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雑記14 最近観たホラー映画12——「ウィッカーマン」——

 「ウィッカーマン」は怖いというより不気味な印象のミュージカル・ホラーで、随所に挿入される民謡風の歌が全体の雰囲気を不穏なものにしている。この作品の肝の一つは主人公・ニールが人柱だったというツイストだが、普通に見ていれば冒頭で勘付くので、あまり意外性はない。ストーリーの巧みさより儀式の描写を観るべきかもしれない。7点。フォーク・ホラーは先行作品にも多く見られ、泉鏡花やホフマン、ホーソーンなどはその代表だが、いずれも文芸分野であり、映画においてこのジャンルの地位を確立したのは恐らく本作だろう。その点で「ウィッカーマン」は特筆すべき作品と言える。後継としては「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「ウィッチ」などがあり、中でも影響の色濃いのが「ミッド・サマー」だろう。田舎の人間が生贄を誘い込む点、歌や踊りが主要な素材となっている点、性的に放縦な点、生贄が最後に焼き殺される点などが似ている。ただ、「ウィッカーマン」のモチーフがケルト神話なのに対し、「ミッド・サマー」の出典はゲルマン神話である蓋然性が高い。また、「ウィッカーマン」は異教とキリスト教の断裂やクリスチャンの差別意識といったポストコロニアリズム的な要素が主軸だが、「ミッド・サマー」では神経症や人間関係の確執といった都会人の苦悩がメインプロットに結び付けられている。ウィッカーマンとは、ケルト人信仰に見られる柳で編まれた巨大な人形で、中に家畜や人間を入れて燃やすことで神への贄とした。ここから分かるように本作ではケルト神話が大きな役割を担っている。他にも太陽神ヌアダ、豊穣神アベレナル、海神エールへの言及があり、それぞれケルト神話のヌアザ、アヌ、リールが元ネタであろう。一方、本作で見られる仮装行列カーニヴァルは、ケルトの豊穣祭であるハロウィンを参考にしていると考えられるが、仮装して練り歩くという風習はキリスト文化圏に取り込まれて以降のものらしく、「ウィッカーマン」の島民達が古代の信仰を完璧に保存しているわけでないことや、キリスト教と異教の境界曖昧性が描かれている。本作では、島外からやって来た警察官、ニールが生贄に捧げられるが、外部から来た人物がコミュニティに富と恩恵を齎す発想は民話において頻繁に見られるものである。北欧では神聖なる来訪者と呼称され、ベーオウルフやニョルズがそれに該当し、ギリシア神話でもテセウス、ペルセウスといった外から来た英雄が怪物を退治する。日本では稀人や客人神という富を齎す訪問者が語られているが、そうした説話の中でも六部殺しは注目に値する。六部とは仏教の巡礼僧のことであり、宿の主人夫妻は宿泊客の六部が持つ大金に目がくらみ、彼を殺してしまう。その金で事業を拡大し、子供も生まれて順風満帆な夫婦だったが、ある日の、六部を殺したのと同じような空模様の時、子供が「お前に殺されたのもこんな夜だったな」と語る。殺人と恩恵の結合は「ウィッカーマン」に類似するものであり、欧州にも似たような民話があったのだろう。ちなみに六部殺しの類話としては「累ヶ淵」や「もう半分」、夏目漱石『夢十夜』「第三夜」、都市伝説の「コインロッカー・ベイビーズ」などがある。

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