各自治体の長にあてて質問状を送付したのです。

これを受けて、啓発用に作られた動画が削除されて非公開になりました
現在は前出のとおり、彼女の公式チャンネルで公開されているので見ることは出来ますが、警察とのコラボ活動は実質的に中断された状態になっています。

ASEの代表である板倉節子氏は、
「最終的に削除で終わりとは、思いを否定されたような気持ちだ」
としてコメントを発表しました。

しかし、これで幕引きとはなりませんでした。

自らもVTuberとして活躍し、SNS等を利用して積極的に情報発信を行なっている大田区議会議員おぎの稔氏が、青識亜論さんと協力して、「抗議への抗議」を行なうための署名活動を始めたところ、たった3日で3万人を突破するという快挙を成し、この問題への関心の高さと、元の公開質問状に対する反発の多さを明らかにしました。

詳細は、署名の概要欄に非常に詳しく書かれてありますので、ここでは割愛します。

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この「抗議への抗議」に関しては活発な動きと議論が続いていますので、そちらは他の場にお任せしようと思います。

本稿においては、元となった記事においてVTuber戸定さんが

「性的対象物として描写され、かつ強調している」
「女児を性的な対象として描いたキャラクター」

と断定されるに至った根拠とされている3つの要素、

①ヘソ出し(お腹とおヘソを出している)
②ミニスカート
③乳揺れ(身体を動かすたびに大きな胸が揺れる)

について、公開質問状の記載における考察を踏まえつつ、この3つのうち「③乳揺れ(身体を動かすたびに大きな胸が揺れる)」に着目し、特にネット上の議論において「ミラーリング」と呼ばれる表現を交えてお話ししていこうと思います。


フェミ議連の公開質問状に関する疑問点


まず、この公開質問状ですが、最初に読んだときも、本稿を書くために読み返したときも、どうも美しい書状のようには思えなかったのですよね。

書いている人間の主観が先に立ってしまっており、それにさらに無知や無理解が混じっているため、少なくとも、公的文書として提出するには少々感情に走り過ぎで、出来栄えがよくないように感じました。

ここでは、そう感じるに至った部分を抜き出していきます。

■VTuberに関する解釈

下記は公開質問状からの抜粋ですが、

戸定梨香というVTuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。

VTuberに詳しい方ならここの冒頭でまず眉をひそめると思いますが、VTuberは発信者であるいわゆる「中の人」の分身でありアバターですので、アニメキャラクターではありません

アニメーションで動くキャラクター=アニメキャラクター、という程度の認識だとすると、そもそもVTuberというものが何なのかを理解しているかすら怪しく思えます

また、「女子中高生であることを印象づけた」ともありますが、戸定梨香さんは多くのVTuberと同じく、特定の年齢設定がされていませんので、単純に「中高生くらいの年齢っぽい」という、見た目の印象だけで述べているように感じられます。

参院議員の山田太郎議員による、
「Vtuberは実際の年齢別容姿に寄らず様々な外見になれる素晴らしい空間」
という言葉が、私もVTuberに対する模範的な表現だと思います。

質問状の表現からは、書いている人間がこうしたVTuberの概念をきちんと理解しているようには感じ取れません。

個人的には「無知は必ずしも恥ではない」と思いますが、これは公的組織から公的組織に対して提出される文章ですから、無知を元にした偏見や憶測が混じってはいけない代物です。
正直なところ、これは記述者の誠意が欠けていると思わざるをえません。


■性的対象物

先と同じ引用ですが、ここに「性的対象物」という言葉が出てきます。

戸定梨香というVTuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。

国連女性差別撤廃委員会(2016年)は、日本政府に対して「固定観念と有害な慣行」として「メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行なっていること」に懸念を表明しています。
公共機関である警察署が、女児を性的対象とするようなアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならないことです。

