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オトナの性教育②~『ピルの認可に34年もかかった』の真実と風説

こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。

前回のお話を踏まえまして、いよいよ本題です。

生理(+排卵)、妊娠、ピル、バイアグラに関して予備知識が欲しい方は、ぜひこちらをご一読いただいてから先にお進みください。


ではようやく、この一連の話を書くきっかけになった、

「かつて、ピルの認可には34年もかかったのに、バイアグラはわずか半年で認可された」

の件ですね。

これはなかなか骨が折れました。
結局、ピルが日本で最初に認可されてからの40年余りの歴史をずっと辿る羽目になりましたが、おかげでどうにか自分を納得させる程度の説明は手に入れることが出来ました。

・・・え?何ですって?

最初に認可されてからの40年余り、とは何か、ですか?

ピルは1999年までの34年間、ずっと認可されなかったんじゃないの?
、ですって?

はい、そうですよね。
要はこれ、物は言いようとでも申しましょうか、私の感覚では風評か風説に近いものだとさえ思っておりますが、それはどうか、本稿をお読みいただいた上でご判断いただければと思います。

それでは参りましょう。後編スタートです。


プロローグ:そもそも「34年」ってどこから出た数字?

まずは何より、この「34年」の元ネタについてです。

これはすぐに見つかりました。民主党副代表を務めたこともある元国会議員、円より子氏が書かれた、以下の記事だとみられます。

…その後、1999年になってようやく認可されたが、国連加盟国の中では最も遅かった。ピルが入手可能になってから、実に34年も経っていた

対照的なのは、男性対象の勃起薬バイアグラで、半年で認可されている。「なぜバイアグラは半年で認可なのか」という女性議員たちの怒りの声で、ようやくピルも認可となったのだ。これが男女差別でなくて、何であろう。女性は身体や性について無知な方がいいという考えが、根底にあるに違いない。
(記事本文より抜粋)

ED治療薬であるバイアグラを「勃起薬」呼ばわりしている点に、大いなる差別意識を感じますが、そのツッコミだけで一記事書けそうですので、いったん置くとしまして。

入手可能になってから1999年で34年、ということは、1965年辺りに何かがあった、ということでしょうか?
ですが、この記事にはその辺りのことまで詳しくは書かれておりません。

それでは、この言説の根拠を確かめるために、ピルの製造と販売の認可にまつわる歴史を紐解いて参りましょう。


1950年代:ピル研究の始まりと、日本での認可

ピルが、月経改善と避妊薬の両方の観点から注目されて研究が始まったのは、実に1950年代にまで遡ります。

日本でも、1955年に東京で開催された国際家族計画会議での研究成果の発表をもとに「経口避妊薬に関する研究班」が発足し、1957年には塩野義製薬が「ノアルテン錠」を1960年には大日本製薬が「エナビット錠」を、それぞれ月経異常などの治療薬としてではありましたが、承認されて発売され、臨床試験を開始しています。

アメリカで、ピルが避妊薬として世界で初めて発売されたのが1960年(製造元:サール、製品名:Enovid)ですから、日本における経口避妊薬の研究は当時でも世界の最先端レベルであった、ということが分かります。

ノアルテン錠の発売など、敗戦からわずか12年でのことですよ?

☆☆☆

はい。そして改めて申し上げますが、、ここは重要なポイントとして抑えておいてくださいね。テストに出しますから。

治療薬としてのピルが日本で初めて厚生省から承認されたのは、「1957年」です。

では、続きに参りましょう。


1960年代:避妊薬としての認可申請と、その承認を阻んだ3つの要因

その後、臨床試験が進んで、日本でも前述の大日本製薬、塩野義製薬らが主導して、1961年には、早くも避妊薬として旧・厚生省に届け出を行ないました

追加の臨床データ等の要求はあったようですが、何事も無ければ、そのまま通過し認可される見通しであったと言われています。

が。

この認可を阻んだ、3つの要因があったのです。


①薬品への不信感~サリドマイド事件と、ピルの副作用

まず1つめ。
1950年代の終わりから60年代にかけて、昭和史上に残る薬害の大事件が起こります。

それが、サリドマイド事件です。

サリドマイドは、1957年に西ドイツで開発された薬で、鎮静剤・催眠薬として世界40カ国以上で販売され、日本でも大日本製薬が同年には独自に製造、販売をしました。

が、この時はまだ本国ドイツでも未発売であったにも関わらず、日本国内では十分な動物実験さえも行われず、また当時の厚生省の審査も非常に簡易(わずか一時間半で完了)という杜撰なものであったことが、後に指摘されています。

