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「TOEIC亡国論」

「TOEIC亡国論」(猪浦道夫 集英社新書)

長年語学学習に携わってきた著者による、TOEIC批判の本。特に前半が面白かった。「英語ができる」とはどういうことか(16ページ)について、掘り下げて議論していて、英語力を単なる数値で表してしまうTOEICスコアの乱暴さに気づかされる。中盤の「翻訳家と通訳者に求められる対照的な能力」(186ページ)の話もなかなか面白かった。最後の方で「語学学習は壮年期からでもまったく遅くない」(198ページ)とあるが、この部分の根拠はやや弱い気がした。

 英語を学ぶ方に学習している理由を尋ねると、当然のことのように「英語ができるようになりたいから」と言う方が多い。
 しかし、よく考えてみると「できるようになる」と言うが、英語の何がどのぐらいできるようになればよいのか、具体的に考えている方はほとんどいない。たいていの方は漠然と「英語がペラペラになりたい」としか考えていないのではないだろうか。
 実際、このことをさらに突っ込んで尋ねると、「せめて日常会話くらいできるようになりたい」と答える方がほとんどである。
 ところが、筆者に言わせれば、ある意味「日常会話ほど難しいものはない」のだ。その理由はこの本のなかでおいおい理解していただけるようになると思うが、短期間で習得可能なのは、みなさんが難しいと思っている「専門的な文献の翻訳やメールを書く」ことだ。(16-17ページ)

 筆者のところには、英語以外の第二外国語をかなりのレベルまで習得した生徒がよく来るのだが、彼らはよく「英語は難しいので苦手です」と言う。彼らがよく言うことは、「英文は文の構造がわかりにくい。語形変化が、名詞の複数にしても、動詞の三単現(三人称・単数・現在形)にしても具体的には"-s"だけなので、ぱっと見、その単語が名詞なのか動詞なのかわかりにくい」というものだ。
 英語しか学んだことのない方は、フランス語やドイツ語は格変化(211ページ参照)や動詞の活用など複雑で難しそう、と言うのだが、逆に英語以外の言語を学んだ方は英語のほうが難しいと言う。
 彼らにとって英語が難しいと感じるのは、第二外国語を学習するときには、最初にきっちり初級文法を学び、それをベースに肉付けしていくような学習をしているからである。(25ページ)

 話を元に戻すが、いつまでも英語ができるようになった気がしないという方は、一度原点に立ち返って、小学校高学年向けの「国語文法」の本を読んでみることをお勧めする。
 そうして、日本語の仕組みをひとつふたつ例にとって、英語ではその構造がどのように表現されているか比較、観察してみるとよい。まさにロジックの力を高める良い練習になるのは間違いない。(25-26ページ)

 外国語の運用能力の基盤は分厚い翻訳能力であると思います。英語の能力はまずは初級文法と基本単語2000語くらいを集中的にトレーニングして基礎的な力をつけさせ、同時にそのトレーニングのなかでその後の学習法の習得をさせたり、言語というもの自体への感覚の予感めいたものを感じさせることができればよいのだと思います。
 結局、翻訳能力の天井はその人の母語の能力ということになるのかなと思っており、母語の能力を向上させる方法は、ヘンリー・ミラーが「わが読書」のなかで「本の河をじゃぶじゃぶ徒渡りする」と書いていたと思いますが、そういうことしか思いつきません。(33ページ)

 筆者の経験では、レベルの高い交渉事などができる外国語を操るときには、外国語と日本語との間で高速で「口頭翻訳」を行っているのである。難易度の高い英語のコミュニケーションが無意識のうちにできるようになるなどという幻想は抱かないことだ。
 つまり、日本に住んで周りが日本語で話している環境のなかで、「日本語脳」を捨てて「英語脳」を獲得するなどということはまず不可能なのである。また、そのことにどのような意味があるのだろうと思わずにはいられない。(52ページ)

 個人的には、TOEIC自体はゲームみたいだと私は感じています。
 「英語力」を磨くというより「TOEIC攻略」が目的になっていて、TOEICのためのスキルや勉強法を追求するついでに、ビジネス英語の語彙力もついてくるというゲームのような感じがします。(61ページ)

