令和6年 元日 16:10 その時、私は

【ATTENTION!!】
令和6年能登半島地震についてですが、私は東北の人間で被害はなく、雑感を綴ってる記事なので、情報をお求めの方は、この時点で引き返して下さい。


2024年1月1日。
かつてない新年の幕開けだった。

書きかけの小説を書かなきゃいけない、でもやる気がないと携帯を見ながら布団の上でもだもだして、ちょっと寝ようかと思っていた16時10分頃。
部屋が揺れていた。
その揺れの不気味さをダイレクトに感じ、飛び起きた。

寝床の横にあった三面鏡がゆらゆらと揺れていた。
いきなり大きく来る(揺れる)感じがする。
直感した私は、扉の近くまで行った。それほどまでにとにかく怖かった。
まだ揺れていたが、はじめの頃よりは落ち着いてきた気がしたので、Twitterを開いて「長くない?」「正月からやめてくれよな」と呟いた。

すると、驚くことに関西に住んでいるというフォロワーからも同じような投稿があった。
その数分後、トレンドは地震関連のワードで埋まり、震源地は何処で私達のはどのくらいだったんだと調べようとした時。

石川県能登地方で震度6(その後、7に修正)。
私は目を疑った。

私は、恐らく帰省中であろう推しや揺れの大きかった地域に住むフォロワーを案じた。
私が住む場所の震度なんか確認する余裕などなかった(ちなみに3だった)。

さらに、これだけでは終わらない。
津波がきていた。
正月番組は中断され、各局のアナウンサーが逃げろと必死に呼び掛ける。
Twitterにも「逃げてくれ」「無事であれ」と祈る声が流れていく。

その津波も警報や注意報が発令された場所は、震源となった北陸だけではなく、関西や四国も対象となった。
津波は、各地に到達。付近の家々を呑み込んでいった。
時間が経つにつれ、気に掛けていた人々の安否が入ってきた。
どの人も無事なようで、安心した。
さらに、動画や写真とともに被害状況も。
押し寄せた津波もだが、寸断された道路、大きなひび割れを残して隆起する地面、土砂崩れ、倒壊した家屋に剥がれ落ちた天井、地震の影響で止まった新幹線、液状化や水道管破裂…挙げればキリがないほど、被害は甚大だった。
発生当時の映像を見ると、駅の電光掲示板や電灯は破片を撒き散らしながら振り子のように大きく揺れ、固定されてない棚は倒れ、置いてあった物は雪崩を起こしていた。

ここまで来ると、「正月からやめてくれ」なんて言えなくなってしまった。
震度7に津波、続く余震に東日本大震災を想起してしまい、精神的にしんどくなって、SNSを閉じてしまった人もいた。
私はと言えば、その逆で、携帯が手放せなくなってしまった。
ずっといんすたとTwitterの往復。
何も手を付けられなくなっていた。

この世に生まれ落ちて30年ほどになるが、ここまでヤバい年末年始ははじめてだった。
新年早々こんなんなるくらいなら、年越したくなかった。
13月に突入したかった。

夜になっても、余震は続いた。
静まるTLにライフハックや地震に関する情報が流れてくる。
付いた名前は「令和6年能登半島地震」。
調べると、何とwikiも出来ていた。早すぎ。

その日のうちに、Yahoo!で募金もはじまった。
推しやフォロワーが募金を済ませたという旨を続々と報告していた。
私も彼ら・彼女らに倣って、少額ではあるが、募金をしてきた。

私も東日本大震災に遭った。
当時は中学生で、今よりネットが発達しておらず、携帯も持っていなかったので、津波が来た、原発が爆発した、通ってた学校が休校になったくらいしか分からないまま、静岡にある母親の実家に避難した。
その時もきっと、見知らぬ誰かのちいさなやさしさに救われて、今このような平穏な生活が送れているのだろうと、募金をした時に思った。
恩返しではないけど、このささやかなやさしさが、ほんの数日前までの日常へ導いてくれたら嬉しい。

さらにその次の日に飛行機事故、昨日には北九州で大規模火災と秋葉原で刺傷事件、今日には爆破予告と渋谷でカッター振り回し事件等、ここはホントに日本なのか……?呪われてる?と疑いたくなるような事件事故ばかりが起き続けている。
まだ2024年はじまって4日目である。
明日は、明後日は、明明後日は。
いつか私の身にもどうにも出来ないような出来事(例えば天災とか)が降りかかってくるんじゃないか。
少し先の未来でさえも憂いてしまう。

明日こそはどうか平和で1日の終わりを迎えられますように。
もうこんな散々な年末年始は来ないでほしい。