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#057 スカンノへの旅 (その5) ベンチの多いこと 多いこと 

 椅子が好きだ。
 ベンチが好きだ。
 ベンチを見ると絵にしたくなる。
 疲れたら、そのベンチに腰を掛けてボ〜っとしながら、目の前を通って行く人たちをぼんやりと眺める。
 そんな私のために、この町はあるのではないかと思ってしまうほど、スカンノにはベンチが多い。広場は勿論、メイン通りから小径にまでベンチがある。最初は、旅人に随分と優しい町なのだなあと思ったけど、旅人はそれほど多くはない。それに、スカンノは小さな町だから、ベンチに座って休むほどのことはない。

 道に迷いながら裏道を歩いた。すると、1本奥の裏道にも、更に、もう1本奥の裏道にもベンチがある。それどころか、家の玄関ドアの横にベンチが置いてあり、どう考えても旅人が座るには不自然な雰囲気だ。
 ここにもベンチ。あそこにもベンチ。いくらベンチに腰掛けてぼんやりとするのが好きな私でも、座り切れぬほどベンチがある。
 これはどういうことなのか。
 座っているのは年配の人が多いが、旅人ではなく地元の人であることが滞在3日目くらいになって分かってきた。ああ、いつも座っているあの人だ。だんだんと顔を覚えてきたから分かる。
 2人、3人と並んで座り、話している。
 1人で座っている人も、前を通る人たちと挨拶を交わしている。
 私も1人でベンチに腰掛けてぼんやりとしながら、そのような様子を眺めていた。
 そのとき、理解した。
 スカンノのベンチはコミュニケーションのツールなのだ。人と話すことが大好きなスカンノの人たちにとって、ベンチは会話を楽しむためのツールなのだ。
 日本においてのベンチは、疲れた身体を休めるためという価値観のもの。日本のベンチを見て、これはコミュニケーションを支えているものだとは思いつかない。日本人は語り合うことを忘れてしまったのか。かつては「井戸端会議」なる日本語が存在していたのに。

 ベンチを描いていたら、「こんな、絵にならない所を描いて、どうするの?」と、通りがかった画家の古山浩一さんに言われた。いや、私はベンチを描いているのではなく、「人々が語り合う文化」を絵にしているのだ。
 私はベンチのある風景を描き続けた。

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