 実は、TOEICのことを少しでも知っている英語関係者の間では、「グローバル・スタンダードなんて嘘。TOEICなんて日本と韓国だけでしか知られていない」というのは定説になっている。(74-75ページ)

 そもそも、TOEICを最初に作ったのは日本の通産省(当時)と経団連で、英語ビジネスの既得権益を確保しようとしているだけじゃないでしょうか。最初は志高く、英検に代わるビジネス英語検定を目指していたのかもしれないけれど、今はもう金儲け主義。今度は大学のセンター試験での採用を狙っているんじゃないですか (77ページ)

 具体的にまとめると、次のような結論を導き出せる。
1 TOEICでは、略式の英語(ひらたく言えば俗語)の力は測れない。
2 TOEICでは、日本語への翻訳能力はまったく測れない。
3 TOEICでは、日本語からの英作文力はまったく測れない。
4 TOEICでは、自由作文力(最初から英語で書く作文)もほとんど測れない。
5 TOEICでは、実際の会話力はほとんど測れない。
6 TOEICでは、専門的なレベルの英語力はまったく測れない。

 何のことはない。逆に、何が測れるのか、と問われれば、
7 TOEICを受ければ、正式なスピーチレベルのヒアリング、リーディングの力が「だいたい」測れる。

 ということになる。つまり、英語の「運用力の基礎となる知識」を測ることはある程度できるが、「実際に運用できるかどうか」は測れないのである。(88-89ページ)

 このことはかつて会話ができなくてコンプレックスを抱いていた筆者自身が体験したことなので断言できる。いつまでも会話ができるようにならないという方は、文法をしっかり学んでいない、語彙力が足りない、そして何よりも学習時間が少なすぎるのがその原因だ。(95ページ)

 学校のテストや大学入試で、まとまった量の日本語を英語に訳せ、というタイプの問題がすっかり影を潜めてしまっている。筆者が大学受験した頃の東大の入試問題には、「朝日新聞」の天声人語の一節が出題されていた。当時の秀才は、辞書、参考書持ち込みなしでこれが英訳できたのだから、大変な作文能力である。(97ページ)

 では、どういう学習方法がよいか。筆者がお勧めしたい学習法を提案しよう。
1 もしまだ持っていれば、中学英語のテキストを(できれば音声教材の発音、イントネーションをまねしながら)よく音読し、暗記する。
2 会話力の習得にもっとも効果的な学習法については、次の方法を勧めたい。
a 学校の教科書に出てくる文型と名詞句の組み立て方を徹底的に理解し、練習する。例を言うと、文型は5つあり、それぞれに下位区分がある。
  名詞句の組み立て方で言えば、
 ①名詞の前に置かれる要素には、冠詞、指示形容詞、数詞、所有格代名詞、形容詞、単独の分詞、名詞などがあり、
 ②名詞の後方から名詞を修飾する要素としては、一部の特殊な形容詞、副詞(216ページ参照)、前置詞句、分詞句、to不定詞、関係節、同格節がある。
 これらが駆使できなければ「文法的な(=文法的に正しい)」英文は構成できない。
b 英語で相当な会話力をつけたい場合は、高校英語の教科書またはそのレベルの良質なビジネス会話本などのテキストをよく読み込んで(模範音声を模倣しながらの音読が望ましい)、できれば全部暗唱できるまで聞き込む。
c この後に、自分の属する業界(研究者だったら専門分野)の用語やよく出てくる動詞、コロケーションを集中的に覚えると、ほとんど会話には困らなくなる。(108-109ページ)

 そしてその原因おして、「そもそも日本語がきちんと使える人が非常に少ない」ことを挙げ、母国語教育と英語教育のあり方に同根の問題があることを指摘している。
 本来あるべき言語教育とは、英語という特定の言語に偏ることなく、言葉そのものに対する興味をさまざまな角度から養い、母国語と外国語をよく比較観察しながら「ことばの仕組みとか働き」を理解するものであるべきだという。(124ページ)

