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「名誉男性」という現代の”魔女”認定

「名誉男性」はSNSが由来なわけではない?

今回は、最近またちょっと話題に出ることが多くなった「名誉男性」という言葉です。

皆さんは、SNS上では「名誉男性」がどのような意味合いで使われるのを目にするでしょうか?

ソーシャルアクティビストとして著名な石川優実さんの言葉をお借りすると、

「女性差別をしている男性社会によりそうような言動をする女性」

とのことです。

しかし、この「名誉男性」とは、はっきりした定義がある言葉なのでしょうか?
そもそも、いったい誰が使い始めた言葉なのでしょうか?

というわけで、気になって色々と調べてみた結果、語源も含めて、色々と面白いことがわかりました。

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調べるにあたり、SNS由来のもの、という印象が強かったので、まずはTwitterの過去ログを探してみることにしました。

ところが、予想ではせいぜいこの2,3年で生まれた言葉ではと思っていたのに、5年、10年と遡っても見つからず、とうとうTwitterの創設時期のログまで探したものの、これだと言えるものが見つからなかったのです。

どうやらSNS由来ではなさそうだと分かったので、ネット全体でさらに探してみると、興味深い話がありました。

まず見つけたのは、著名なフェミニストである上野千鶴子氏が2005年に書かれた記事の転載でした。

「…だが、社会のしくみそのものが、男に有利にできているところでは、多くの女はなるべくして「負け組」になり、男のようにふるまった少数の女だけが「名誉男性」として男から分け前を与えられる。フェミニズムは「こんな社会はいらない」、つまり社会のしくみを変えよと要求したはずだった。」
(引用元:http://gifu.kenmin.net/midori/news/512.htm

と、はっきりと書かれてはいます。
が、論調からすると、まるでもともと一般的に存在した言葉のように使われています。

もちろん、上野先生ご自身が過去に著書などで生み出した造語、という可能性もあるので、引き続き調べてみました。
すると今度は、評論家の荷宮和子氏がこの言葉を使用している箇所を見つけました。

それもなんと、1998年。20年以上も前のことで、第二回手塚治虫文化賞の、マンガの評説においてでした。
少々長いですが、こちらもそのまま引用してみます。

「…私個人は、漫画というメディアに対して、基本的にはエンターティメントとしての存在意識を求めている。そのため、成年男性向け雑誌に連載された作品の場合、読むだけで拷問に等しい場合がままある。その種の作品を読む際には、「名誉男性」となり、女ならば抱いて当然の、いや、人間ならば抱いて当然の、素朴で自然な感情を切り捨て、心を閉ざし、死んだふりをして、その作品の芸術的・文化的側面のみに着目し、鑑賞しなければならない、そう覚悟する必要があるためだ。
(引用元:http://www.asahi.com/tezuka/98e.html

男性視点の作品を読む上では、女性である自分を捨てて男性になりきらなければならない、という主旨のお話ですね。

残念ながら、日本語の記事ではこれ以上古いもので、確かな記事を見つけることが出来ませんでした。

でも流れからすると、やはり古くからのフェミニストにとっては馴染み深い言葉なのかも…?
となると、もしかして日本ではなく、海外から持ち込まれた言葉…?

そこで海外の情報に照合先を求めると、そのままズバリ「名誉男性」に合致する言葉が存在することが分かりました。


起源はなんと3500年前?!

著名なフェミニストさん達が使っているということは、もしかして海外由来なのでは?と思い調べていたところ、英語版のWikipediaに一つの記載を見つけました。

それが、ズバリ「Honorary male」という言葉でした。

「honorary」は、(称号などを)名誉的に与えられた、という意味の形容詞です。
一般的に使われるものとしては、「an honorary degree(名誉学位)」、「an honorary member(名誉会員)」といった感じです。

元々の意味合いとしては、
「家父長制度が根付いた社会の中で、男性と同じ権利や発言権を与えられ『名誉的な男性』として男性側からも認められた女性」
といったもののようです。

そして、その始祖と呼ばれる人間がいたのは、なんと紀元前1500年!
古代エジプト第18王朝時代において、女性でファラオ(王)の座に就いたと言われる、ハトシェプストという方です。

諸説ありますが、早逝したファラオ・トトメス二世の妻であった彼女は、夫の遺言により王の座を任された幼き息子、トトメス三世が即位できる年齢に達するまでの間、実に20年以上に渡り、統治の実務を行なったと言われています。