販売の際には身体には無毒であり、妊婦でも安心して利用できる、という、まともな医学根拠すら無い宣伝文句とともに売り出され、多くの妊婦がつわり止めとして使用したとされており、これが被害の拡大に繋がりました。

どういうことかと言うと。

サリドマイドは、妊婦が服用すると、胎児に重大な影響を及ぼす薬だったのです。

日本のみならず、世界で1万人以上の胎児が被害を受け、多くの死産、あるいは四肢の奇形、視覚や聴覚の異常、内臓への重大な疾患を抱えて生まれてきました。

<参考>「サリドマイド事件の概要と被害者の今」~公益財団法人いしずえ・佐藤 嗣道氏

なおこの時、61年にドイツの研究者が「サリドマイドには胎児に対する重大な懸念がある」と指摘していたにも関わらず、当時の製薬会社と厚生省は、これを「科学的根拠が無い」などとして突っぱねました

実際には、その頃にはもう、看過し難い被害が日本でも出始めていました。
この勧告を即座に聴き入れていれば、被害の拡大を防げたと言われており、後に長きにわたる薬害訴訟でも常に取り沙汰されました。

事実、アメリカでは1960年に「胎児への影響に関するデータが不十分である」という理由により、サリドマイドは認可されなかったため、被害を食い止めることができています。

この事件により、世間における製薬会社と厚生省への信用はガタ落ちになります。

さらに追い打ちをかけるように、1961年には、アメリカで販売されていた経口避妊薬に対して静脈血栓症を引き起こす恐れがあるという報告があり、その後も乳がんや子宮頸がんのリスク、肝障害などの副作用の報告が続きました。

妊産婦が重大な被害を受けた薬害が席巻している中で、同じく「妊娠」という要素に関係する薬への風当たりがいかほどの強さであったかは、想像に難くないでしょう。


②若者の「薬品遊び」への懸念

時代がおおらか、というか大雑把だった頃のせいではありますが、50年~60年代にかけて、若者の間で「睡眠薬遊び」というものが流行りました。

睡眠薬をアルコールなどと一緒に摂取して、陶酔感や高揚感を味わう、という危険極まりない遊びですが、当然ながら昏睡・昏倒したり、そのまま死亡に至るようなケースも少なくなく、社会問題に発展しました。

不良グループの間で女性に対して使用され、性犯罪の引き金にもなっていましたので、ピルもそうした犯罪に悪用されるのではないか、という懸念を指摘する識者が多かったようです。


③各種団体からの反対

3つめは、一部の医師会、助産婦会、そして日本家族計画普及会(現:一般社団法人 日本家族計画協会)といった団体が、ピルの導入に断固として反対の姿勢を見せていた、という点です。

この辺りは、要因①による、ピルという薬そのものへの不信感であったものと思われ、事実、1980年代になって産婦人科界や日本家族計画協会は方針を転換し、ピル賛成派へと回ります(後述)。

***

これら大きく分けて3つの要因を受けて、1965年の7月には承認を踏まえた新医薬品部会が開かれるはずだったのが、急遽中止になり、ピルの承認へ向けた動きはフェードアウトしていってしまいます。


1970年代:日本のフェミニストはピル使用に消極的だった、という説

さてさて。

その後、1960年代から70年代に入って、フェミニズムの話題ではお馴染みのウーマンリブ運動が日本でも盛んになります。

もともと海外では、宗教上・法律上の理由で中絶が禁止されていた国が多かったこともあり、ピルの解禁は女性にとって自由を得ることにも繋がる、として、ウーマンリブ運動では肯定的に捉えられていました

