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散れ、後悔。

  ずいぶんと久しぶりの更新になりますね。こんにちは。あるいはこんばんは。白月嶺葉です。
勢いでタイトルを決めたまま何を描こうかなぁ、と悩みつつiPadに下書きをしてます。
とりあえず4月からざっと、高校1年生のときのことを軽く、さらっていきますね。
(ちなみにヘッダーは高校1年最後の登校日にだれもいない教室で撮った時計の写真です🕰)

  「おはよう」
といつもの席でいつもの笑顔を作って登校してくるクラスメイトを迎えた、7:30。
パタパタ、と靴音が響く廊下、徐々に騒がしくなる教室内。くだらない会話で急に盛り上がって笑いを沸かせるあの子たちも、ひとつの机を囲んで笑い合うあの子たちも、窓から眺める景色も。今日でぜんぶ終わりなんだ、
そんなことを思いながら私はこの一年のことを思い返していた。

2023年4月、入学。
一年前の今ごろ、私は今の学校に入学していた。
履き慣れないローファーの靴擦れが痛かった。けれどそれ以上に、伝統カラーで彩られたスカートやリボン、その制服を纏えてることが嬉しくてしょうがなかった。


5月、馴染む。
入学から1ヶ月が経った頃、日々の授業や小テストに必死だった。部活もはじまり、仲のいい友達と呼べる存在もできた。
とにかく毎日が楽しくて、友達に会えるから学校に行きたい、その精神で生きていた。
  放課後のだれもいない教室で友達のギターの練習に付き合いながら、くだらない話をしながら3人で過ごしたこと、すごく憶えてる。空の位置が高くて夏の匂いがした、そんな日だった。


6月、宿泊と雨。
この学年で行うはじめて宿泊を伴う行事。友達の部屋に集合してトランプしたり、誰かのかけ声で唐突にはじまった枕投げ、就寝時刻を超えて日付が変わる直前まで赤裸々に語って語らされた、各々の恋愛遍歴。  すべてが順調に進んでいた6月上旬。
宿泊学習が終わり、私の日常に雨が降る。
「」
そう告げられたその一言で私の中でそれが浮き彫りになった。全部がぜんぶ、崩れた期間だった。


7、8月、音と夏。
夏の日差しと共に訪れた大会シーズン。
少しでも食らいつきたくてボールを追ってコートを駆けた。黄緑色のボールと眩しすぎる太陽、碧すぎる空たちが網膜にしみた。
  音を重ねた、あの日から憧れ続けた舞台で。2度目の東京、アジア大会。世界が私たちを見ていた。
結果はカテゴリーウィナー、金賞。カテゴリートップの成績で本選を勝ち抜きグランプリコンクール、最終決戦の場へ。
  表形式で聴いた、最優秀。世界大会への切符を掴み取った合唱団の割れんばかりの歓声と拍手は忘れることはできなくて、今もずっと耳に残っている。


9月、学園祭、体育祭。
  4年ぶりの終日開催。
体育祭は私たちらしさ全開のクラスTシャツを着て全力で応援して、競技して。

  学園祭は秋の大会を音速で終えひと段落、そう思いながら試合会場から直接学校に行ったら軽音部のボーカル、ピンチヒッターとして舞台まで引き摺られてる嶺葉がいましたね。
ボーカルの子の行方が分からなくなってしまったらしいです(何故)、その後30分の超高速リハを挟んだのちに始まった友のバンドライブ。この時一回死にましたね。

  部活が中止になった雨の放課後、カーテンを閉め、電気を全部消して友達とやったこっくりさんはコインの自我が強すぎてみんなで笑ってたことも思い出。

p.s ひた隠しにしてきた「私」を憧れのだいすきな「あの人」に知られてしまったのもこの月。
これについてはもうほんとになにも言えない、だけど真実を知ったあの人が私を見つめるの温かさ、色は夏休み前と変わらなくて。それがありがたくて苦しくて痛かった。

10月、進路。
入学から半年。おのずと文理選択、志望校、進路選択の時期にも差し掛かってくる。改めて自分のなりたいもの、やりたいことを考えた。小学6年で抱いた夢を、中学の3年間で熱量をあげてきていたけれど、時間が経ってしまえばいつのまにかそそられなくなっていた。
  やりたいこと、したいことがない。夢がないだけでこんなにも選択の自由がないのか。漠然と不安だった。
  進路希望調査用紙の「自分の強み」の欄だけがずっと埋まらなかった。
惰性で描きつけた強み、資格、進路。
  やっとこの紙を出せたのは年が変わった3月の、終業式当日だった。

