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#071 スカンノへの旅 (その14) 合評会での一コマ

 スケッチツアーでは中日と最終日に合評会がある。一人ひとりが描いた絵をツアー参加者に見せながら話をして、講師の古山画伯から講評を受ける。私は絵画の勉強をした経験はないし、絵画教室にも通ってはいないので、1年に1度の、この合評会が絵画における唯一の学習の場となっている。だから、自分の描いた絵に対するアドバイスは勿論、同行者の作品に対するアドバイスも貴重なものとして吸収したいと思っている。
 スケッチツアー参加者の中には絵を描かない人もいた。その人は一日何をしているかというと、町中をブラブラと歩き回り、教会やカフェに入ったり、店で買い物をしたりしている。カフェで読書をするのも楽しいものだ。ゆっくりと流れる時間の中で、日本にいては感じることのできない感覚を楽しむ。住民と語らう。住民の目線で思考する。旅のスタイルには人それぞれのものがある。
 最終日の合評会のとき、絵を描かないNさんに同行の人が「貴方の絵も見せなさいよ」と言った。Nさんは絵を描かないのではなかったのか…と思ったら、「私が描いていたら、隣にきてベチャベチャと話しかけてきて、うるさいから、ノートの紙を破って渡して、絵を描くように言った」とのこと。
 モジモジしながらもNさんは2枚の紙を広げた。確かにノートの1ページを引きちぎった紙だった。切れ端が斜めになっている。慎重に切り取ったものではない。絵を描くように勧めた同行の人の、その時の感情のあり方が見て取れた。
 その引きちぎられたノートの紙にボールペンで描かれたドアの絵を見て、一同一瞬、どのように反応してよいか分からずに沈黙した。皆さん、絵心のある方ばかりなのだ。すると古山画伯は内ポケットから絵画用の万年筆をスッと出して、その絵に加筆しながら「この絵はこうすると良くなる」と解説を始めた。ペン画の基本的なことを次々と示しながら加筆していくと、絵は次第に立体的になり質感が現れてきた。Nさんは驚き、顔も紅潮してきた。
 引きちぎられた紙に数分間で描いた輪郭だけの絵だ。「次からは是非、じっくりとスケッチブックに描いてくださいね」と、取り上げることもせずに流すこともできただろうに、古山画伯はそうしなかった。他の参加者以上に時間をかけて、細かく丁寧にアドバイスをした。

 イタリアから帰国して5カ月経つが、あの時のことを時々思い出す。一期一会。古山画伯は、今後、会うことがないかもしれないNさんのために、そして、2度とない今という時間を真剣に生きるために、内ポケットから万年筆を取り出し解説することを選択したのだ。
 スカンノへの旅が素晴らしいものとなったのは、短時間ではあったが、あの充実した時間があったからだと私は思っている。

(写真撮影は岩間敏彦さん。ブログ掲載にあたって、少しぼかしてあります)

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