僕×ヲタ活

思えば、今月はヲタ活についてしばしば考えることが多い月だった。
度々ファンの在り方(推し方)について持論を呟いていた僕だったが、

はじまりは、フォロワー様の呟き。

「「好きならCD買え」とか「ファンなのに何でFC入ってないの」とか言う人がいるけど、推し方は本当自由」
「FC入ってなくてもCD買ってなくても、そこに推しへの気持ちの優劣なんてない。皆同じ想い」

このツイートを見て、激しく同意を示しつつ「ドラマや映画が好きな人もDVD買わないと推してることにはならないのか?」という疑問も湧き出てきた。
DVDなんてCDよりも高くて買えない人もいるし、皆が皆、自分と同じような生活を送っている訳ではない。「買えない」にはちゃんとした事情がある。
それを知らずに干渉したり押し付けたり、「推しを愛してない」とみなされるのは腹立たしいものがあるし、「金を落とす」ということだけが「推している」ということにはならない。
大事なのは、「節度を守って、誰かに惑わされることなくマイペースに推しを愛すること」。これに尽きるのではないだろうか。
それに現代にはサブスクなんてのもある。配信だってある。
年齢や性別問わず作品(音楽や映像)を見聴きしてほしいからそのようなサービスがあるのではないだろうか。便利な時代になったものだ。

次は、TwitterのTLで回ってきたツイート。
とあるミニマリストの言葉にモヤモヤしたことを綴っていた。

「アイドルのグッズは邪魔になるし、結構高いから買わない方が良い。
liveは体験を買うもの。グッズを買わなければ、浮いたお金でliveがもう1回観られるので合理的」

一見したら、ブチギレ案件だが、冷静になって考えるとこのミニマリストにとっては、このような生活がフィットしているんだろうなと感じた。言い方が少しばかりキツいというだけで。
邦楽ロックや俳優さん・女優さん、過去にはアイドル沼にも両足突っ込んで抜ける気もない僕は、「グッズを買う時にどうしているか」というと、「今の自分にとって必要な物」「実用性があるか」「デザインが好きか」「持っていて恥ずかしくない物」の4つすべてに合致した物だけを買うようにしている。
てか、買わなくても誰かが買う(末っ子気質)

今は、流行病の影響で行けてないが、ツアーで何カ所か行く予定で、グッズも数種類買うとなった時は、「この日はこれとこれ買って、次のliveでこれ買おう」と決めていた。

ただ、値が張るし着たい物を着たいタイプの人間なので、Tシャツやパーカー等の衣類、タオルはデザインがお気に召さない限り買わない。
何故か知らないがバックプリントが苦手で、デザイン良くても買えない。
缶バッジやステッカー、ポスター等の小物類も付けたくないし、貼る所がない(ポスターは穴空かない画鋲買って掲示するのも考えたが、すみっコぐらしのタオルをカーテンと一緒に洗濯ばさみで止めている今の方が落ち着く気がしている)。
愛用しているのがまだまだ元気だし(故意でなくても)破損した時に悲しくなるので、マグカップも買わない。
最近は、ポーチやバッグ、筆記用具類も買わなくなった。過去に買いすぎたので断捨離計画中。

逆に絶対買うのはペンラ(アイドルのliveのみ)。
最初は「live以外で役立たないっしょ」とクソ舐めてたけど、「停電とかで役立つ」的なツイート見て、記念品となるだけでなく部屋の蛍光灯が切れた時に電気の紐から吊せると実用性もあると買った。
あと、ポップコーンや珈琲、クッキー等の飲食物。甘い物と珈琲は私の味方。
少し珍しい物(最近見た物ならアロマストーンや栞、ネックストラップ)も条件に合致すれば。
さりげなく推しを主張したい系ヲタクなので、バングルやネックレス等のアクセサリー系(ラババン除く)も。
ちなみに今凄く欲しいのは、Android対応のスマホケース。
今使ってるのが多分5年くらい使っててボロくなってきたので、新調したい。


最後は、つい一昨日のこと。
開催から1年が経ったということでSHE'S in BUDOKANのBlu-rayを見終わった時、余韻に浸りながらTwitterを覗いた。
何だかざわついている。何だ?と思いながら上へ上へスクロールする。
Sumikaのメンバーが急逝。
彼らは今年周年イヤーで、5月には記念liveをやる予定だったという。

僕は、彼らのことは凄いバンドだってことしか知らない。
曲名も聞いたことある程度。
しかし、フジファブリックやSHE'Sと対バンしたこともあり、多くのミュージシャンやファンが彼のあまりに早すぎる死を悼んだ。

神は残酷だと思った。
何でこんな大事な時に連れ去るんだろう。
何も知らなくても、これだけは言えた。思えた。

生き物が死ぬということは勿論悲しくて辛いのは大前提として、急死(急逝)は前触れがないだけにそのダメージは計り知れない。
(当時は情報を得るのが容易くない時代だったので、詳しくは分からないが)志村さんが亡くなった時もこんな感じだったのかなと思ったりもした。

メンバーは、遺された3人は各々のペースで良いので、また前を向いて歩き出してほしい。それが何年かかっても良い。
1人の邦楽好きとして、彼の冥福と再び音を鳴らせる日が来ることを、陰ながらではあるが、ただただ祈っている。


推しへ
悲しいことに、人はいつかこの世からいなくなってしまいます。
僕もあなたも、きっと。
春が訪れて静かに花開いた桜が散るようにあっけなく。
それは時に突然訪れる時もあります。
だからこそ今日も明日もその先も力強く生きて、ステージ上でめいっぱい輝いて下さい。
僕も生きている限り、活躍を見届けたいと思っています。