ところが何故か日本では、ピルの解禁には消極的なフェミニストが多かった、と言われています。

…しかし、リブ運動では、ピルに対して多くの議論を交わしたのち、多くの人達は賛成の表明をしなかったのである。

これは.合法的中絶という手段をもたなかった、そのため女性が使える避
妊手段をどうしても手に入れる必要があった他の先進国と、日本の相違点である。

リブの女性達がピルに反対した理由は、

①医師や製薬業界がピルにより.女性の身体を使って利益を上げようとし
ていると捉えた。

②ピルには副作用があって女性の健康に有害である。 (1970年には米国上院でピルの安全性について公聴会が開かれていた)。

③ピルは避妊の責任を女性のみのものとして男女でそれを共有できなくすると考えられる


ということだった。

<引用>
「日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか」~明治大学 平山満紀氏

これはとても興味深い指摘ですね。

つまり、ウーマンリブ運動の頃の日本における多くのフェミニストは、ピルの導入には消極的だった、ということで、なおかつこれは、世界的なフェミニストの動向からすると稀有なものである、という点です。

***

ちなみに、70年代の動きを調べていると必ず現れるのが、「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」、略して「中ピ連」という団体です。

何かもう、名前からして尖った印象しか受けませんね。

この団体は、いちおう女性解放を謳いながらピルの解禁と保険適用を求めて活動していたのですが、人工中絶の制限を主張していた国会議員の家に大勢で突撃するとか、ピンクのヘルメットを被ってたびたびマスコミの前に登場しては扇情的で過激な発言を繰り返すなどして、一般の人達からも(良くも悪くも)注目を浴びました。

あげくに「日本女性党」という政党を立ち上げ、極端な女性主義を掲げて国政に挑むものの、供託金没収レベルにも届かない得票しかとれずに大爆死して政党も解散、という面白集団でした。

ただ、マスコミ出演に積極的だったこともあり、この世代の方にはそこそこ有名だとのことで、そのせいで「フェミニストはピルの解禁には賛成していた」という間違ったイメージが定着してしまう原因になった、非常に迷惑な集団です。

実際には、中ピ連は他のフェミニストからも非難を浴びまくり、一緒にしないで欲しいと煙たがられていた、というのが事実のようです。

この俵萌子さん↑などは、中ピ連の方ではないのですが、「日本女性党」が参加したのと同じ選挙に立候補した際に、有権者やマスコミから同類のように勘違いされて、思うように票が集まらず落選し、中ピ連の代表に対して激怒していた、という非常に気の毒な方です。

***

まぁ、中ピ連は極端すぎるので置いておくとして。

ひとまず、この年代で強調しておきたいのは、

70年代における日本の女性の多くは、ピルの導入に積極的ではなかった。

という点ですね。

ただこれも、「積極的であったという歴史が見つからない」というものですので、もしも「そんなことはない!これが証拠だ!」というエビデンスがありましたら、フェミトー(@feminist_tokyo)まで情報をお寄せ頂ければ幸いです。

【2021/07/20 追記】
こちらご指摘いただきました。
フェミニストや一部の女性団体・既得権益を持つ医師団体などは反対の立場でしたが、60年代末頃には、実は一般女性にはピルの需要が多く、実際にかなりの数のピルの利用者がおり、若い女性のみならず主婦層も含むものでした。小児科でピルが処方されていたり、普通に薬局で売られていた、ということも珍しくなかったそうです。

背景としては、第二次ベビーブームで多産の家庭が増える中で、経済的な理由などからそれを防ぐためだったのと、そもそも当時の男性が避妊に対する意識が低かった、といった辺りが推測されます。

以下は日本における人工妊娠中絶の件数ですが、20~24歳のグラフが、60年代末~70年代で跳ね上がっているのが確認できます。
それにしても50年代の数字は凄まじいですね…。

