記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『ちょっと思い出しただけ』魔法をかけられて。

 同じ朝焼けを別々に眺める葉と照生、ふたりは結局別れてしまったけれど、いまを生きているように見えた。
 クリープハイプの「ナイト・オン・ザ・プラネット」のイントロのワウギターはふたりの、そして自分自身のこれまでの恋愛や経験を、なんだか少し肯定してくれているようで優しく、心地よい。

 人生はほんとうにタイミングの連続で、ちょっとしたボタンの掛け違えが、喜劇にも悲劇にも奇跡にもなる。ふたりの悲劇はタクシーの中で起きた。でも映画の終盤にもなると、喧嘩別れのシーンは思いのほかわたしの中で小さな「思い出」のようなものになっていた。それ以上にふたりの愛おしい日々が深く脳裏に焼き付いていたからだ。夜のシャッター通りでダンスをしたふたりの出会いの日こそが、まさにクライマックスであり、出会いのときめきや恋の予感でわたしはすっかり満たされていた。

 恋の始まりのような美しい瞬間はは長くは続かない。ふたりが別れることがわかっているならなおさらだ。時がたつにつれて美しい思い出さえも傷ついていく。『花束みたいな恋をした』はまさにそこを描いた。本作は逆に時を戻すことでふたりの美しい思い出が復元されいく。傷を癒していくセラピーのような復元の過程こそが、この映画の魔法だ。そしてこれは清々しい鑑賞後感にも繋がっている。

 池松壮亮と伊藤沙莉の演技は、葉と照生という実在の人物がそこにいるとしか思えない強い説得力を持つ。ふたりの会話は自然でいつまでも聞いていられる漫才のようであり、相方への気配りと愛情がないと成立しないボケとツッコミをふたりは見事に演じている。一方、バーのマスターの國村隼やタクシー運転手の鈴木慶一は、ストレートな物腰で地に足がついている人生の先輩を好演してくれた。

 映画館を後にしてもなお続く余韻、鳴り止まない「ナイト・オン・ザ・プラネット」。この心地よいループにずっと浸っていたい、こう感じるのはわたしだけではないだろう。それはこの映画に癒され、魔法をかけられている立派な証拠なのだ。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?