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映画『窓辺にて』、結婚ってなんなのよ。


稲垣吾郎と言われ浮かぶイメージは人それぞれだろう。そして多くの人が抱くであろうイメージがひょっとしたらこの物語の主人公・市川茂巳のような人物かも知れない。

個人的には最後まで市川茂巳という人物は謎のままだった。でもこれはこれでおおいに納得してしまう。中性的で、透明感があり、不思議なくらい嫌味がない。でもつかみどころがないのがまさに稲垣吾郎でもあるのだから。

妻が新人作家の荒川と浮気をしていることを知り、怒りの感情がわかないと悩む市川に失礼ながら「知らんがな」と思いつつ、あまり違和感なく「市川っぽいな」とも思ったし、タイプは違えど『ドライブマイカー』の家福さんを想起し、ふたりは少し似てるかもと思ったりもした。


『窓辺にて』は恋人、不倫、夫婦、家族、いろいろな恋や愛の在り方を描く。高校生作家・留亜のみずみずしい恋愛に爽やかさを感じたと思ったら、恋とも愛とも違う市川夫妻の空気のような関係に、なんとも言えない気持ちにさせられる。そして市川の才能に嫉妬し、妻を手に入れたくても入れられない作家・荒川の惨めさにちょっとばかし同情し、彼は空気にも及ばないの?と思ってみたりするのだ。
プロスポーツ選手の有坂に至っては、妻と子供がいながら浮気をしていて、妻と愛人どちらにもいい顔が出来てしまう。愛情を上手に使い分ける彼は荒川のことを思えば、器用なズルい男に見えてくる。


愛する人がほかの誰かと結婚しているだけで罪悪感を覚え、激しく苦しんだり、逆に結婚相手の不倫に何も感じなかったり。はたまた上手に家族と愛人を渡り歩くカジュアルな愛もあったり。

こんなこじれた人間模様を見ていると人間不信になりそうだが、キャラクターの悪意のなさと俳優たちの透明感のおかげか、この物語に全くドロドロしたものを感じない。むしろ稲垣吾郎のオフを覗き見したような面白風景に微笑ましくなってくる。そして留亜と能天気にパフェを食べている市川を観ていると

「結婚ってなんなのよ」

なんて白熱教室ばりの疑問がわいてきてしまう。

婚姻届は戸籍や財産などの制度上非常に重要な書類だけれど、そこに契約書以上の意味はきっとない。そこに相手への気持ちがなければ、ただの紙切れで繋がれているに過ぎない。
紙切れがあってもなくても、ふたりの間に何を積み上げていくのか。愛情、信頼、子供、お金。彼らの決断は確固たるものを積みあげられなかった自分たちへの、ひとつのケジメだったのだと思う。

今回も若葉竜也から目が離せなかった


こうして謎の人物、市川に想いを馳せていると、彼にとっては妻との時間さえも、もしかしたら夢のようなものなのだったのかも知れない、と思ったりもする。居心地が良く痛みは感じないが、リアルさも感じられない。そして痛みを伴うのがリアルな人生とするならば、きっと市川にとってのそれは元恋人との時間だったのかも知れない。


最後にひとつ。
わたしが心配だったのは、次々と新しい物を作り続けることに疲れてしまった留亜の叔父さんの存在だ。ひょっとして彼は今泉監督の一部分が投影されているのではないか?そんなことを考えてしまったりする。でも心配しておきながらしっかり次回作を期待している。

だって今泉映画は特別だから。
映画を観ながらこんな時がずっと続けばいいのに。そう思わせてくれる数少ない映画監督だ。
だから彼の新作はいつも待ち遠しい。

今泉監督、次回作も期待しています。












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