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なお、「既得権益を持つ医師団体」とは、上記グラフでわかる通り、人工妊娠中絶による利益を失いたくなかった方々のことです(-_-)
その後、70年代初頭に厚生省は「ピル」「経口避妊薬」といった用語についてマスコミに対して箝口令を敷き、世の話題に出さないようにして、一般への転用も排除するのに躍起になりましたが、その後の優生保護法改定の論議なども交えてむしろ議論は活発化しました。
けれど、中ピ連のような過激派を生む結果にもなり、70年代以降は出生率の低下もあって、議論は縮小してゆきました。

***

そして1970年代には、薬品としてのピル自体も重要な転換期を迎えます。

60年代のお話で、血栓症などの副作用がピルを悩ませた、というお話をしましたが、これを解決するために、ホルモンの処方量を抑えた低用量ピルが開発されました。

日本でもそれまで婦人病の治療に使われていたのは、中・高用量ピルと呼ばれるものでしたが、以後は世界的なトレンドとして、低用量ピルが主流になってゆきます。

しかし、この初期の低用量ピルにも問題が無いわけではありませんでした。ホルモン量を抑えたことによって、生理の周期を制御するという治療面での役割が弱くなってしまったのです。

これを打開するために、新しく開発された製剤の利用などが試みられました。

【2021/07/20 追記】
上記の記述における「初期の低用量ピル」とは、中・高用量ピル(第一世代ピル)からエストロゲンを減らしたものを指して申し上げておりました。

この用法では、今までのノルエチステロン(NET)系の黄体ホルモン剤では不正出血の発現頻度が高くなり、周期調節の問題が生じたため、黄体ホルモンに、ノルエチステロンの代わりとなるレボノルゲストレルを使用したものが開発されました(第二世代ピル)。

これは本来の効用を取り戻すことは出来ましたが、喫煙者の女性に心筋梗塞などの心循環器系疾患を引き起こす、といった別の作用が現れます。

【2021/07/20 追記】
喫煙による心肺への懸念から、70年代後半に世界的にピルの使用率が低下しましたが、喫煙による血栓症のリスクが起きるのは35歳以上の女性に限定されており、若い方の利用者ではこのリスクの上昇は見られませんでした。

しかし、日本では当時、ピルが主に治療薬として処方されており、35歳を超える女性に多く使われたために、副作用の被害が多発しました

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<グラフ引用元:リプロ・ヘルス情報センター「ピル50年史」

この頃、日本でも治療用として処方されたピルを避妊に転用した結果、同じ症状を起こすという事例が発生し、女性の間で「ピルは危険な薬」というイメージを増幅させる要因にもなりました。

【2021/07/20 追記】
上記、「治療用として処方された低用量ピルを~」としていましたが、避妊に転用されていたのは中・高用量ピルですので訂正致しました。申し訳ございません。

ただし、喫煙との相性の悪さは早い段階から報告されていましたので、医療界における評価の悪化にまで繋がったわけではありませんでしたが、ピルの再評価には1980年代の改良を待たなければなりませんでした。


1980~90年代:再びの認可申請と、再びの薬害事件


女性にとって激動だった1970年代も終わり、バブルの香りがし始めた80年代から、フェミニストの流れも性に対して寛容である第三波フェミニズムへと、時代は徐々に移ってゆきます。

80年代になり、ピルはさらに改良された製剤を使用することで、中・高用量から低用量を経て、さらに安定した低用量ピルである「第三世代ピル」へと進化を遂げました。
これは今日の低用量ピルの礎となるものであり、禁忌事項さえ避ければかなり安定して利用できる薬になっていました。

欧米でも、初期の低用量ピルへの不信感から、70年代後半にはピルの利用率が急激に下がりましたが、この第三世代ピルの登場で、徐々にそれも回復してゆきました。

日本でも、世間的に追い風が吹き始めました。
深刻な健康被害が長らく起こらなかった状況を受けて、1960年代には大多数が反対派であった産婦人科医界と家族計画団体が、一転してピル容認派へと方向を転換します