私は最初、これを「性的対象」を言っているのかと思いました。
性的対象化は、よくネット上で「性的消費」などという造語に呼び替えられて使われているものです。

しかし、性的対象化は定義に関する解釈が分かれており、いわゆるポルノグラフィに限定するという意見であったり、ポルノではなく人権侵害にあたるかで考えるべきだという意見、さらには女性という性をアイコン化したものは全てNGであるという極端な意見まであります。

この質問状においてそれがどういう意味で語られているのかについては、それに続くセンテンスで、

国連女性差別撤廃委員会(2016年)は、日本政府に対して「固定観念と有害な慣行」として「メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行なっていること」に懸念を表明しています。

という箇所に続いていると思われます。

これは何の話かというと、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(略称:CEDAW)」という国際条約がありまして、加盟する各国における条約の適切な履行を監視するために、国連が設置している「国連女性差別撤廃委員会」なる組織があり、日本からも委員が選出されています。

この委員会から、必要に応じて各国の女性差別に対する取り組みへの提言や勧告が行われており、このうち2016年における勧告に、質問状に書かれている記載があります。

固定観念と有害な慣行

20.委員会は、家父長制に基づく考え方や家庭・社会における男女の役割と責任に関する根深い固定観念が残っていることを依然として懸念する。委員会は,特に以下について懸念する。

(a) こうした固定観念の存続が、メディアや教科書に反映され続けているとと
もに、教育に関する選択と男女間の家庭や家事の責任分担に影響を及ぼしていること、

(b) メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行っていること、

(c) 固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビデオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長していること

(引用元より一部抜粋)
引用元:「CEDAW 女子差別撤廃委員会日本の第 7 回及び第 8 回合同定期報告に関する最終見解」 

フェミ議連の質問状も、ここで書かれている固定観念こそが、戸定さんを性的な対象たらしめている、という論調なのだと思われます。

ですが、ここで一つ疑問というか不思議に感じたことがありまして。

この委員会の勧告で繰り返し使われている「固定観念」という言葉なのですけれども、これが具体的にどんなものを指すのかが明確には書かれておらず、非常にぼんやりとしているように思われませんか?

言ってしまうと、この勧告に沿って抗議なり問題提起をしようと考えた人(今回の件ではフェミ議連ですね)が、そのケースごとに都合よく定義できるように書かれているようにも見受けられます。

フェミ議連もそこを上手く利用したつもりなのだと思いますが、今回に関してはそこに頼りすぎて、逆にこの「固定観念」というものの罠にはまってしまい、それが本件の議論をより大袈裟なものにしてしまったと考えております。
この「固定観念」については、後ほどまた詳しく取り上げます。


■抗議の目的とその手段が悪手すぎる

そもそもこの文書、「抗議ならびに公開質問状」とあるわけですが、冒頭の方で

私たちは、啓発動画に「松戸市ご当地VTuberの戸定梨香」を採用した千葉県警、松戸警察署・松戸東警察署に強く抗議し、当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます

と、初っ端から「謝れ」「削除しろ」と、譲歩する気が一切無いことを示しています。

謝罪って、誰に対しての謝罪なのですかね……フェミ議連に謝れということでしょうか。
フェミ議連に謝ることに、どういう意味があるのかは存じませんが。


そして「悪手」と申し上げたのは、戸定さんの所属会社であるASEの代表、板倉節子さんの訴えを拝見したからでした。

……また、動画の削除にあたっては、県警からの詳しい説明はなされなかったのだという。

「削除になるかもしれない、という連絡はいただいたし、抗議があって、このまま残しておくわけにはいかないということは言われたが、誰からの抗議なのかというのは知らされなかった。そもそも今回のPRは年間を通じてのものだったので、秋冬が残っている。この後は警察の格好をするということが決まっていて、既に制作も終わっている。また、10代、20代向けにYouTubeでPRをしていきたいということだったが、第2弾として、ポスターを作って配布することなども検討されていた。胸が揺れるように作ってくださいと頼んだわけでもなかったが、そういう風に見えるのか、気にするようなポイントなのかと驚いたし、そうした意見、抗議をまず私たちの方にくだされば、松戸のPRを良くするためにも話し合うこともできたと思う