彼女が統治していた時代のエジプトは政治でも軍事でも他の時代に比べて安定しており、加えて彼女の政治のおかげで、女性たちは以下のようなことを許されるようになったそうです。

・自分で自分の職業を決定する
・好きな人と結婚する
・自らにとって有利な婚前の約束を結ぶ
・夫と離婚する
・不動産を所有する
・聖職者になる

女性の権利を拡充するために働いた女王、いわばフェミニストの大先輩と言っても過言ではないのではないでしょうか。

実に3500年も前に、そのような考えを持った女性が、女性のために戦ってくれていたことに、素直に感嘆します。

彼女の後にも、「名誉男性」と呼ばれた女性たちは、歴史上でも活躍を残している方がいます。有名なところでは、イギリスのエリザベス一世などですね。

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と、色々と調べてみたところをまとめてみると、「名誉男性」という言葉は、当然ながら当時そのように呼ばれていたわけではなく、男性が圧倒的に強かった世界において、男性並み以上の能力があると男性側からも認められていた、という意味合いが正しいようです。

しかし、前述の上野先生や荷宮先生の論調からすると、どうもその呼び名は屈辱的なもの、恥ずべきものといった印象を受けます。
この解釈の違いは、いったいどこで生じたものなのでしょうか?


「名誉男性」の対義語は「女性らしい女性」?

前述の通り、「名誉男性」と呼ばれた女性は、女性にとってより良い世の中を作るために尽力した、いわば社会で活躍する女性の先駆者と言えるでしょう。

しかしそれは、その当時では女性を寄せ付けようとさえしていなかった男尊社会で勝ち抜くために、あえて男性的な振る舞いや働き方をしなければならなかった場面があったことも否めません。
女性ファラオ・ハトシェプストも、人前に出る時は男装をして付け髭をつけていた、という説もあるそうです。

そしてそれは、石川優実さんが仰ったような、

「女性差別をしている男性社会によりそうような言動をする女性」

であったり、荷宮先生の言葉のように

「女ならば抱いて当然の、いや、人間ならば抱いて当然の、素朴で自然な感情を切り捨て、心を閉ざし、死んだふりをして」

という話に繋がり、つまるところ、そのように振る舞う「名誉男性」は、現代のフェミニストからは恥ずべき存在だと扱われているのだと見てよいでしょう。

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さて。
ここで、あらためて一つ考えてみたいことがあります。

「名誉男性たる女性」をそのように定義するならば、「名誉男性ではない女性」は、どう定義するのが正しいのでしょうか?

先の話を適用するとして、

「女性差別をしている男性社会に寄り添うような言動をする女性」

を名誉男性だとして、その反対ならば、

「女性差別を決して容認せず、男性社会に決して寄り添わず、女性らしい考えを持ったままでいること」

といったところでしょうか。

ですが、ここに含まれる「女性差別」「男性社会」「女性らしさ」とは、はたして明確に定義されているのでしょうか?

「女性差別」の定義は、フェミニストの中でも見解が分かれますし、「男性社会」と同様に、第三波フェミニズムなどでは、既にある程度の解決を見たもの、という意見もあります。
「女性らしさ」に至っては、内容によっては男性社会から強制されたものだとする見方さえあります。

100人のフェミニストがいて、それぞれに回答を求めた時に、統一された答えが返ってくるものでしょうか?

一人一派とさえ言われ、それぞれが異なるイデオロギーを持つことさえもある現代のフェミニズムにおいて、異端者などというものを、誰が何の権利で、どうやって定義できるというのでしょうか?

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レッテルはあまりに簡単に貼られますが、剥がすのは用意ではありません。

どうとでも言い繕える理屈を押し付けられて、僅かにも該当した女性はずっとそのレッテルを貼り付けられたまま指を差されることになります。

それでもフェミニストを自称する人間が、ある女性を指差して、「お前は名誉男性だ」と言うのであれば、根拠を明確にすることが指を差した人間のせめてもの責務であるはずですが、SNSなどの匿名世界ではそれさえも守られる義務はなく、現状では野放し状態、言ったもの勝ち状態になってしまっています。

名誉男性の認定は、さながら現代の魔女裁判です。

言われた人間は、取れない烙印を押されるのです。
ただの粗野な言葉の暴力となっていないか、適用するのであればそれなりの覚悟をもって使うべきではないでしょうか。

(了)


ご清覧いただき、誠にありがとうございました。

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