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生きている銀河の星も地の俺も

 ※短編小説です。
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  銀 河

 人は死んでも星にならない。
 当たり前だ。もしそうだったら、この地球も死者の魂でできていることになる。あり得ない。バカバカしいほどあり得ない――。

 目が覚めると夜だった。
 布団の中から手を伸ばし、手探りで天井から垂れ下がった蛍光灯に繋がる紐を引っ張る。カチカチと二度、三度……。点かない。
「ちっ。まだ停電かよ」
 ほんの数秒、布団から出しただけで腕が急速に冷えてきた。その冷えがじんわりと体全体に及んできて、慌てて腕を回収する。固く冷たくなった腕をさすりながら、再び眠ろうと目を閉じるが、逆に目がどんどんと冴えてきて寝付けない。けれど起きたところで、電気も点かないくそ寒い真夜中に、何をするというのだろう。TVだって見られない。
 昨日の午後に、でかい地震があった。それからずっと停電したままだ。古い木造アパートのガスはプロパンで、幸いこいつはガス漏れもなく使える。ストーブの石油もポリタンクに一つと半。ほとんど寝て暮らす生活だから、なんとか数日は保つだろう。が、水が出ない。電気が止まっているから当たり前か。
 水。これが痛い。ここの便所は未だ簡易水洗の汲取り式だから、用を足した後にちょぼっと薬剤を流して処理完了である。よって、下水の心配はない。問題は飲み水だ。
 引きこもり生活の常で、ポテトチップスなどのスナック菓子やカップ麺、冷凍食品等々の保存の利く食品のストックはある。まあ、冷凍食品は、このままなら直に全解凍の運命だが。いや、このクソ寒さなら、ストーブさえ焚かなければ案外、大丈夫かもしれない。飲み物は、ペットボトルのスポーツドリンクが二本、炭酸飲料が一本。お茶のボトルもあったのだが、昼前に一度起きたとき、やかんに空けて沸かし、ポテチと共に腹に流し込んだので、今はもうない。スポーツドリンクや炭酸ジュースは、こう凍(し)ばれては飲みたくない。温めたら……味を想像するだに恐ろしくてできない。
 温かいカップ麺でも食べたいが、お湯を沸かそうにもただの水がない。ミネラルウォーターも買い置きしておくんだったと悔やんでみても後の祭りである。こんな事態は想定していなかったのだから。
 ため息と共に、もそりと寝返りを打つ。自分の身じろぎが発する微かな衣擦れが、静かすぎる暗闇ではやけに耳障りだ。
 老朽化した木造アパートは、住人の行動が把握できるぐらい音が筒抜けだが、どこからもコトリとも音がしない。俺の住む角部屋の隣室は空き部屋だ。上階の住人は仕事柄なのか、いるときはいるが、いないときは一、二週間はいない。数日前から物音がしないから、たぶん、今は留守だろう。元々、空き室が多いアパートだが、三月に入ってすぐ、引越屋のトラックが来て、どこかの部屋から荷物を運び出していったから、今現在住んでいるのは六室中、半分ぐらいだろうか。耳を澄ましても建物のどこからも、音も人の気配もしない。もっとも夜だから、寝ているだけかもしれないが。
 それにしたって、静まりすぎている。いくら真夜中の田舎町とはいえ、辺りからは何一つ物音がしないなんて今までなかった。そう言えば、いつもは早朝に遠くから響いていた貨物列車の音も、今朝は聞こえなかったように思う。
 もう一度、寝返りを打つ。自分以外に動くものは何一つ確認できない。息づくものを確認できない。何もかもが終わってしまった気配だけがする。気配と言うのもおかしいが、何というか「終わり」という感じしかしない。
 ふと、このまま死んでもいいかなと思った。
 「親」という単語が頭に浮かんだが、申し訳ないという言葉は浮かばなかった。むしろ、俺がこのまま死んだ方が世のため人のためだ。親が知らぬ間に、俺に生命保険をかけている可能性も十分ある。仕事以外は大雑把な親父がそんなことを思いつくとは思わんが、お袋ならありだ。女ってのは、複雑に色を変える感情の面の下に、案外とドライで計算高い素顔を持っているものだ。俺が死んでも困りはしないどころか、引きこもりのニート息子が消えて、老後の資金も手に入って、万々歳ってとこだろう。食いつぶされるばかりの俺の貯金も僅かとはいえ残される。ささやかな親孝行というか、親不孝の慰謝料ぐらいにはなるだろう。俺自身だって、この貯金と時間を食い潰すだけの虚しさしかない日々から解放される。
 引きこもり生活が板に付いてから、週に一度ぐらいの割合で沸き起こる投げやりな妄想だ。その妄想の実行を、現実として捉えたことなどなかったが、今夜に限っては本気でそう思った。
 高校を出て、東京の三流大学に進学した。高望みをしたわけでもないのだが、就職活動に失敗して内定を一つも得られないままに卒業した。仕方なく、東京でフリーター生活を続けていた。いつか正社員として就職して保証された賃金と社会的な安定を得たいと願い、努力し、藻掻いたが、時代が悪いのか、自分が不器用なのか、運がないのか、なかなか思うに任せなかった。
 あるとき、ようやく運が巡って仙台にある小さな建設会社に正社員として採用された。ところが、四年目に社長が急死すると、社長一強に取りすがって経営されていた会社は、統べることができる者もなく、あっという間に人が去り、銀行が資金を回収し、あっさりと消えた。その後、正社員雇用の可能性ありという触れ込みのバイトを始めたが、ハードワークに体が保たず一年余りで辞めた。三、四ヶ月して別のバイトに就いたが、荒むような人間関係に数ヶ月で逃げた。半年して、ようやくこの田舎で派遣の仕事にありついたが、三ヶ月の契約を数回更新したところで、俺のいた部署が畳まれて終わった。
 それから数ヶ月。失業保険も切れ、運も気力も尽きて、アパートに閉じこもったまま、ただただ、ウツラウツラとしながら月日を費やしている。こんな屍のような生活が終わることを夢見ることすら、今ではもう難しくなった。いや、とっくの昔に想像すらできなくなっている。
 かけ違えたボタンを外してかけ直すと、またかけ違えている。それでまたボタンを外してかけ直すが、またしてもかけ違えて……そんなことの繰り返しのような人生だった。今はもう、外れたボタンをかけ直す気力すらなくなっている。それどころか、あったはずのボタンがとうとうとれてしまって、いつの間にか無くなってしまった。だから、もう、かけ直すこともできない。