(前述のニュース記事より抜粋)

要約すると、

・服装は指摘されたもの以外にも準備していたものがあった。
・動作の表現に関しても、改善する余地が無かったわけではない。いきなりの削除要求ではなく、まずこちらに相談をいただきたかった。

ということですね。

つまり、これが「抗議ならびに質問状」ではなく、単なる「質問状」としての形式にとどめて、是正勧告として指摘された事項を改修するような形に進んでいれば、コラボも継続し、フェミ議連も要求どおりになり、ということで、全員が幸せになれる可能性も十分にあったということにならないでしょうか。

それを、初手から「削除しろ」「謝罪しろ」では、話し合う余地など無いと言っているようなものですし、このように話がこじれれば、世間におけるフェミ議連の印象も悪くなるだけです。

そして、あまりそう考えたくはないのですが、こうした姿勢から漂ってくるのは、そんな風に穏便に済ませて「場合によってはコラボを継続しても構わないだろう」などといった思惑は毛頭なく、最初からただただ燃やし尽くすのみという考えだったのだろう、という焦げ臭さです。


何がそこまで駆り立てるのだろう、という点に関しては、推測ではありますがおそらく当たっているであろうと思うのが、

「マンガ・アニメ・サブカルチャーから発した文化に対する強烈な嫌悪」

なのだろうな、と。
先にお話しした「固定観念」の件にも繋がりますので、質問状に関する細かい指摘はいったんここまでにして、話を先に進めます。


「固定観念」の罠


あらためて、戸定さんについて指摘されている箇所を抜粋してみます。

戸定梨香というVTuber(アニメキャラクター)は、セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています。

国連女性差別撤廃委員会(2016年)は、日本政府に対して「固定観念と有害な慣行」として「メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行なっていること」に懸念を表明しています。公共機関である警察署が、女児を性的対象とするようなアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならないことです。

ここは一連の話として繋がっていると思われますので、最初に挙げた3要素、すなわち

①ヘソ出し(お腹とおヘソを出している)
②ミニスカート
③乳揺れ(身体を動かすたびに大きな胸が揺れる)

が、「女性や女児における固定観念」だと考えた、ということなのでしょう。

しかしながら、ここに国連女子差別撤廃委員会の話でも指摘した、固定観念というものに対する罠が隠れていると私は考えます。


そもそもなのですが、「ヘソ出し」「ミニスカート」「乳揺れ」って、本当に固定観念なのですか?

固定観念だと主張するならば、それは誰が固定観念だと思っているのですか?


何が言いたいかといいますと、この話題における「固定観念」というものは、それを指摘する側が「こういうものが固定観念だ」と定義する必要があるがゆえに、しばしば社会通念と指摘側の認識に差異が生じてバグる、ということです。

例として、3つのうち「ミニスカート」について取り上げてみましょう。

日本では60年代にミニスカートの大ブームがありました。
この時は、若い女性だけではなく40代・50代の女性もこぞってミニスカートを履いていたという話があります。

ツイッギーを日本に招待したのは、合成繊維メーカーの東洋レーヨン(現・東レ)だった。
(中略)
時代の新しい流れを感じ、ミニスカートの普及のためツイッギーを呼ぼうと決めたという。繊維産業に陰りが出ていたこのころ、遠入には「もしスカートが短くなれば、ジャケットもワンピースも、コートも短いものに買い替えることになる。ランジェリーすら替えなくてはならない。日本中の女性がそうなれば、膨大な経済効果が期待できるはずだ」との思惑があった。

はたしてツイッギーの来日を機に、ミニスカートは若い女性を中心にまたたく間に日本に広まり、2年後には、時の佐藤栄作首相の寛子夫人が渡米時に着用するまでになった。

私もその時代に生きていた人間ではありませんが、高度経済成長時代には、こうして流行を追うことが世の中において正しいことであり、皆が同じファッションを身につけて、同じ流行歌を聴き、同じものを食べているのも恥ずかしいことではなく、むしろ人とは外れたことをしている方が恥ずかしい、といった風潮があったのではという印象があります。

