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スーパー高齢者伯母あさこの物語1

私の父の姉である伯母は、モーレツなパワーの持ち主でした。
これは10年前に書いた文章ですが、思い出してもすごい人だったので、そのエピソードを書き残します。

2013年3月

久しぶりに父方の従姉妹夫婦が我が家を訪れました。
スーパーウーマンである父のお姉さんの娘です。なにがスーパーウーマンかというと、60歳を過ぎてから当時留学していた娘とともにドイツのミュンヘンに渡り、その後、娘は帰国したというのに自分はたいそうミュンヘン暮らしが肌に合ったのかそのまま居残り、88歳になった今では年の半分は帰国するものの、半分はミュンヘンで家事の全ても自分でこなして暮らしているという元気な人だから。関西に住んでいる従姉妹ともなかなか会う機会がありませんが、彼らの話もそこそこに、つい話題になってしまう伯母の話、その驚くべきエピソードをききました。

もともとピアノが大好きで、東京芸大の前身である東京音楽学校の師範科を卒業し、徳島の大学でピアノを教えていた伯母は、この人生の終盤を迎えてドイツでベヒシュタイン製のピアノを購入しました。マホガニー材でできた猫足のピアノ。 人生の最後まで大好きなピアノの音を聞いて過ごしたいという願いで、いくつも試奏して選んだ最高級のピアノ。
ところが、そのピアノが家に届き、伯母が弾いてみたところ

「このピアノじゃない!」

と言い出したそうです。伯母が選んだピアノじゃなかったのか?
こういう場合、80歳になる日本人のおばあちゃんがピアノを選んだとすれば、信用されないのはおばあちゃんの方で、お店で弾いた時と感じが違うんじゃないか?とか果てはボケちゃってんじゃないの?なんて思われる。それでも「絶対 これじゃない!」と確信する伯母
結局はベヒシュタイン社側と「違う」「違わない」の押し問答になり、伯母は心理学者の友人に間に入ってもらい、交渉をしました。
その心理学者のご友人とやらもドイツ人らしく、すべてのやり取りを文書にしてかなりの分厚さになるまでピアノが運ばれた経緯を調べ上げ、最終的に、運ばれて来たピアノの製造番号が、伯母がピアノを選んだ後に製造されたものだということをつきとめました!

つまり 伯母が正しかった!

結果、ベヒシュタイン社は社長自ら詫び状を伯母に送り、ベルリンの本社に招待し

「この中から好きなピアノを選んでください」

と言ったそうです

あっぱれ!この貫き通す意思の強さよ!

さらに後日談があり、このことがあったのち、従姉妹がある日、ミュンヘンで電車に乗っていたところ、向かい側に座った人が突然彼女のところへやってきて

「あなたは アサコ(伯母の名前)の家族か?」

ときいてきました。見ず知らずの人なのにいったいどういうことかと思いつつ、従姉妹は

「そうです 娘です」
と答えると

「そうか!あの高いピアノを買ったら、間違って持ってこられた アサコの娘か!」

と言われたそうです!!

間違ったピアノが届いたことを、どうやら知り合いという知り合いにふれまわっていたらしい伯母!
それにしても、電車の中でいきなり「あの アサコの娘か!」と言われた従姉妹はびっくり!確かにミュンヘン郊外に日本人も少ないし、顔も雰囲気も似ていたからだとは思いますが、それにしても、どれだけ伯母は知られているのだろう?

88歳になった今でも定期的に「歌の会」なる催しを仕切り、友達をよんでは自分が伴奏して皆に歌を歌わせる伯母。そして歌の会の日は、自分ですみずみまで雑巾がけして部屋をピカピカにして友人を迎えるらしい。
大阪にいる時、病気で食欲の無いと従姉妹が言えば、タクシーで手料理を持ってお見舞いにくる。その料理の中にはかぶの漬け物があり、どうやって漬けたのかときいたら、なんと4キロもある漬物石を普通には持ち上げられないからと床に肘をついて、テコの原理で石を持ち上げて漬けていたとか!!!

この伯母 なにもの!!!

昔から自分が信じたものや好きなことには邁進する人でした。時に強すぎて、子供の私などは閉口することもありましたが、背も高く、美人で、いつも自分がすばらしいと思う音楽や自然を周りの人に伝えたいとひたすらに思い、純粋な伯母。あのパワーは今もなお衰えていない!

「あんたにもその血が流れてんだからね」
と母はいうけど、あなたのおかげで薄まった私の血は到底伯母には及ばない
でも、話にきく伯母の生き様は、いまでは私の理想であり、あこがれになりました。

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