そして1985年に、ピルの臨床試験開始許可を求める請願が厚生省に提出され、許可されました。
臨床の結果は良好で、その後1990年から91年にかけて、製薬会社からピル製造および輸入の許可を厚生省に申請しました

この段階では、厚生省は認可に前向きであったとされています。
認可されれば、製薬会社にとって30年来の悲願であった、避妊用途としてのピルの承認が実現します。


・・・ですが。

ここで、また新たな薬害事件と、それにまつわる、避妊そのものに対する深刻な懸念が日本社会を襲います。

それが、薬害エイズ事件でした。

血友病、という病気があります。血液中に、止血に必要な凝固因子が不足しているため、出血した場合に血が止まりにくいという病気です。

この病気の治療には、血液製剤というものが使用されます。
1970年代末に、国産の血液製剤よりも優れた製剤がアメリカで開発され、これが82年~86年にかけて日本にも輸入されて血友病患者に使用されましたが、後に「非加熱製剤」と呼ばれることになるこの製剤は、当時世界中で蔓延し始めていたエイズのHIVウイルスを、加熱処理による非活性化をしないままの状態で作られたものでした。

当然ながら、HIVウイルスを含む非加熱製剤を使用した血友病患者が大量に罹患し、大勢が亡くなり、現在に至るまでエイズ発症の恐怖に苦しみながら暮らしている被害者がいます。

非加熱製剤の輸入自体は、厚生省の不手際およびある種の作為とも言われ、いずれにしても人為的な要因によるものでしたが、これがきっかけになり、1986年に「後天性免疫不全症候群の予防に関する法律(通称:エイズ予防法)」の制定が計画され、日本社会は一時期「エイズパニック」とも呼ばれたほど、HIVウイルスとエイズに対する恐怖と不安を募らせました。

そしてこの出来事が、ちょうど同じ時期に認可に向けて動いていたピルにとって、予想だにしていなかった逆風になります。

HIVウイルスの伝染力はもともと弱いものですが、多くは粘膜同士の接触、とりわけ性行為による伝染が大きく叫ばれました。

ピルは避妊こそ可能にしますが、性病の伝染には対応出来ないため、通常は確実かつ安全な手法として、コンドームなどとの併用が推奨されています。

ですが、ここにエイズパニックの影響が及び、

「ピルだけあれば避妊が出来る、となればコンドームの使用は減るだろう。そうなったら、HIVの伝染を拡大させることになり、危険ではないか」

という空気が、世の中にはびこりました。

そして1992年、厚生省は「HIVキャリアが増加している」といった点を理由に、ピルの認可を延期することを表明します。

もちろん、申請側も黙っていたわけではありません。
産婦人科医達と家族計画団体は、

・ピル自体の安全性と有効性は証明されている
・ピルとエイズ拡大の間には直接の因果関係がないという研究結果もある

などの事由を挙げ、各製薬会社も協力して厚生省に要望書の提出を行ないました。

”(製薬会社の)各社の成績が出そろい、1992年中には低用量ピルは認可されるものと予測されていました。しかし、1992年の3月に厚生省は、「公衆衛生上の見地」すなわち、「ピルを認可するとエイズが蔓延するのではないか」とのことで、認可を先送りすることを急遽発表し、その後認可は凍結の道のりを辿ることとなりました。凍結が続く中、1993年の5月には日産婦、日母、日本家族計画連盟、日本家族計画協会の4団体が、「低用量経口避妊薬の早期認可に関する要望書」を厚生大臣に提出しました。”

<引用元>「低用量ピル」~日母産婦人科医会幹事 田辺清男

しかし厚生省は、

・日本には既に有効な受胎コントロールの手法が存在する
・日本の多くの女性は、ピルの使用に対して消極的である

といった理由でこれを退け、以後しばらくピルの承認に関する審議は凍結されてしまいます。

ここで気になったのが、2つめの「日本の多くの女性は、ピルの使用に対して消極的である」という点ですが、実はこれもきちんとした根拠がありました。

当時の毎日新聞社による調査で、「もしピルが認可されたら使いたい」と回答した女性は、1992年の調査で6.9%、審議が進んでいた1994年でも12.8%と、かなり低水準だったことが分かっています。