ですが、これはもう半世紀以上も前の話です。
令和の前の、平成の前の、昭和時代のそれも中期の話です。

女性のファッション一つをとっても、昭和時代のように「大流行」というものはなく、流行りのアイテムがあっても、まずネットやお店で見て、次に実際に着ている人を見た上で「自分に合っているだろうか」を考えた上で、もし着るとなっても、ちゃんと自分に合わせたアレンジを加えて使う、ということをする時代です。
あるいは、流行に乗らないという選択肢も何ら不自然ではないという意識が根付いている時代です。

そんな令和時代に「可愛い女性=ミニスカート」などというものを固定観念として掲げても、笑われるだけではないでしょうか?


これは現実のお話ですが、創作の世界においても女性のキャラクターがみんな一様にミニスカートを履いているわけでもなく、また、ミニスカートだからといって常に性的な表現として描かれているわけでもありません。

戸定梨香さんに関して言うならば、彼女はVTuberですから、いわば現実と創作のハイブリッドであり、お仕着せの格好をさせられているわけでもありません。

つまり、女性として自らの意思で望んでミニスカートを履いているだけなのです。

彼女の格好を指してそれを「女性や女児における固定観念」などと断定するのは、むしろ女性の自由意志を阻害していることに他なりません。


「ヘソ出し」についても同様で、昨年あたりから現実世界でも流行していますが、これも皆が揃ってやっているわけでもありませんし、着ているからといってそれが「性的だ」とされるべきものなのでしょうか?

海外では、制服のない学校に通う中高生たちが、ヘソ出しトップスでの通学を禁止されたことに「どんな服なら着ても良いか悪いかなどという話を、いつまで言い続けるんですか?」といった反発の意見が相次いだ、という話さえあります。

創作の世界においても、特に女性キャラの定番というわけでもないですし、何であればSNSでもさんざんに指摘されている通り、女児向けのアニメキャラクターでも普通に適用されている表現です。

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それでもまだ、「露出度が高くてよろしくない」という指摘であればともかく、「性的表現としての固定観念だ」とまで決めつけるには根拠が薄弱なように思われました。


このように、ファッション一つをとっても、既に個人の自由と多様性を重視する考えは世の中に浸透しており、「世における固定観念」などというものを定義するのは非常に難しい時代になっているわけです。

国連・CEDAWの指摘でもここが曖昧なままになっているのは、ただ単に定義しようがないと分かっているからだとさえ思います。

そして、それを無理矢理に定義し、一方的に決めつけた上で自分たちの主張を押し通そうとしたのが、ここまでの反発を招いた一番の原因ではないでしょうか。

固定観念とは、他人に向けてむやみにぶつけると、逆に自らが嵌まり込む罠になる、という好例(にして悪例)だと思います。

***

さて。

フェミ議連からの「性的な」指摘事項における最後の一つ、「③乳揺れ」について、なのですが。
個人的に、これは残りの2つとはちょっと毛色が違うものだと考えました。

なぜなら、「①ヘソ出し」「②ミニスカート」については、現実でもVTuberでも、使用者が自らの意思で身につけるものですが、「③乳揺れ」に関してだけは、

現実世界 → 本人の意思に関係なく、重力と物理法則に則って揺れる
(ブラや着衣などによりある程度は抑えることが可能だが限界はある)
VTuber → 物理演算エンジンによって制御されており、これも本人の意思とは関係なく揺れている
(3Dモデルの場合。物理演算の調整が可能なケースもある)

ということで、特に現実世界においては乳揺れは不可抗力な部分もあるため、これを性的、いわば「いやらしいもの」だと扱うのはいかがなものか、という議論が起こりました。

これには胸の大きな女性も「どうやっても仕方なく揺れる時はある」として擁護側に回ったりもされておりました。

そんな中、「乳揺れがいかに不愉快なものか」を、女性側が男性に対して理解させるために、ツイッター用語で「ミラーリング」と呼ばれる比喩が試みられたのですが、そのいずれも、どうにも男性側を納得させられているようには見受けられなかったのです。