11月、虚。
この月は特に何もなかったし、何の思い入れもなかった月。
ただ単位のためだけに授業に出て出欠を取られ。あれほど夢中になっていた小説の連載もこの時にはもう非公開、休載していたのが記憶に濃い。
  薄らぼんやりとした灰色の日々の中で、どう笑えばいいのか、どう立ち回ればいいのか。それがまた分からなくなってしまった。
  自分でも何言ってるかわからないけど、ただまだ音楽が自分の中で音楽として成立していて、奏でられている時点で良かったんだなって思う。

12月、冬、音。
どうやったら上手く笑えるか、笑えてはいるんだろうけど貼り付けてる仮面の感じが抜けない。
「どう生きよう」が「どう1日を生きながらえたらいいんだろう」に変わっていく感覚が抜けなかった。

  それでも、原案採用が決まって、そこから繋がった新しい出会いが多くあった。
買って、読んでくれた人、本当に近くで応援し続けてくれた方々には感謝しかありませんでした。

  そしてホールで奏でた音と色は会場を揺らす歓声と拍手の中に溶けていった。
余韻もそのままに衣装のままでロビーへと走った、たくさんの方をお迎えしてのロビーコンサートもうまくいった。
無理やり動かし続けてきた自分をようやくここですこし止めることができる、そう思った。

2024年1月、不安定と出逢い、そして出版。
1月、冬休み。
実は年の瀬からとある方と私の間で少しの言い争いがあったことをここに書き留めておきます。

それがひと段落して、ある人との出逢いがありました。その人は私を優しい言葉で包んでくれて。言葉で傷つけられていた私にとって「この人なら信じられる」ともう一度希望が持てる人でした。
  出逢ってくれてありがとうございます、これからもよろしくお願いしますね。

2月、救い
この月はやっぱり音楽に助けられました。
1回終わらせたはずだった話を引き出され詰められたことがあって精神的にすこーしだけ不安定になる時期があったりして。眠れない夜に外を歩きながら聴いた曲に救われた。
寒さとか何も感じないくらい、どうしようもないほどに夜が好きだった。

3月、音と言の葉と人と。
1年生最後の定期テストが終わってからはもうあっという間だった。
そして迎えた終業式。

「希望は、どこにでもあるんです。見えないだけで、自分が見ようとしてないだけで。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。
希望は失望に終わらない」

離任されてしまう先生からの最後のお話の中にあった言葉。その先生の話は私にとってとても共感できる言葉が多くあって。友達からは「その先生の話は難しくて好きじゃない」と聴くことが多いけど、私はその先生の話が密かに好きだったりもするんですよね。

  実は密かにこの言葉と似たような言葉に、中学1年生の頃に出会ってたりもするんですよ。
  当時の学年主任の学年通信に載っていた言葉。今はもうどこで何をされてるかなんて全く知らないんですけど。

「思考は言葉になる、言葉は行動になる、行動は習慣になる、習慣は性格になる、性格は運命になる」

  この言葉ってマザーテレサの言葉だったんですね、今更ですけど。
この言葉たちが不思議と自分の中に刺さって抜けない。
高校2年になろうとしてる今も。
そして、離任される先生の言葉を聞いて、主任の言葉と重なった。
  当時の自分だったら適当に流してしまっていたはずなのに、この言葉だけはなぜか鮮明に憶えていたんですよね。
「今ここで適当に流しちゃいけない言葉だ」とだけ思って心の中に留めていた。
  主任が、何を思って私たちにこの言葉を捧げたのかは分からない。けれどそこには確かな愛があったと思うんです。そう思いたい。

  そして、この月はいろんな人の温度に触れた月でもありました。
ある方々たちと6年ぶりの水族館に行ったり、軽音部の友達のLiveに行ったり。とても楽しい日々でした。
これも多分目にしてる人は知ってると思うんですけど。
  メタい話になるんですけどこの1年でこの子、この人たちのためならお金と時間かけれるって思えるような、思わせてくれるような子たちだったんです。
ほんとうにありがとうって伝えたいし、これからも変わらずこの関係のままでいたい。もちろん他の子もそうだし、彼らだけが特別とかそんなのまるで無いです。
ちょっと、無性に文字に起こしたくなって。

なんか、すごく青い写真ばっかりになってますね、許してくださいね。

と、まあこんな感じで長い長い回想に付き合ってくださった方、ありがとうございます。
  春は個人的に別れの季節、だと思ってて。大衆的ないち意見なんですけど。
そんな凝り固まった価値観を180度変えるような柔らかい出逢いが、先日ありました。
きっとその方もこれを読んでくれていると信じて、これからも未長くよろしくお願いしますね。

長くなりました、穏やかな春のはじまりでも、そうでない方も、今年も1年よろしくお願いします。
みなさんによい春が訪れますように🌸

2024.4.7 20:01 白月 嶺葉

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