 では、TOEICはどう利用すべきか。TOEFLの目的が「アメリカの大学でやっていけるかどうか」の判定だとすれば、TOEICは「アメリカで支障なく生活できるかどうか」を判定する場合に限定してはどうかと思う。
 日本の中学校から大学にかけての英語学習者や英語教員の能力を判定するには、英検のほうが優れている。(129ページ)

 社員が英語をどの程度使えるかを企業が測りたいのであれば、そのニーズにマッチした検定試験を考案すべきである。英語をよく使う企業の場合、社員がどの部署でどういう業務にたずさわるかを考えて能力査定を行うべきであろう。
 例えば、英文書類を扱い、メールを書く必要がある社員には、英文和訳、和文英訳をしっかり身につけさせる。1年に1回も外国人クライアントとじかに接することがないようなら、会話学習は後回しにするのである。(133ページ)

 恩師の故千野栄一先生は、名著「外国語上達法」のなかで、語学習得に必要なものはお金と時間だという説を紹介されていたが、これは決して皮肉ではない。時間の必要性はみなさんも同意できるだろう。
 「お金」は語学を真の意味で効率よく学ぶには、それなりの正しいスキルを先に身につけたほうが目的地に早く到達できる、そのためのお金は(余裕があるならば)中途半端にけちらないほうがよい、ということを意味しているのだ。(140ページ)

 何度も述べてきたように、ビジネスピープルが国際ビジネスで必要とされる英語力とは、実は会話力ではなくて読み書きの力だ。(168ページ)

 「君、会話コンプレックスなのか?」
 「はい」
 「外国人恐怖症なのかい?」
 「いえ、外国人とはすぐに仲良くなれます」
 「あ、そう。だったらね。四の五の言わずに単語を2万語ぐらい覚えるまで、和訳と英訳を、丹念に勉強し続けなさい。それが終わる頃には、俺は何を悩んでいたんだろう、と思うほど、会話のことなんか気にならなくなっているから」(170-171ページ)

 会話を有益なものにするためには、後は人間力である。日本人はともすれば無口になりがちだが、これは相手と自分との距離が確定しないと話しにくいという日本人特有の人間関係が影響していると思う。
 また、ユーモアのセンスを磨いておくのも重要である。アメリカ風はユーモア、イギリス風はウィットネス、フランス風はエスプリと言うそうだが、日本人はともすると生真面目なので、少し羽目を外すぐらいでもちょうどいい。(182ページ)

 通訳の仕事に関しては、TOEICでハイスコアを記録した方のほうが優秀な仕事をできる可能性は高いとは言える。
 しかし、翻訳に関しては(あまりに低すぎるスコアは問題外だが)、まったくと言ってよいほど参考にならない。筆者の経験から言うと、極端な例では600点程度のスコアの方でも完璧な和訳をする方がいた。むしろ950点を超える方は、英訳はそこそこ出来が良いが、和訳は質が落ちる傾向がある。(187ページ)

 英語のプロを目指す方に言っておきたいことは、これからは、本当に優秀な語学家はひっぱりだこになるが、まあまあ仕事にありつけていたというレベルの方はコンピュータに仕事をとられるだろうということだ。
 これから語学で身を立てようと思う方は、単純に翻訳、通訳の仕事だけではなく、多角的に語学の知識を広めておき、情報収集、講演、執筆、ソフトウェア開発、ビジネスコーディネートなどをからめて、仕事を「クリエイト」する能力が求められる。(196-197ページ)

 ここ十数年来、笹野洋子「「読んで身につけた」40歳からの英語独学法」、塩田勉「おじさん、語学する」、浦出善文「不惑の楽々英語術」、菊間ひろみ「英語を学ぶのは40歳からがいい」など、壮年世代の英語学習者を鼓舞する著書が相次いで出版されており、かなりの支持を受けている。
 このなかで、特に笹野氏の著書では、まず購読がしっかりできるようになることを勧めているが、これは重要な示唆を含んでいる。この後本章で指摘するように、壮年期になると瞬発的な反応の力は衰えてくるが、思考力、判断力は高まってくる。そして人とのコミュニケーションも巧みになるので、会話学習より購読学習のほうが適しているのである。読み書きが習熟するとハイレベルな語彙力もしっかりつく。それから会話学習に取り組んでも結果的に良い成果が出るのだ。(199ページ)

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