私はこのミラーリングこそが、全国フェミニスト議員連盟の本音を投影しているように感じましたので、本稿の最後に、このミラーリングが発動できない理由を探って参ります。


乳揺れのミラーリングが効かない理由


先にお断りしておきたいのが、この項においては、「ミラーリング」という言葉を以下のように定義いたします。

主に性差によって、片方の性別にのみ発生する事由を説明するのに、逆にもう一方の性別にだけ発生する事象を例に用いること。

(例:出産の痛みってどれくらい?→おちん◯んの先からスイカが出てくる感じ)

なぜわざわざ定義しているかというと、辞書で調べたのですが、もともと「ミラーリング」という言葉にそんな意味は無いので、おそらくネットミーム的なものだと思われます。

というわけで、上記のような意味合いで使っているものとご了承ください。
なお、話題の特性上いろいろと猥雑な言葉が飛び交いますが、本人は極めて真面目に語っておりますので、どうかご容赦いただければ幸いです。

ちなみに本来の「ミラーリング」はこんな意味です。

[2021/09/18 20:00 補足]
こちら、神崎ゆき(@yuki_birth)さんよりご指摘をいただき、「ミラーリング」という用語は、韓国に存在したラディカルフェミニスト向けのコミュニティサイト「メガリア」において使用されていた用語であるとご教示を賜りました。
「ミソジニー(女性嫌悪)対抗サイトであり、フェミニズム関連のウェブサイトであることを標榜していたが、日刊ベストストア(通称「イルベ」)など一部では、代表的なミサンドリー(男性嫌悪)サイトだと認識されていた。イルベなどが主導するミソジニーに対して問題意識をもったネチズンが、ミソジニーのフレームをそのまま男性にも適用して逆方向で見せる「ミラーリング (mirroring)」によって、社会運動の戦略として注目をあびると同時に大きな論議を呼び起こした。」

出典:Wikipedia「メガリア」


では、ツイッター上におけるミラーリングの話ですね。

以前にちょっと盛り上がったのが、「#貧茎チャンレジ」というタグで、これは私の記憶が正しければ「宇崎ちゃんは遊びたい」の諸々の騒動からの派生で、

「巨乳キャラが叩かれるのは、貧乳の女性による妬みである」

といった論説に対して、

「男だって陰茎が小さいって言われたら傷つくでしょ!」

と反論するため(というか男性をおちょくるため)に作成したタグだったのですが、男性側にはほとんどダメージが入らないばかりか、逆にいじり返されたまま収束するという惨憺たる結果になっております。

いや、正確には本当にノーダメージだったのかは分かりませんが、おそらくこのタグを拡散した側が期待したリアクションは、「顔を真っ赤にしてムキになって反論してくる」みたいなことだったのではと思うのですけれども、そのようなやり取りは知りうる限り観測されませんでした。


そして今回の話題について、「乳揺れ」自体に嫌悪感を示す方々が、胸が揺れる表現がいかに不快なものかを説明するために、

「男性の股間が揺れてたらおかしいでしょう!」

という論説を展開し始めました。

といった感じなのですけれども、細かいものでは類似した投稿がそこそこあるのですが、いずれも特にバズっている気配もなく、男性側の自尊心にダメージを与えるには至っていないように見えました。

そこで、私はこんな投稿をして意見を募ってみることにしました。

これに対して、さまざまな意見をいただいたのですが、結論から言いますと、乳揺れに対する決定的なミラーリングとなりそうなものは特定できませんでした

多かった意見としては、だいたい以下のようなものでした。

・股間をブラブラさせる表現などはギャグ漫画で多様されており、大抵の男はそれを見ても面白いとしか思わない。
・とりあえず「シティーハンター」を読め。
・ムカつく表現として思いつくものはあるが、それを見かけたからと言ってハッシュタグで拡散しようとか抗議しようとかまでは思わない。
・BLや腐女子向けの作品で「なんじゃこりゃ」と思うものはあるけど、見なければいいだけの話。