厚生省の回答としてはいささか論点ずらしのような気がしますが、「議論を急がなければならない事案ではない」とするための言い訳であったのでしょう。

こうして、また認可に向かっての動きが鈍ってしまった……


……と、思ったところへ。

ここに至って、急に思い出したかのようにフェミニストが動き出します

未確認ながら、1990年代に入って徐々に動きはあったとのことですが、決定打になったのは、産婦人科医の堀口雅子氏が主催する「性と健康を考える女性専門家の会」という組織の発足でした。

フェミニストと言っても、かつての中ピ連のような過激派集団ではなく、専門家の意見を中心として真っ向から厚生省に食ってかかりました。

厚生省は1995年にようやくピル認可への審議を再開しますが、1997年になって、今度は「ピルが環境ホルモンとして与える影響」についての懸念が示され、またしても頓挫してしまいます。

ピルに含まれるエストロゲンは、環境ホルモンとされていた物質ではありましたが、実際には化学式も異なる別物であるということで欧州ではとっくに解決済みの問題であったのにも関わらず、何故か厚生省の議論でこれが蒸し返されたのです。

<参考>環境ホルモンと女性ホルモン

議論は進まないまま、ついに1999年になり、バイアグラが申請からわずか半年という異例の速さで認可されます。

これに怒りをあらわにしたのが、前述の「性と健康を考える女性専門家の会」や女性団体でした。
同じく妊娠に関わる薬剤でありながら、ピルの審議がずっと止まったままであることに激しい抗議をぶつけます。

そして、この効果があったのか(正直、全く無かったとも思わないのですが)、同1999年、ついに避妊目的としての低用量ピルが認可されたのです。

***

ちなみに、低用量ピルは、

避妊目的で使われるもの → OC(Oral Contraceptive)
治療目的で使われるもの → LEP(Low does Estrogen Progestin)

と、避妊用と治療用とで別のものになっており、治療用のLEPは英名が示す通り、エストロゲンというホルモン剤が少なくなっています。

この治療用LEPの方は、OCより遅れて、2008年に認可されました。

たまに勘違いが見られるのが、

「治療用のピルも2008年まで認可されなかった!」

という話ですが、この記事の最初の方にある通り、低用量ではない中・高用量のものであれば、1957年には認可されていますので、この認識は誤りです。

***

以上で、避妊用ピルのOCが認可されるまでの歴史は一通り終了です。

いやー、長かった・・・。

さすがに書き疲れましたが、まだこの記事の発端である、

「34年」の根拠ってなんですか?

の話をしないことには終われませんので、話を終局へと進めていきましょう。


結論:「34年」の根拠は見つかりませんでした(情報求ム)


というわけで、ずっと避妊目的としてのピルの承認までの歴史を辿ってきたわけですが。

この発端の記事に書かれている、1999年から見た34年前、すなわち1965年の近辺で「入手可能になった」ピルなどというものは・・・

いうものは・・・

・・・

・・

見つかりませんでした!!

はい、以上。解散。

お疲れさまでした。


・・・いや本当に、ここまでお読み頂ければ分かる通り、ものすごく色んな資料を漁ったのです。図書館にまで行きましたし。

ですが、何しろ1965年頃といえば、日本はサリドマイド事件で大騒ぎになっていた時期、海外では初期のピルによる副作用が次々に明るみになって、利用率が急激に落ち込み始めた時期でもあるのです。

まだこれが、「約40年前」みたいな表現でしたら、最初にアメリカでエナビット錠が発売された時期ですので分かるのですが、なぜわざわざ「34年」という、妙に具体的な年数を挙げたのかは、ついに判明しませんでした。

