調停(ミディエーション)と学級経営について

今は、稼げるようになるかどうかは置いておいて、
とにかく関心のあることに全フリしてみています。
体力やお金や、現職の仕事量と相談しつつ、時間の許す限り。
うまく調節できなくて、時々、日頃の仕事が圧迫されています。ははは。
ゆっくりでもいいから歩みを止めない、あきらめない。
苦手なことも噴出してくる、
自分の中の向き合う痛みもまた出てくる、
いまだにどこかで責め立てる自分も感じる。
それでも、
小さい頃からのあれこれは
やっとだいぶ回復してきたし、
数年かけて親とも普通に接することが
できるようになってきた
(そんな日はもう来ないのではと本気で思っていた)。
人と比較も本当にしなくなったし、
自分を大切にする言葉も自分にかけられる。
つらいとか寂しいとかも素直に感じられる。
なにひとつ感じなかった頃から比べたら
雲泥の差で息がしやすい。
ここまでだってすでにかなり頑張った。
痛みより楽しみが、やっと勝ってきた。
自分のペースでしかできない、
もうしょうがない。
でもあきらめない。

今年はこんなかんじ
・ NVC(非暴力コミュニケーション)
・ PSP(ピースフルスクールプログラム)
 ・ 国際理解教育・開発教育指導者研修(実践編)
 ・ 多様性教育関係のワークショップ
・ ときどき、対話、OD(オープンダイアローグ)
・ インプロ、フォーラムシアター、各一回

共通していると思うキーワードは
・ ありのまま
・ 感情を感じる
・ 自分も相手も大切にする
・ 表現する
など。他にもいろいろあるんだけどざっくりこんなイメージです。

この界隈にいてなぜかどの分野からもたどり着くのが
・ 自己肯定 
・   健全な自尊心
・ 自分とつながる
・ 感情、ニーズ
を経て
・ 対立
・ 調停


…「対立(コンフリクト)」
「調停(ミディエーション)」!?

そんなところに手を伸ばしたつもりはなかったのですが結果的に
NVCでも、PSPでも、国際理解教育WSでも、
ここにつながっていきます。
ありのままでいいよということは
それぞれが自分を素直に出すということは
そこには相容れない(ように見える)ものが同時に表面化するということ。
でも対立は悪いものではない
対立は生まれて当たり前のものであって
それをどう扱っていくかのほうが大切。ということです。

ほえー

一番苦手だと思っていたあたりなのですが、
まだ数回ですがこれをいろんな場面で練習をしてみると面白いです。
うまくできなくても楽しいというのは、たぶん好きなんだと思います。
もっと練習したいなー

調停(ミディエーション)に触れ始めてみているいま感じているのは、
「職場で日々起きる、子どもどうしのトラブル対応に、すごく使える」
ということです。

学校に勤めて学級担任をするとなると、
一応研修があり、同僚にアドバイスを求めることもできますが、
基本的には日々起きることに対して、自分ひとりで、
その場で即座に判断して対応していかなければなりません。
研修もあるけれど、基本的には「習うより慣れろ」「本を読め」で、
入りたての者はひたすら経験を積んでいくしかないという認識が強いと思います。

学級担任の仕事に、「学級経営」というのがあります。
「経営」というのは個人的にはだいぶ違和感があるのですが、
多ければ40人近い人数の人たちの集団づくりを指すと思います。
ネットで検索して一番上に出てきた文によると(なんの引用にもなってない)、
「学級担任と児童との相互教育作用を通して、学習や学校生活の
基盤となる望ましい学級を築き上げていく実践活動」とのことです。

多数決でなく民主的にしていくには?
お互いに安心できる、寛容な土壌をつくるには?
1対1もしくは1対複数、みたいなもめごとが起きたときは?
誰かの特性をどうしても受け止めきれないという特性の子がいたら?
保護者どうしのことまで考えるとそれはそれはもう。
ハード面ではカチカチな公教育ですが
対子どもたちなのでソフト面ではできる限り人間的でありたいところです。
相互作用でみんなが安心して活きるようにしていくには、
教員ひとりひとりの個性や性質も含め、
やりながら見つけていくしかない面も大きいとは思います。

だがしかし
ケンカの仲裁ひとつとっても、
双方に禍根が残らないように、かつ、
時間の限りのある中で対応しないといけない。
できるだけみんなが納得できる方法とか
自分たちで進めていけるようにする手立てとか。
(こういう調停とかを子どもたち自身でやっていくためのプログラムが、ピースフルスクールプログラム。勉強中)
教員向けの本は経験則からのことが書いてあることが多い。
あったとして、心理学ベースのものとか。
仕方のないものとして、学級がぐちゃぐちゃになることもありながら、
泣きながら何年か耐えてやっと、自分なりのやり方を見つけたけれど、
これを習うより慣れろっていうのはかなり暴力的なことだったんだなと
今になって思います。
学校の中で教員の間だけで、必要なものを自給自足するのは無理。
学校の外にこそいいものがいっぱい転がっている~。

「調停」という言葉でなくとも、この要素が入っているものが、
資格をとるまでの必須科目だったらな。
初めの頃の研修にこの内容が入っていたらな。
というか、継続的にみんなが触れられるものになればな。

好き放題しはじめた私を見た上司が、
ぽろっと私に言いました。
「私も若いころに、いろいろ外に出て見てみればよかったな」
いやいやあなたこれ以上なくパワフルですやん!
自分のことは自分で見えにくいものなのだなと、
鏡のように思いました。

調停、チャンスがあったらまた練習していきたいな~。
探してみよ。


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