 突然、ぶるりと震えがきた。小便だ。だが、寒くて布団から出たくない。少しの間、我慢してみた。しかし、我慢したからといってどうにもなるわけがない。渋々と布団から這い出し、手探りでトイレへ向かった。
 トイレの中は、以外にも明るかった。小窓の曇りガラスを通して、外から白っぽい光が入ってきている。だが、その光が何なのかを追求する余裕は、その時の俺にはなかった。とにかく早く、キンキンに冷え切ったこの場所から温かな布団の中に戻りたかった。つま先立ちでさっさと用を足すと、つま先立ちのまま、できうる限りのスピードで帰る。
 頭からすっぽりと布団の中に潜り込み、体を丸めて冷え切った手足を擦り合わせた。けれど、ちっとも暖かくならない。さっき、小便と共に体温が放出されてしまったせいだ。このまま死んでもいいと思っていながら、大小便の生理現象と、寒いの暑いのは我慢できない。死んでしまえばそんなことはどうでもよくなるのに、我慢できない。だから俺はダメなんだ。カスのような生き方しかできないんだ。自嘲しようとしたが、凍えて固まった頬は、引きつりもしなかった。その代わり、己の浅はかさと浅ましさを知らしめるように、ぎゅるりと腹が鳴った。
 突然、俺は閃いた。寒さと絶望に、永久凍土のように固まっていた俺の脳が無意識の生存本能に押されて働いた。強いヤケクソ気分がわき上がってくる。わずかの逡巡もなく、俺は、がばりと起き上がった。
 カーテンを半分開ける。思ったとおりだ。ガラス窓から入り込んでくる白っぽい光が薄らと室内を照らした。雪だ。さっき、トイレの窓から差し込んでいたのは、やっぱり雪の反射光だったのだ。
 そのささやかすぎるほどささやかな光を頼りに、鴨居に引っかけてあった防寒コートをパジャマ代わりのスウェットの上から羽織った。押入れを開けて、プラスチック製の引出しをかき回し、分厚い靴下と手袋を探し出す。懐中電灯も欲しいところだが、この部屋のどこにもありはしない。これまで生活必需品として認識したことはなかったから仕方がない。それから、そろりと風呂場に赴き、洗面器を抱える。風呂場のくたびれた磨りガラスの窓からも、もやりとした白い光が入り込んできていて、造作なく洗面器の居場所を突き止められた。そしてまた、そろりと玄関に向い、これまた玄関の上にある小窓から差し込む微かな白さを頼りに雪靴に足を突っ込み、フードを深く被る。
 準備万端整えて、俺は、実に四日ぶりに――引きこもり生活となってからは、四日どころか一週間ぐらい外に出ないことさえ珍しくなかったが、この時は、何週間も何ヶ月も、いや、何年も外に出ていなかったかのような感覚だった――玄関の鍵を開けた。
 ドアノブを回し、そっとドアを開く。心臓がドクドクと脈打つ。見知らぬ国に旅立つときのような、期待と不安と、恐れと希望とがない交ぜになった新鮮な高揚があった。