もしこれに関して、確固たる根拠をお持ちの方がいましたら、ぜひ情報をお寄せいただきたく存じます。

が、現時点、本稿においては、

「34年前という年数は、謎の風説である」

として、いったん結論づけておきます。


結論その2:そもそも比較対象が間違っている


そして、それが34年であろうが40年であろうが関係なく、そもそもこの比較には何の意味も無いのです。

1999年になって、バイアグラが承認された後に、バタバタとOC(Oral Contraceptive:避妊用ピル)が承認された流れは、先にも書きましたが、これはさすがに厚生省の忖度じゃないの?と思わざるをえない雰囲気を感じました。

ただ、このバイアグラとOC(避妊用ピル)の比較に関して、ですが。

そもそも、この2つを比較しているのがおかしいですよね?

という、根本的な疑問があります。

どういうことかと言いますと。

何度もお話しした通り、バイアグラ(シルデナフィル)は、勃起不全改善のための治療薬です。

そして、同年に承認を受けたOCは、治療薬ではなくて、あくまで避妊薬です。

さらに言うなら、治療薬としてのピルが最初に承認されたのは、1957年です

1999年を基準とするなら42年前には承認され販売されていました

治療薬どうしでの比較なら分かりますが、用途の異なる薬を比べて論じるのはナンセンスというほかありません。

要はこの比較、治療用と避妊用のピルを混同したままで無理やりぶつけているだけの、非常に粗雑な議論なのです。

意図的か、あるいは本当に知らなかったかは分かりませんが、前者なら乱暴だと思いますし、後者ならぜひ無知を恥じていただきたく存じます。

「だが、承認までに9年もかかったのは事実だろう!」

と仰る方もいると思いますが、前々項までで詳しくご説明さしあげた通り、元々は承認に向けた障害など何も無かったところに、厚生省の存在意義すら揺らぐような大事件が起きたために議論が後回しにされた、というのが実際のところです。

まぁ流れを眺めていると、言ってしまえば9割5分くらいは厚生省のグダグダっぷりが悪い気もしますけどね。

とはいえ、「男性主義的な考えによってピルが軽視されたため」というような話が散見されますが、少なくとも今回調べた中では、そういった言説を裏付けるものは見つけられませんでした。


というわけで、本項の結論としては、

・バイアグラとOC(避妊用ピル)の直接比較自体がそもそも無意味である

・40年前からの避妊用ピルの認可の遅れ、および1990年に申請されたOC認可の遅れの、いずれにおいても、女性差別的な要素は見つからなかった

・その40年間においても、海外のウーマンリブで見られたような、世の女性が避妊用ピルを求める強い要求の流れは、日本社会の歴史においては根拠を見出せなかっ

と、しておきます。


考察:なぜ日本ではピル解放の声が盛り上がらなかったのか?


ここからは完全な私見です。

70年代の項でお話しましたが、当時の女性たちの中でも先鋭的な存在であったウーマンリブ運動とフェミニストにおいても、ピル導入には消極的であったとすると、一般女性の間ではさらに敬遠されていたのではないか?と推察されます。

本当になんとなくですが、このあたりのピルに対する消極性は、現代の女性にもそのまま根付いているように感じます。

本稿を書きながらずっと、それはどうしてなのだろう?と考えていました。


一つには、厚生省からの指摘にもありましたが、避妊に関して言えば、日本はもともと衛生観念が高いですし、世界トップクラスのクオリティを誇るコンドームがコンビニでも簡単に手に入りますから、パートナーの倫理さえ保たれていれば、「避妊そのものの品質」には困らない国なのは確かです。

たくさんの禁忌事項を持ち、歴史的に副作用ともずっと戦ってきた避妊薬をわざわざ使わなくても……というのが、避妊に関して特に困っていない、一般女性における感覚なのではと推察します。

あるいは、

「日本の女性には、ずっと貞淑性が押し付けられていたから、ピルを使えば白い目で見られるからだ!」

と、意見があったりもしますが、これは半分当たりで、半分間違いだと考えます。

何故ならば、先に書いた通り、そうした家父長制に裏付けされるような考え方を打ち破り、先陣を切るべき立場のフェミニストさえも、ピルに消極的だった、という話があるからです。


では、話をそのフェミニストに絞ってみましょう。

なぜ日本のフェミニストは、ずっと避妊用ピルに対して消極的だったのでしょうか?

