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センスの良い人間になりたい

センスの良い人間になりたい。


世の中はセンスで溢れている。

Twitterを開けば言葉巧みに面白い写真を載せる人の万バズを毎日見ることができる。

インスタを開けばファッションセンスの良い人ばかり流れてくる。自分がドンピシャで好きなアパレルショップがどんどん見つかるし、服の着こなし方もとても参考になるものがいっぱいある。

写真家が撮る写真を見れば同じ景色でも撮り方によって違う景色に見えてくる。同じ景色でも写実ではなく、景色に表情というものを載せて自然な形で見せてくれる。

小説を読めば自分の知らなかった表現で溢れている。自分のあの時の感情ってこういう言葉で言い表せられるのかと満足感を得ることができる。

好きな小説がある。新海誠の『言の葉の庭』。

見下ろす百香里と見上げる秋月

百香里も秋月も、自分の中に決して他人には明け渡さない特別な領域を密かに抱え込んでいるのだ。それが他人にとって価値のある場合もあるし、誰にとっても意味の無いガラクタである場合もある。そこまでは俺には分からないし関係もない。だから、秋月のことがどこか苦手で、同じ理由で、百香里にはどうしようもなく強く惹かれてしまったのだ。

小説『言の葉の庭』より

この数行の文章だけで、「好きな人のミステリアスな部分に惹かれるのはどうしてか」を的確に表している。そして、同じ「ミステリアスさ」なのに対象が異なるだけで違った解釈も生まれる、という人間の面白い心情も同時に表している。本職の人に失礼だけど、センスいいなあって思う。

さらに、この小説には好きな文がある。

小説ってこちらの憧れている気持ちを見透かしてくるくせに、なかなかすべてを見せてくれない意地悪な年上の恋人みたいだ。

小説『言の葉の庭』巻末、神田法子さんの解説より

めちゃくちゃ共感するし、めちゃくちゃ腑に落ちた表現だった。小説は一から十まで詳細に書き込まないことで読者の想像力を掻き立てる工夫があることを「意地悪な年上の恋人」に例えるなんて、天才か⁉と思った。



SNSや小説なんかは、安易に自分の気持ちを適切に代弁してくれるからすごく便利だ。でも、「センスの良い人間になりたい」僕は、誰かが代弁してくれた言葉じゃくて自分から生まれた言葉を大切にしたい。他人から借りてきた言葉で安心や満足感を得るんじゃなくて、自分が生み出した言葉で自分自身に共感したい。

他人から「センスの良い人」だと思われたい承認欲求も多少はあるが、今は、「自分が求めている感情を自分の力で言葉や映像に表すことができるようになりたい」気持ちの方が強い。センスが発揮されて生まれた言葉や映像は、本当の意味で僕を心の底からワクワクさせてくれるだろうし、他人の代弁や創造物よりもっともっと多幸感を得ることができると思う。

つまるところ何が言いたいかというと、最高のコンディションで自己満足を得たいということだ。

最高のコンディションで自己満足を得る道は長い。
あれもしたいし、これもしなければならない。noteで自分の思考整理を上手くできるようになりたいし、写真を撮る技術力をあげたいし、アコギも上手くなりたいし、デザインの勉強を頑張りたいし、絵も上手に描きたいし、ファッションセンスも磨きたいし、友達にもっと上手にボケたりツッコメるようになりたい。


センスの良い人間になる道は、まだまだ長そうだなあ。



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