 四日ぶりの外は、これまでの俺の人生の中で――この先もたぶん――一番寒くて、一番暗くて、一番静かな世界だった。
 だが、光は、無ではなかった。電気の通じていない部屋の中よりも明るかった。何かの光に反応して、家々の屋根に積もった雪が白く浮かび上がっている。卒業式定番ソングの「蛍の光、窓の雪」ってやつじゃないか。昔々、電気がない時代の、ランプの油も買えない貧しい家の秀才が夜になると、夏には蛍を集めた光で、冬には月光に反射する雪の光で勉強したっていう逸話が歌詞の元ネタだったはずだ。その話を昔の精神主義が生んだフィクションだと、俺はずっと思っていた。蛍の光は別にして、雪の件は、案外、実話かもしれない。
 雪の中へ足を踏み出すと、それに応えるようにキュッと雪が鳴った。手探りで恐る恐るアパートの壁を伝い、建物の前面に回り込む。アパートの前は、少し広めの駐車場になっている。人気の無い駐車場では、昨日の夕方から降り積もった雪は、人類未到、手つかずのきれいなままだろう。それを洗面器に掬い取って、鍋で湯を沸かしてカップ麺を食おうという算段だ。一階の部屋で助かった。二階だったら、階段を降りるのに命をかけなければならなかっただろう。ちょっとした幸運に珍しくも感謝なんてしながら、俺は駐車場へ向かって、一歩、一歩、深い雪の中を漕いでいく。
 悪戦苦闘しながら、ようやく駐車場に出た俺は、思いがけない光景に息を飲んだ。いや、息が止まった。いや、すべてが停止した。その場で動けなくなった。
 雪野原の駐車場に、こんもりと雪を被った車がなだらかな丘となっている。その頭上には、覆い被さるように半球を描く闇空が。そこに散りばめられた無数の星が。そして、怜悧に白く輝く半月が――君臨していた。そう。正に世界を支配して君臨していた。地上は、その光の下に静かにひれ伏している。
 このアパートの周囲には高い建物がなく、夜になると駐車場から開けた夜空がよく見えた。東京はもちろん、仙台でも市街地ではなかなか拝めない光景だ。だからと言って、俺は、その星空に特別な感慨など抱いたことはなかった。驚きも喜びも感じなかった。癒やされるとも、きれいだとすら思ったことがなかった。星がよく見える。ただ、それだけだった。
 けれど、今宵の光景は――いくらここが田舎で、よく星が見えるところだといっても、これはあり得ない。見たことがない。現実のものとは思えないほどだ。もはや異空間だ。
 俺は圧倒されて、地上を、そこにぽつんといる俺を、ことなげもなく圧する夜色の天空をぽかんと見上げた。
 粉々に砕かれたダイヤモンドの粒子が、無限の暗闇に惜しげもなくばらまかれていた。まるで砂嵐のあとのようだ。いいや、今、まさしくその最中なのだ。ダイヤモンドの粒子が漆黒の宇宙で激しい嵐に舞い踊らされているのだ。
 こんな夜空は見たことがなかった。こんなに地上から星が見えるなんて知らなかった。こんなに宇宙に星があるなんて知らなかった。この光景が、宇宙のほんの一部にも満たないなんて信じられなかった。足下が揺らいで音もなく崩れて、どこかへ流されていくようだった。