その他、細かいリプでいただいたものも集約して語るなら、

「これは明らかに女性視点で描かれた男性像だな、と思って眉をひそめるような表現はたまにあるけれど、別にそれで『男性という性が侮蔑されている』だとか、そんな風には考えない」

というのが、大まかな結論でした。

***

これらを踏まえて考えるならば。

まずは前提として、物凄くそもそもな話にはなるのですが、

「乳揺れの表現に関して異議を唱えているのは、世の中の全ての女性というわけではない」

という点があります。

これは前項でも触れましたが、特に胸の大きな女性の場合は、ランジェリーショップで正確にサイズを測りセミオーダーしたブラジャーでも、揺れるものは揺れる、というご意見をいただきました。

また、単純に大きさだけではなく、揺れる揺れないはバストの形状にも影響される、といった話もあります

ということで、実感として自分の胸が揺れると知っている方の中には、乳揺れの表現は必ずしも悪いものではないと認識されている女性がいるわけですが、それを打ち消すかのように、

など、現実においても揺れること自体を否定する意見や、

と、「友達の胸が揺れているのを見て心配になる」という意識が存在する、とまで発言される方が現れて、特にこちらの引用RTなどでは、実際に胸が大きくて苦労されてきた女性を含めて、否定的な見解が並んでいます。


要は、ミラーリングを試みようとする人達は、

「胸が揺れる表現などあり得ない。同じことを男性がされたらどんな気持ちになるか、思い知らせてやろうじゃないか」

と思っているのでしょうけれど、その気持ち自体が女性の間できちんと共有されていないですし、共有されていないことが男性側にも筒抜けであるがゆえに、それが女性全般に共通する痛みであるとは伝わっていないので、真剣に捉えてもらえないのです。

ミラーと言いつつ、そもそも鏡にも全容がまともに映っておらず、像すら描けない状態ということですね。

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ミラーリングとは少々異なりますが、何年か前に「男性が生理になったら?」という視点で描かれたマンガが、分かりやすく表現されていて面白いと話題になったことがありました。

これは別に男女に限らず、誰かに自分の痛みを知ってもらうには、それをきちんと言語化して、相手にも分かりやすい形で伝えるための丁寧な工夫が必要です。

その心の痛みが本物なのだとしても、

「おっぱいの対比だから、おちん◯んで伝わるだろう」

などという雑な論法で痛みなどというものが伝わるのなら、誰も苦労はしません。

雑なミラーリングをしようとした結果、性的マイノリティの方々を激怒させるに至った、馬鹿げているとしか思えない例も存在します。

何かと対比して相手をやり込めよう、などというつまらない発想ではなく、本当に心の中に怒りや痛みが存在するのならば、まずそれを周囲にきちんと説明する努力から始めるのが最善手ではないでしょうか。


最後に


説明という点においては、フェミ議連の公開質問状も、書いた人間の本音をきちんと表現できていないと私は考えています。

VTuberの容姿だけを見て、一方的に「性的だ」などと決めつけてバリアを張ってしまわずに、もっと誠実に言葉を尽くせば、皆が納得できる方向へ向かうことができると思うのです。
それこそが、「男女平等」への大事なプロセスだと思うのです。

署名の方は、執筆時点でも間もなく4万人に達しそうですね!
出来うるならば、これが単なるケンカのカウンターパンチではなく、フェミ議連に話し合いの場へとついてもらうための手段となることを願っております。

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(了)


[追記 2021/09/20]
フェミニズムに関して非常に見識の高い記事を書かれている、神崎ゆきさんが、本件にも言及した内容と併せて現代フェミニズムの問題点を挙げていらっしゃいますので、ご一読をお勧めいたします。

それから、この追記時点で署名の方も42,000筆を超えております!


最後までご清覧いただき、誠にありがとうございました。


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