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1995年と重なる落ち着かない日々[2024年1月6日]

発生から6日経ち、被害の大きさが徐々にわかってきた能登半島地震。ジャーナリストの津田大介さんのポリタスTV動画レポを見て、予想した通り、建物の崩壊と津波が重なり、阪神淡路大震災と東日本大震災が同時に起きたような被害状況になっているのだと感じた。

阪神淡路大震災、東日本大震災共に私は仕事での関わりがあり、現地取材をしたときのことをどうしても思い出してしまう。あの時も発生直後から時間の経過とともに、被害が甚大であることがわかるような状態だった。どちらの震災のときも、私が現地に入ったのは、緊急を要する事態は落ち着き、被災した方たちの避難生活が長期化し始めた頃だった。それでも、被害の大きさを目の当たりにして言葉がなかった。とくに東日本大震災のときは出身地が含まれていたこともあり、震災以前の街並みを知っているだけに、表現する言葉がまったく見つからず、唖然とするしかなかった。

2024年が明けたとたん、続く大災害と大事故に、ジャーナリストの青木理さんがラジオやポリタスTVで「1995年を思い出す」と話していた。私もそれを聞いて「あっ!」と膝を打った。既視感があるような気がしていたからだ。

1995年も阪神淡路大震災があり、オウム真理教による地下鉄サリン事件があり、日本のターニングポイントになった年だった。バブル経済崩壊後もぼんやりと続いていた楽天的な雰囲気が叩きつぶされ、不安と不信感がうっすらと、けれど、確実に日々の生活に影を落とし、95年以降にじわじわと濃くなっていったと感じている。

今の日本があの頃と違うのは、世の中の空気が冷え冷えとしているということだろうか。95年はもっと熱っぽかった。2011年と比べても、温度が低い。

能登半島地震では亡くなる人は東日本大震災よりは少ないとは思う。しかし、地理や天候、住民の年齢構成を考えると、避難生活の困難さが予測され、震災関連死をどれくらい防げるかの瀬戸際にある大災害であることには変わりはない。

人の死は数字では計れない。家族や友人を失う悲しみ、悔しさは、人それぞれに異なり、言葉で表すことが難しいほど深い心の奥に傷跡を残す。また、家を失い、生活の目処が立たない状況が続くことも、生き延びようとする力を奪っていく。

しかし、その深刻さと報道のギャップはなんなのだろう。TVはニュースでは触れるものの、字幕で情報を伝えるL字放送もなくなり、すっかり通常放送に戻ってしまった。早すぎるのではないか、と驚いた。多死社会になり、人の死や苦しみに鈍感になってきたということなのだろうか。あるいは、メディアに震災報道にリソースを割ける体力がなくなっている現れなのか。人手が手薄になる元日に発生した災害とはいえ、阪神淡路大震災や東日本大震災とどうしても比べてしまう。

私の身近でいえば、あの頃は、雑誌メディアも多くの記者やカメラマンが発生直後から現地に向かい、報道体制を整えたが、今回は来週になっても、そこまでの体制は取れないと思う。取材に行ける資金力が編集部になく、人材も手放しているからだ。

報道量が少なければ、人々の関心はすぐに薄れてしまう。災害や事故の報道には罪もあるが、さまざまな媒体が多面的に報道をすることで、被災地以外にいる人たちの関心を高め、共感を抱かせる功の部分も大きい。TVの報道量が減り、新聞と雑誌の紙媒体メディアが衰退し、ネットメディアも一時期のような発信力を失っていることを考えると、今後、どれくらい発信元が明確な情報を確実に手に入れることができるのだろうと危機感をますます抱いてしまう。

とはいえ、自分がどこまでできるか、と言えば、年齢的に東日本大震災を取材していた頃ほどの体力はない。あの時と同じような取材をすることは難しいだろう。ライターという職業人としての立場より、ボランティアの1人として携わり、見聞きしたことを個人的に書き残すことしかできないかもなぁ、と思っている。

それにしても、政府の対応は遅すぎる。情報発信にも熱が感じられない。東日本大震災のときは混乱も多々、あったけれど、官房長官だった枝野幸男さんが「枝野寝ろ!」とペケッターで言われるほど、情報を発信していた。思い返せば、政府の人間が表に顔を頻繁に出し、声を聞くだけで、「私たちは見捨てられていない」という気持ちになれた。

表に出てこない部分で働いてはいるのだろうと思いたいが、国民に情報を包み隠さずに伝える気がない政府を横目に、「ボランティアや寄付をよろしくね!」と期待されても、「なんだかなぁ」という気分である。私にできることはするつもりだが、それは能登半島の人たちの少しでも力になれば、と考えての行動であり、人心掌握に鈍感で下手すぎる国の冷たい仕打ちをカバーするためではない。

あれこれ考えると、あまりにも心が冷えてしまうので、せめてサムネで温まろうと、暖炉の写真を選んでしまった。


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3行日記

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。