ここで、70年代の項で引用した資料を、もう一度見てみます。

…リブの女性達がピルに反対した理由は、

①医師や製薬業界がピルにより.女性の身体を使って利益を上げようとし
ていると捉えた。

②ピルには副作用があって女性の健康に有害である。 (1970年には米国上院でピルの安全性について公聴会が開かれていた)。

③ピルは避妊の責任を女性のみのものとして男女でそれを共有できなくすると考えられる


ということだった。

<引用>
「日本ではなぜ近代的避妊法が普及しないのか」~明治大学 平山満紀氏


②は健康上の懸念ですので置くとして、①と③を読み解くと、要は男性に何かしらの利点が生じることを避けたいという気持ち、言うなれば、

「ピルは男にとってメリットになるから嫌だ」

という思いがあるように感じられました。

これは、普段Twitterの自称フェミニストと話していてよく感じるのと同じなのですが、

何故そこまで何もかもを、ネガティブな方向からしか見れないのか?

という点に通じます。


例えば避妊用ピルに関して、日本の多くの女性に植え付けられているのは、

「パートナーの男性が避妊をしてくれなくても、これで妊娠を防ぐことが出来る…」

という、「守り」のイメージだと思うのですが、欧米では真逆で、

「避妊のイニシアチブを女性が握ることで、男性に避妊を任せなくとも自由にセックスが出来る!」

という、あくまで「攻め」のイメージです。

ですが、先の引用からは、フェミニストでさえ「守り」のイメージを持っていたのではないかと思うのですよね。

ウーマンリブの本質を理解していたのだろうか?とさえ疑いたくなります。避妊の云々は関係なく、そもそも精神が男性に執着しており、全く解放されていません

そして、この流れは、そこから半世紀も経った現代にも引き摺られて、緊急避妊薬の議論でも同じ話が繰り返されています。

Twitter上でも、自称フェミニストが「緊急避妊薬は男性にメリットを与えるだけ」「騙されるな」といった言説をもって、大暴れしていた時期がありました。


それこそ海外の考えで言うならば、緊急避妊薬とは、

「万が一、避妊が出来なかったり失敗しても、妊娠の不安から解放される!」

というやはりポジティブなイメージなのに対して、日本での受け止められ方は、

「無理やりに性行為を強要された時などに、仕方なく使うもの」

という、極めてネガティブなものですよね。


そして、そのネガティブなイメージ作りの助力となっているのは、先のTwitterまとめでのやり取りにもあるように、一部のフェミニストによる、

「ピルは男にとって都合の良い避妊法だ!」

という喧伝ではないでしょうか。

ピルにそうした意味のネガティブなイメージばかりをお持ちの方には、OCも緊急避妊薬も、女性が避妊の主導権を得るためのものである、という視点で、今一度お考え頂きたく願います。


エピローグ:どうかこれだけはご記憶ください

最後に、あらためてお伝えしておきたいのは、

「バイアグラが精力増強剤というイメージ付けは、根も葉もないデマの流布に他ならない。バイアグラは不妊治療に繋がる、れっきとした治療薬である」

「経口避妊薬は、治療として使われる際には婦人病の改善や不妊治療に、避妊に使われる時には、女性が性生活においてイニシアチブを取れるようにするための薬である」

という事実です。

個人的には、これらの薬に関する認識は、この2つの事実以外は全て無視して構わないのでは、とさえ思っています。


雑音に囚われず、バイアグラもピルも、先人たちが途方もない苦心の末に生み出した「善き薬」である、とお考えいただければ、幸いこの上ありません。

(了)

ー+ー+ー+ー

<参考資料・サイト>
こちら全体に渡って、大変に参考にさせていただいたサイトです。

リプロ・ヘルス情報センター「ピル50年史」

最後までご清覧いただき、誠にありがとうございました。





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