 河だ。星の流れる河だ。いや、これはもう海じゃないか。
 氾濫する星の流れに地球ごと呑まれて溺れてしまいそうだ。
 星の波に外から内からきれいさっぱり洗われて、躯の内も外も、意識の内も外も、全てが星に、闇に、満たされて、どこからどこまでが自分で、どこからどこまでが地で、どこからどこまでが天かわからなくなってくる。
 気が遠くなる。このまま死んでしまうのかと思った。無念も後悔も感慨も何もなかった。
 このまま俺も星になるのかと思った。人は死んでも星にならないと知っているけれど。このまま倒れたら、雪の中で凍死するだけなのだとわかっているけれど。
 けれど――。

 目が覚めた。
 暗い。どうやら俺は布団の中にいるらしい。
 首だけ布団から出してみる。相変わらず寒かった。腕も出して天井から垂れ下がっている紐を引いてみる。相変わらず灯りは点かない。変わらぬ静寂。薄暗い部屋。乱雑に閉められたカーテンの隙間から差し込む僅かな白い光……。
 首を伸ばして周囲を見渡と、こたつの上に空のカップ麺の容器が転がっているのが目に付いた。

 
 地震から三日後の夕方、突然、冷蔵庫が唸り声を上げた。眠りから覚めた冷蔵庫が身じろぎする軽い振動が床から伝わってくる。電力が復旧したのだ。正確には、俺の住んでいる地域の電力が、だ。
 俺は、まず蛍光灯の紐を引いた。眩しかった。それから電気こたつのスイッチを入れた。暖かかった。そして、テレビを点けた。
 俺は、ようやく、この三日間を知る。何が起きて、どうなっていたのかを知った。すべてを知った。

 あれから半年が経った。それから一年が過ぎた。春が来て、夏になり、秋になり、冬が来た。また春が巡ってきて、夏も来て、やがてまた秋になる。冬になる。そしてまた、三月十一日が来る。そしてまた春が……。
 俺は、まだ生きている。
〈了〉


《後書き的な》
 ――I‘m still alive today それなのに何故か忘れそうになる what will happen tomorrow……
 この歌詞は、今秋ハマっているドラマの一つ『パリピ孔明』で、女王蜂のアヴちゃん扮する伝説の歌姫マリアが歌う『I‘m still alive today』の一部だ。一発、しかも一部だけ聴いて、とっても気に入ってしまった。
 歌詞の一部(それと曲名)が、この駄小説のラスト一文と偶然にも重なっている。
 これは狙ってのことではない。この駄小説は、何年も前に書いてすっかり忘れて放置していたもので、今回、アップするモンがねぇなあと、ほじくり出してきたものなのだ。アップしようと軽く点検していて気が付いた。
 『I‘m still alive today』は、まだマリア本人の歌をフルで聴いていないので、お預け食らったワンコの心境で彼女のフルを待っている。
 主人公のエイコやライバル友のナナミもこの曲を歌っているが、やっぱりアヴちゃん……じゃなくてマリアのを聴きたい。きっとヘビロテする。アップテンポで全体的に明るい曲なのだが、僅かばかりに切ない色調が入っていて、それが曲に深みをさりげなく与えている。このさりげなさが良い。ゴリゴリじゃないから、じわっと自然に心に染みて、さらりとした余韻がある。無意識の持続性がある。
 さらりとした持続性のある余韻――そんな文章を自分も書きたいもんである。


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