悲しくてかっこいい人

悲しくてかっこいい人。
イ・ランのエッセイ集だ。尾道の小さな本屋でこの本を手にして、マルチアーティスト イ・ランと出会った。後にライブでサインをもらって宝物みたいに大切にしている。

悲しくてかっこいい人。
表題作の内容を、すぐには思い出せない。でも、この言葉の響きがとても気に入っている。

悲しくてかっこいい人。
幾人かの愛しい友達の顔が浮かぶ。
半年くらい前まで思い合っていた人の顔も浮かぶ。

悲しい。
彼の気持ちが離れてしまったことが悲しくて、彼を悪者にしたくなった。 
最後まで優しかったけれど、ひとつだけ許し難い連絡が来た。
わたしにも、彼がいま大事にしたいはずのひとにも優しくない内容だと思った。
だから彼が悪くないとは言わない。
だからといって、彼が私にたくさんたくさんくれた優しさが嘘になるわけではない。
それなのに、それなのに。
彼は優しくない、みたいなことを140字目一杯書き連ねてしまった。馬鹿みたい。悲しい。

悲しくてかっこいい人。
優しさについて思いを馳せることが多くなった。彼が、底なしに優しかったから。
なにかをあるがまま受け容れるということに、誰よりも長けたひとだった。
綺麗な海の砂地みたいに、そのままのわたしをいくらでも受け止めてくれた。
優しすぎてかっこよかった。
でもその優しさのなかに諦めのようなものを感じて、今は少し怖い。
少し怖いし、諦めというものが、わたしは悲しい。
それに諦めの奥に、彼の悲しさが揺蕩っている気がする。やっぱり悲しい。

悲しくてかっこいい人。
大好きな先輩がいる。ディレクターとして、女性として、人間として大好きで憧れだ。
先輩はよく怒る。
私を怒るのではない。
私を傷つけた人や出来事、取材先を苦しめるありとあらゆるものごとに腹を立てる。真剣に。
人間を、世の中を諦めていない先輩はかっこいい。
仕事中に突然失恋の話をしてしまったことがある。
今回別れた人が、歴代彼氏のなかで自分のことを大切にしてくれたはじめてのひとだとこぼしたら、先輩は「まあじさんを大事にしないひととは関わらなくていい。」とぴしゃりと言った。
キーボードを叩く手を止めて、悲しそうな目でまっすぐに、射抜くような強さで私の目を見て、言った。
先輩はかっこいい。
何も聞いたことはないけれど、まっすぐな眼差しの奥に、ひとりでのみこんできた悲しさを見た気がした。そのぶんひとに優しくなっている人なのかもしれないと思った。

悲しくてかっこいい人が好きだ。
みんな、悲しくてかっこいい。

わたしは悲しいと、どんどんかっこ悪くなってしまう。どんどん醜態を晒す。
悲しいだけの、かっこわるい人になる。

どこかで読んだイ・ランの文章が、かっこよかった。3人の元彼との思い出を綴った最後に、「それ以外の彼氏をわたしはあんまり好きじゃなかった。」みたいに書いていた。

私はもうすぐ30で、最近別れた人以外にも付き合っていた人はいる。でも、彼以外の彼氏たちをわたしはそんなに好きじゃなかった。

なかなかかっこよくはなれないけれど、そう言い切れる潔さとあたたかい思い出が手元に残ったのだから、充分すぎる。

好きでいることと、ずっと一緒にいることが幸せだったかも違う。
また彼みたいにわたしのことをいっぱい受け入れてくれる人がいたらいいな、とおもう。でも、先輩みたいに、諦めてない優しさのひとと一緒にいたいな、とも思う。

多くを望み過ぎかもしれないけれど、誰かに押し付けているわけではないし、いいよね。想像するとたのしい。

悲しくてかっこいい人。
幸いそんなに悲しさを背負わずに生きてこられた。
それでもこうして悲しいことを経験したりもする。相手を悪者にして踏ん切りをつけようとか、そういうみっともないやり方はせずに、悲しくてかっこいい人になりたい。



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